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悪い菌

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 男というのは、そういうものであり、だから、溜まりに溜まったものを、発射できる相手がいないのであれば、架空の映像を使ってでも、発散させなければ、絶えず、興奮状態のまま、彷徨うことになり、それを発散させる相手が、女性でしかないと分かっていることで、我慢できなくなると、
「性犯罪」
 と言われる犯罪が起こってしまうのであろう。
 この性犯罪というものは厄介なもので。
「女性側には、かなり不利なことが結構あった」
 特に、今はそうではないが、以前は、親告罪と言って、被害者からの告訴が必要だったりした。
 しかも、裁判になれば、聴かれたくないことを聞かれ、言いたくないことを言わなければいけなかったりするので、果たして被害者の壊れた精神状態で耐えられるかどうかということから、弁護士による示談交渉において、
「告訴を見送る」
 ということで、
「泣き寝入り」
 ということがほとんどだった。
 暴行された女の子は、
「車に轢かれた事故だと思って、早く忘れる方がいい」
 ということで、事件から目を背ける傾向にあるというのも、無理もないことではないだろうか?
 そんなことを思うと、
「自分がしっかりしているだけでいいのか?」
 という思いから、いろいろ、考えなくてもいいはずの余計な不安が募ってくることから、ただでさえ、精神的にきついのに、余計な気持ちにさせられるのは、きついことなのだろう。
 そんな性犯罪というものも、泣き寝入りしなければいけないのであれば、警察が取る手段というのは、一つしかない。
 泣き寝入りに関係なく、事件というものに対しては、その大前提というもののはずである。
 というのは、
「事件を未然に防ぐこと」
 ではないだろうか?
 もっといえば、
「事件を起こさせないようにする。そういう社会をつくる」
 ということが大前提のはずである。
 もちろん、そこまでくると、警察の仕事ではないのだろうが、どちらかというと、政府であったり、国家の仕事だといってもいいだろう。
 犯罪さえなくなれば、犯人も被害者もいないわけで、被害者やその家族。犯人の家族は身内なども、ある意味被害者だといえるのではないだろうか?
 昔から、
「罪を憎んで人を憎まず」
 という言葉があるではないか。
 まさしくその通りで、
「犯人が犯罪を犯さないように、そして、加害者となるべき人間が、犯人にならないようにする」
 ということが、一番なのだ。
 警察は、
「犯人を特定し、証拠を集め、容疑を決定づけ、そして、検察が起訴する」
 そこから先は裁判となるわけだが、警察というところは、
「真実を見つける」
 というところが仕事である。
 しかし、事実というものが、すべて真実だということではないだろう。確かに、事実というものは、曲げられないもので、それが、
「動かぬ証拠」
 となるのだろうが、真実が事実にあるかどうかということは、大きな問題なのかも知れない。
 真実がすべてだということになると、事実を捻じ曲げることになる。
「真実は真実として、事実は事実」
 として認識したところでの裁判を行うために必要なものが、
「警察の捜査」
 というものだろう。
 警察の捜査が、思ったよりも進んでいないと、特に、
「縦割り社会」
 の警察は、さらに遅れてくることは必至である。
 特に、横のつながり、いわゆる
「縄張り意識」
 のようなものがあるために、なかなか捜査が続かなかったり、
「そこから先は、勝手に踏み込めない」
 というものがあったりする。
 特に、上司同士の葛藤があるところなどでは、なかなかそれに振り回される部下としては、気を遣ったり、意識過剰になったりと、捜査以外でも大変だったりする。
 そういう意味では、
「中間管理職」
 という立場では、警察だけでなく、一般企業を始めとして、特に官僚などになると、大変だということであろう。
 警察の捜査というものにも、かなりも問題がある。
 特に最近は、
「コンプライアンスの問題」
 というものがあり、取り調べも、昔とはかなり違うようだ。
 半分は、拷問に近いような取り調べが、昭和の時代には行われていた。
 白状しない容疑者に、ライトを顔に向けたり、胸倉を掴んでみたり、さらには、タバコの煙を顔の近くで吐き出したりと、
「まさに、やくざ顔負け」
 と言った様子だったりもした。
 実際に、取り調べが行われると、どれほどひどい状態なのかというと、一番の問題は、
「取調室の扉を閉め切って、外に聞こえ合いようにして、何をしていたのか?」
 ということである。
 今であれば。
「人権擁護団体」
 が、乗り込んでくる自体に発展することであろう。
 というのも、一番の問題は、
「冤罪」
 という問題があったからだ。
 特に、痴漢やスリと言った事件では、冤罪が多く生まれ、もし冤罪だと分かり、警察が謝罪したとしても、一度逮捕されてしまった人間の運命は悲惨である。
 まともに社会復帰もできず、結果、まともな社会復帰ができず、怪しい団体に身を落とすということだってあるに違いない。
 それを考えると、
「警察が最初から、キチンと捜査をしてくれていたら、こんなことにはならなかった」
 ということになるのだ。
 犯人にされてしまった人間に対して、警察は、本当に悪いと思っているのだろうか。中には本当に、
「悪いことをした」
 と思っている人もいるだろうが、ほとんどの警察官は、
「あれはしょうがない。そもそも、怪しまれるような行動をした方が悪いんだ」
 と、明らかな自分たちのミスを棚に上げて、そう考える。
 確かに、警察官が、一つの事件の尾を引いて、それ以降の仕事に支障をきたすというのはいけないことであろう。しかし、冤罪事件のような、
「あってはならないこと」
 に対して、
「よくあることだ。酒でも飲んで忘れてしまえ」
 などという上司がいたとすれば、それは、言語道断である。
 逆にこういうことは忘れてしまってはいけないのだ。いかに、
「心の奥でかみしめるようにしながら、現場復帰できるか」
 ということが問題なのに、楽な方、つまり、
「嫌なことは、忘れてしまう」
 という方向に逃げるのであれば、また同じことが起これば、同じ過ちを犯すに違いない。
 もし、そこで、
「酒を飲んで忘れることだ」
 と言われて忘れてしまうと、その人は、そこに限界を作ってしまい、本来の警察官としての誇りであったり、自覚を捨ててしまったのと同じことなのではないだろうか?
 それを思うと、
「そっちはそっち。こっちはこっち」
 ということで、両方抱えて生きていくということができないのか?
 ということになるだろう。
 もしできないということであれば、きつい言い方であるが、
「警察官としての技量がない。限界だ」
 ということになり、そのまま警察官を続けたとしても、一生苦しみぬくだけということになるに違いない。
 それを考えると、
「限界というものを引くのは誰なのか?」
 ということになる。
 自分で引いてしまうと、それ以上は絶対に超えることはできない。なぜなら、
「その境界線を、自分で見えているからだ」
 ということになるからである。
作品名:悪い菌 作家名:森本晃次