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悪い菌

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 ともいえる時期を過ごしていると、そんなことすら分からなくなってしまうのだ。
 それだけ、普段から見えている自分の気持ちが、世の中全体を、
「果てしなく大きなものだ」
 という、無限感覚を持っているはずで、実際にそれが、
「恐怖というものの正体だ」
 と分かってもいるくせに、認めたくないというところがあるのであった。
 だから、モテるということに、
「焦り」
 を感じるのも、恐怖に対して感じるものではなく、
「無限に広がっている世界であるにも関わらず、時間的な限界は絶対にある」
 という感覚である。
 そういう意味で、
「人間の、生き死に」
 というものも、大いなる恐怖の一つではないだろうか?
 どんなに世の中が無限に続いていこうとも、一人の人間には、
「寿命」
 というものがあるのだ。
 普通に考えて、
「100年以上生きる人間はほとんどいない」
 ということになる。
 ほとんどの人が、80歳前後というところであろうか。
「気が付けば、都市を取っていた」
 というのは、あるあるではないだろうか。
 ただ、20代前半くらいまでは、時間の進みが、まるで鈍重な鉛のようなものに感じられ、
「早く大人になりたい」
 と思っても、いつまでも子供のままで。しかも、その途中には、思春期という、
「大人になるための期間を要している」
 ということになる。
 思春期の間にも、人間は、悩みや不安が絶えないものだ。
「ひょっとすると、一番最初に訪れる。理不尽なこと、自分では、どうすることのできないことというものを知る時期なのではないか?」
 と感じるのだった。
 というのも、悩みや不安というものが、子供の頃、つまり種春季前では、
「理解できないもの」
 と最初から考えている。
 大人などが、
「子供には分からない大人の世界」
 というものを、植え付けてきているような気がするからだ。
 だから子供も、
「分からなくてもいいんだ」
 と思うようになり、分からないことに正当な理由を勝手に植え付けることで、納得させているところがあったりする。
 だから、小学生時代に、不安や理不尽さを感じても、
「しょせんは、今だけのこと、もう少し大人になれば、そんなことはなくなるんだ」
 と考えていたことだろう。
 特に、大人は、
「人から叱られることはない」
 と勝手に思い込んでいるもので、自分が親から怒られるようなこともなく、顔が真っ赤になって恥ずかしかったり、悔しかったりする思いが出てこないことを感じることであろう。
 だが、それは勝手な思い込みであり、大人の世界は大人の世界で辛いところがたくさんある。
 親などは、
「そんな姿を子供に見せたくない」
 と思い、我慢をしているのだ。
 そのことが自分で分かり。理解できるようになるまでに、どれほどの時間が掛かるというものだろうか。
 そんなことを考えていると、思春期に突入する。
 身体も心も、
「大人になる」
 ということのための準備をする期間である。
 おぼろげながら、本人もそのことは分かっていることだろう。なぜなら、それまで感じたことのない思いを。感じたことのない部分で感じるようになり、もっといえば、
「身体が正直に反応してくる」
 のであった。
「身体の反応」
 それは、思春期になってから、訪れる、
「身体の変調」
 に近いものだ。
 いや、そのものだといってもいいかも知れない。
 そんな変調を感じながら、
「男と女の違い」
 について考えるようになる・
 主には肉体的な違いに言及しているといってもいいだろうが、それだけではない。男とすれば、
「自分の性癖」
 というものに気づくようになってくる。
 例えば女性の、どんな態度に一番身体が反応するか?
 ということである。
「恥じらいのある女性」
 であったり、
「やたら抵抗しようとする女性」
 あるいは、
「自分の美に絶対的な自信を持っている自信過剰な女性」
 など、いろいろその性格から、態度も違うのは当たり前だ。
 そんな女性が、凌辱的な目に遭っているのを、男として見ていて、本来なら助けなければいけない場面であっても、
「もう少し見ていたい」
 という、とんでもないことを考えてしまうこともあるだろう。
 それが、フィクションであれば助ける必要もないし、見ていていくらでも、自分の男としての部分を確認しても構わないだろう。
 それが、
「映像作品」
 であり、それらの映像作品は、思春期の連中の、
「身体の反応」
 を狙った作品を作るわけである。
 ジャンルも、男性の性癖に対して、多岐にわたっている。普通なら、あり得ないようなことでも、
「映像作品なら」
 ということで、内容が架空であると分かっていても、自分の性癖を満たしてくれる映像作品は、男にとっては、
「必須」
 のものであり、逃げるというわけにはいかないといってもいいだろう。
 映像作品で身体が反応してくるのを、
「興奮」
 という。
 これは男女でいえることであるが、興奮してくると、漏れる吐息も嫌らしいものになり、それが相手にさらなる興奮を与えるのだ。
 それは性癖というよりも、
「男女共通のもの」
 であるので、
「性癖」
 という言葉で言い表せるかどうかということは難しいといえるだろう。
 それを考えると、いわゆる、
「エロ画像」
「エロ映像」
 というものも、完全な悪として断罪できるのだろうか?
 これは何とも言えないことであるが、
「映像作品がこの世界からなくなれば、性犯罪が急激に増え、収拾がつかなくなる」
 と言われるが、少し極端であろう。
 しかし、一定数の中には、
「エロ動画」
 で興奮を冷ますことで、犯罪に至らないというケースもあるだろう。
 それは、
「男性と女性の違い」
 といってもいいかも知れない。
 女性というのは、一度絶頂に達しても、その後持続して、まだまだ興奮状態が残るものだという。
 もちろん、男女ともに、個人差があり、
「すべてがそうだ」
 とも言い切れないし、年齢によっても違ってくるので、ここも難しいところである。
 今度は男性側の方であるが、一般的に男性というのは、
「一度絶頂に達すれば、そこから先は、興奮しないものだ」
 と言われている。
 というのも、
「一度達してしまうと、そこから先は、賢者モードと言われる感覚に陥る」
 というのであった。
「賢者モード」
 というのは、一種の放心状態であり、それまでの興奮状態から、一気に冷めてしまい、それまで興奮の絶頂だったところが、萎えてしまい、さらに精神的にも、
「お腹いっぱい」
 という状態、いわゆる、
「飽和状態」
 に陥るからではないだろうか?
 いや、ここは一歩踏み込んで、飽和状態になったものを、吐き出した後なので、興奮の元になっているものを、一気に一か所に集中させて、それをエネルギー砲として発射してしまえば、エネルギーがまったくなくなり、エネルギーの充填までに、かなりの「時間を要する」
 ということになる。
 それでいけば、すべてを吐き出した状態というのが、放心状態だということは、それはそれで普通なのではないだろうか。
作品名:悪い菌 作家名:森本晃次