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悪い菌

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「鼻にくれば、鼻づまり、鼻水など。口の中であれば、喉の痛みに伴う、扁桃腺の痛み、それによって、咳やくしゃみが起こるというものであれば、目にくれば、眩暈や頭痛に繋がるもの」
 と言った、その症状からくる異変が、風邪の諸症状ということになるということは、普通に生きているだけで、分かってくることであろう。
 風によって、寒気がくるなどと言った。
「触覚」
 に関するものも、
「いかにも風邪の諸症状」
 と言えるのではないだろうか?
 確かに風邪というのは、
「万病の元」
 と言われ、風邪から来る派生型の病気を、
「バカにしてはいけない」
 と言われるのも、当たり前のことであった。
 特に触覚から来る、
「寒気」
 であったり、
「悪寒」
 を感じた瞬間から、他の症状を連想させ、それが現実となってくることも多いということであろう。
 寒気もあれば、悪寒もある。その症状の派生型が顔に出てくる。
「顔色が悪い」
 などというのも、その通りであろう。
「嘔吐、鼻水などの風邪の症状は、まさに、悪寒から来る、身体の反応ということになるのだろう」
 そのような症状が出てくると、
「身体が危険信号を出している」
 ということで、本人も、いよいよ、
「風邪を引いた」
 という自覚を感じるようになり、
「病院へ行こう」
 と考えるのだ。
 そういえば、風邪の引き始めで、寒気が襲ってきて、熱を測ってみると、
「熱がある」
 となったとしよう。
 相手が子供であれば、
「すぐに、お布団に入りなさい」
 ということで、布団で寝かせ、氷枕などで、頭を冷やそうとする。
 そんな状態で、熱を測ると、さらに体温が上がっていて、その様子を見ると、
「もっと冷やさなきゃ」
 と大人は行って、さらに氷枕などで冷やそうとするだろう。
 だが、よく見てみると、子供は寒くて震えていることに気づかないのであろうか?
 というのも、
「熱が上がっている時は、身体自体は寒気がしたままの状態」
 ということである。
 どういうことなのかというと、人間が、熱を持つというのは、身体の外から、
「悪い菌」
 が入ってきて。その菌を身体から追い出そうとして、身体の抗体が戦ってくれているのだ。
 だから、人間というのは、
「発熱」
 というものを起こすのであって、本来であれば、
「熱が上がり切ったところで身体から、汗が出てくる」
 ということなのだ。
 つまり、この、
「発汗作用」
 というものは、身体が、毒素を追い出そうとして戦った結果、その毒素が身体の奥からしみだしているのであり、汗を掻くことで、身体の熱を下げようとしているということなのである。
 だから、ある意味、
「治った」
 ということで。後は、上がり切ってしまった熱を下げる必要があるので、この時に冷やすことになる。
 つまりは、熱が上がっている時というのは、身体を冷やすのは、逆効果なのである。せっかく身体が戦っているのに、それを妨害するようなものだ。だから、暑そうにしていても、逆に温めなければいけない。なぜなら、
「本人は、寒がっているはず」
 だからである。
 体温以上の熱さを身体に感じている時というのは、身体に熱がこもっている。その熱で一気に悪い病気を追い出すことができるまでは、身体を温めて、応援し、身体から、毒素が出始めた時には、今度は熱を下げるということに集中するようにする。
 汗が出始めれば、それまでの苦しさからは解放されていて、
「早く毒素を追い出したい」
 という一心から、汗を掻くのだとすれば、
「発汗作用は、応援する必要がある」
 と言えるであろう。
 そう思うと、
「汗を掻けば、こまめに着替えをして、そのたびに身体を拭く」
 ということが大切で、だから、乾いたタオルと着替えがたくさん必要になるのであった。
 体調が悪い時と一口ではいうが、それは、広義お意味でいう、本当の意味の、
「体調が悪い」
 というだけではない時がある。
 精神的に参っている時でも、
「体調が悪い」
 と表現する人もいるかも知れない。
「病は気から」
 という言葉があるくらいで、気力がなくなると、精神的に弱ってきて、体力もおぼつかなくなってくる。それを総じて、
「体調が悪い」
 ということになるのかも知れない。
 ということを考えると、
「体調の悪さから来る、気の弱さ」
 というのもあるだろう。
 風邪を引いた時であったり、熱が出た時には、心細くなって、
「人恋しい」
 という気持ちにもなるだろう。
 実際に誰かがいてくれれば、安心はするだろうが、気を遣わなければいけないということを考えて、
「却って疲れが来る」
 と思う人もいるだろう。
 そういう人は、
「俺は、そんな人と一緒ではないんだ」
 と思うのではないだろうか。
 それを考えると、
「身体の変調からくる、体調の悪さ」
 あるいは、
「精神的な病んだ状態からの、体調の悪さ」
 このどちらが、果たしてつらいといえるかということであった。
 しかし、これらは、単純比較できるものではない。
「どっちだって、辛いことがあれば、つらさに変わりはなく、一緒にできるような次元ではない」
 と言えるのではないだろうか?
 特に、最近では、老若男女、いろいろと悩みを持っている。子供だって、學校の苛めであったり、小学生から悩みで、頭に、
「10円禿」
 のようなものがあると言われるくらいである。
「中二病」
 という言葉もあり、あれを、
「病んでいる」
 というのは、体調の悪さという発想と果たして同じなのかということになると、分からない。
 しかし、人間というのは、自分のこと以外は、そのすべては、
「他人事」
 であり、どうしても、
「自分以上に苦しんでいる人はいないに違いない」
 と思い込むことが、往々にしてある。
 それを思うと、
「悩みを持っている人間を悪くいうことはできないが、中には、誇張して、わざと悩みがあるように装っている人もいるが、騙され合いようにしないといけない」
 と考える。
 自分のことで精一杯なくせに、そういうところは、他人と比較してしまうのは、それだけ、
「自分は、他人とは別であり、他人事だということを、心のどこかで持っていないと、不安に感じる生き物なのに違いない」
 ということである。
 何に精いっぱいなのかということを考えると、考えれば考えるほど、その正体が分からなくなり、得体の知れない不安に襲われることがある。
 しかも、それが定期的に襲ってくるから厄介なのだ。そのことを自覚していればいいのだが、果たしてそこまで自覚できているかということが、問題なのではないだろうか?
 精神的に弱ってくると、体力的に弱るのと同じように、心細くなってくる。果たしてこの時の、
「精神的なものから来る心細さと、肉体的に来る心細さでは、どのように違うものなのだろうか?」
 と考えてしまうのだった。
 精神的な疲れというと、基本的には、肉体的にも疲れを伴っていることが多いので、精神的な疲れの方が大きいような気がするが、肉体的な疲れというのも、ほとんど変わらないくらいに疲れていることの方が多かったりする。
 つまりは、
作品名:悪い菌 作家名:森本晃次