悪い菌
「世界的なパンデミック」
と呼ばれるウイルスは、何度となく変異を繰り返し、数年の間に、10回近くもの波を引き起こし、結果、世界中を大パニックに陥れているのであった。
それを考えると、
「ウイルスというものを甘くみていてはいけない」
と言えるだろう。
そんな世界において、ウイルスを撃退するワクチンや、特効薬がなかなか作るのは難しい。
いくら急遽だとはいえ、治験をしっかりとしていない薬を、簡単に摂取するというのは、無理があるだろう。
それでも、何とか今は、ワクチン効果もあって収まっているが、そのうちに、
「ワクチンが、無意味と言われるようなウイルス」
が新しく出てくるか?
あるいは、今のままウイルスで変異の段階で、そういうウイルスが出てくるということだ。
ウイルスというものが、変異を繰り返している以上、世の中は、そう簡単にうまい方向に行くわけではない。そういう意味で、
「ウイルスというのは、実に怖いものだ」
ということを、どれだけの人間が理解しているかということである。
最初は、何も分からない状態で、結構国民も、楽天的に考えていたが、ある有名芸人が死んだのを見て、
「これは他人ごとではない」
と思ったのか、国家の指示に素直に従っていた。
国が、
「緊急事態宣言」
と言われる、比較的軽い都市封鎖を行った時も、ほとんどの国民は従ったものだ。
だが、それから一年経って、一番のピークを迎えた時。
つまり、
「医療体制が崩壊」
し始め、病院の病床がいっぱいになり、ひどい時には、
「救急車を呼んで、病人を運びこんでも、受け入れ病院が見つからない」
ということで、そのまま応急手当を受けただけで、間に合わずに、そのまま死んでしまったという悲惨なことが平気で起こっていた。
確かに、医療従事者も大変だったとは思うが、中にはひどい病院もあり、
「患者を受け入れる」
ということで、政府から補助金を貰っておいて、実際に受け入れ要請があれば、簡単に断るという、いわゆる、
「支援金詐欺」
を平気で行うような、医療機関もあったりした。
政府も政府で、対応はいい加減で、
「混乱だけさせておいて、的確な指示ができない」
という状態を作り続けた。
分かりもしない政府が、有識者で作っている、
「専門家委員会」
の人たちを抱えておきながら、何かを判断する時、絶えず、
「専門家の意見を聞きながら」
と言っておいて、実際には、自分たちの都合だけで勝手に決めているのだった。
専門家としては、政府と国民の板挟みで、完全に、貧乏くじを引かされたといっても過言ではないだろう。
それを考えると、
「何のための専門家委員会なのか?」
ということになるのだ。
名前があるだけで、意見が通らないのであれば、政府による、
「やってますアピール」
のダシに使われているというだけのことなのだ。
それを思うと、
「政府というものは、結論を出すことはできるが、それに対しての責任に関しては、まったく関与していない」
ということなのであろう。
要するに、
「やりっぱなし」
ということである。
そんな国家は、次第には、
「経済を回す」
ということを理由に、今度は、まだまだ猛威をふるっているウイルスがあるにも関わらず、
「マスクもしなくていいし、今度から、特定伝染病から、季節性インフルエンザ並みの対応とする」
と、勝手に決めたのだ。
要するに、
「支援するための、金がもったいない」
ということなのだ。
「金がもったいない」
という理由で、政府は国民を見捨てたのだ。
「自分の命は自分で守れ」
と言ったのと同じで、今までは、治療費やワクチンも、国家負担だったものが、すべて個人負担になる。
きっと、そんなことをしてしまうと、変異を繰り返すウイルスが、さらに変異を重ね、収拾がつかなくなるほどに、なるのではないかと思うのは、少数派なのだろうか?
しょせん、民主主義というのは、少数派は負けるのだ。
だが、思い出せば、1年ちょっと前だったか、
「オリンピックをやりたい」
というだけで、国民の8割近くが反対していた、1年延期されていた、
「東京オリンピック」
なんと、開催されることになったのだ。
これこそ、民主主義の概念を、政府自らで崩したという、暴挙以外の何物でもないだろう。
それほど目立った流行がなかったからよかったものの、何といっても、最悪な時期においての問題だったのだ。
「医療従事者が足りないと言っているのに、さらにその上、オリンピック開催で人を取られる」
ということになり、どんなにひどい状態だっのか?
ということである。
しかし、それでも、問題なく、
「結果オーライ」
だったのは、
「ただの偶然だ」
と言ってもいいのだろうか?
今回の、
「世界的なパンデミック」
が蔓延った時期に、実際に自殺者は増えたという。
これは、ある意味当然のことで、
「都市封鎖であったり、人流抑制。さらには、時短営業などと言った政策により、店舗経営をしている人にとっては大打撃だ」
ということである。
ただ、実際に打撃を受けたのは、飲食店だけではない。製造業、サービス業、物流、すべてにおいて、直接的な大打撃を受けたのは必至のことである。
だから、
「経済を回さないと、破綻する会社が続出する」
というのは、当然といえば、当然のことである。
それが分かっているから、会社の方も、
「人員削減」
などで、何とか生き残ろうとするのだ。
当然のことながら、会社を首になった人は路頭に迷う。経営者などは、首が回らくなって、文字通り。
「首を括る」
というわけだ。
電車に飛び込んだ人も多いことだろう。
そんな時、自殺菌と呼ばれるものが、猛威をふるったということではないだろうか?
逆を考えると、恐ろしい発想も出てくるのだが、ここでは伏せておきたいと思う。
自殺菌は、間違いなく影響している。
そこで思い浮かんでくるのが、
「死神」
という発想だ。
日本の昔話や妖怪伝説などの中に、
「死神」
というものの存在がある。
「死神」
というのは、座敷わらしとは逆の存在である。
座敷わらしというのは、
「家にいるとその家が反映し、いなくなるととたんに没落するという、家にいてほしい妖怪の代表」
のようなものだ。
しかし、逆に、
「死神がいると、近い将来、死んでしまうことになる」
といって、恐れられているものだ。
いきなり事故に遭ったり、病気になってしまったり、あるいは、事件に巻き込まれるなどの、偶発的なものあれば、偶発的に、
「自らで命を絶つ」
という人もいる。
それこそ、自殺というものであり、
「ほとんどは偶発的な偶然なのかも知れないが、何かの力が働いていると考えると、この偶発的なものも説明がつく」
と言われるものである。
自殺するということがどういうことなのかというと、
「この世を憂いて、このまま生きていても、いいことなど何もない。むしろ死ぬことで、楽になりたい」
という感情から、自殺をしたくなるのだろう。
そうなると、一番の感情は、
「楽になりたい」