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悪い菌

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 そんな夢が、結構怖い夢だったりするわけだが、その怖い夢の正体について考えることは結構あった。
「何をもって、怖いというのか?」
 という発想である。
 正直、子供の頃に感じていた恐怖というもの、その正体を分かったのが、この思春期の時であった。
 そうまさに、
「複数の自分が存在している」
 ということに気づいた時、
「自分が一人だというのは当たり前のことであり、まるで石ころが目の前にあっても、それを当たり前のことだとも思わなくなるほど、意識に同化してしまっていることが、その理由なのではないか?」
 と感じたのだ。
 その感覚の中で、
「ドッペルゲンガー」
 というものの存在を聴いた時、
「ああ、なるほど。自分の意識の中に、最初からあったんじゃないか?」
 と思うのだった。
「ドッペルゲンガー」
 というものは、
「もう一人の自分」
 と言い換えることができる。
 それは、
「世の中には、3人の自分によく似た人間がいる」
 といわれる、
「よく似た人間」
 ということではないのだ。
 完全に、もう一人の自分ということであり、同一次元、同一時間に存在してはいけないものだと思われていたことなので、ドッペルゲンガーというものの存在は、
「許容できるものではない」
 と言えるのではないだろうか?
 もっと言えば、
「常識で考える範囲で、許されないということを認めるというのは、オカルトの世界に、自分が足を踏み入れている」
 ということになると感じてしまうということであった。
 だから、ドッペルゲンガーにはいろいろな謂れがあるが、その一つ一つに深い意味がありそうなのだ。
 そんな中でも一番、伝説として強調されているのが、
「ドッペルゲンガーに逢うと、近いうちに死ぬことになる」
 という、都市伝説的な話であるが、これまでに、数多くの著名人が感じてきたことだということになると、
「そんなのは、都市伝説に過ぎない」
 と言って、断罪することもできないだろう。
 都市伝説というものが、どういうものなのか分からないが、結構、曖昧なものが多い。
 だから、証明しようにも、漠然としすぎていて、捉えどころのないものがほとんどだといってもいいだろう。
 それを考えると、
「ドッペルゲンガーというものが、いかに自分の生活に忍び寄ってきているものなのか?」
 と感じると、怖くなるのも、無理もないことなのかも知れない。
 普段であれば、意識するようなことではない。
 意識の中にあることであって、何が怖いのかが、漠然としている間は、
「まだまだ知りたい」
 という好奇心が勝っていることだろう。
 しかし、その一線を越えてしまうと、
「どこまで知ればいいのか?」
 ということが分からなくなり、
「知ってはいけないことというのが、あるのではないか?」
 と考えるようになると、もう好奇心が出張ってくる余裕はなくなってくる。
 つまりは、
「これ以上知ると、命にかかわってくる」
 というものがあるのではないかと思うのだ。
 それは、
「誰かに殺される」
 という意識の元ではなく、
「自らに、命を絶つ」
 という発想からである。
 自分の命を絶つということは、そこには、絶対に、
「意識の葛藤」
 というものがあるはずだ。
 その結界と越えて自殺するというのは、それだけ、本人の意識の他に、自殺することへの躊躇がなくならなければ、難しい。
「完全に、無意識になるか」
 あるいは、
「自分の意思に関係のないところで、別の何かが暗躍しているか?」
 ということではないかと思うのだ。
 そこで、桃子は、自分の発想として勝手に考えたこととして、
「自殺菌」
 なるものの存在であった。
 これは、
「たぶん、自分だけでなく、他の人も同じような発想を抱いている人はきっといるに違いない」
 ということであった。
 しかし、逆に、
「実際に自殺菌なるものがあったとしても、普段が皆それぞれで違うように、自殺菌による影響も人それぞれ。リスカを繰り返す人もいれば、一思いに、電車に飛び込む人もいるのだ」
 ということである。
 もちろん、今までに、
「自殺」
 などということを考えたことはなかった。
「いや、なかったはずだと思う」
 と少しトーンダウンしていた。
 これは人から聞いた話であったが、
「躁鬱症の人が自殺を考える時というのは、鬱状態の時よりも、躁状態の時の方が多くて、そういう意味で、躁状態というのは、怖いものだ」
 ということであった。
 というのも、
「躁状態」
 というのは、
「気分がハイになっていて、何でもできるという意識があることで、つい自殺を図ってしまうような精神状態になる」
 ということであった。
 しかし、これも、
「背中を押す何かの存在があったればこそであり、その正体が、自殺菌なるものだと考えれば、それも分からなくもない」
 と言えるだろう。
 以前、インフルエンザの特効薬として使われるようになった、
「タミフル」
 であるが、
「衝動的な自殺をした人の中には、タミフル服用者が多かった」
 という話もあった。
「自殺を誘発する」
 という副作用があると言われていた。
 今では、普通に医者が処方することから、その問題は、だいぶ解決したということなのかも知れないが、要するに、
「特効薬であっても、いや、特効薬であるからこそ、強い副作用というものが存在し、それが恐ろしい結果を招く」
 ということになりかねないということであった。
 躁状態において、まずは、
「自殺誘発」
 ということが一番怖いというのであるが、躁状態における精神状態というものが、まるで、麻薬によるハイな状態のようなものであるとすれば、扱いが難しい。
 もし、それを強引に抑えようとすると、今度は一気に、鬱状態という奈落の底に叩き落すことになり、
「抑えが利かない」
 ということになると、それこそ、本末転倒な結果に導かないとも限らないのである。
 それを思うと、
「自殺の誘発」
 というものが、どのような結果を導くのか?
 それが問題なのだが、本当に自殺してしまい、
「遺書もない。差し当っての自殺の原因も見当たらない」
 ということで、遺族にとっては、
「何が何か分からない」
 と思う人もいるだろう。
 もし、どこか陰で苛めにでもあっていた可能性もある。自殺をするほど追い込まれていいて、なるべく抑えてきたものを、躁状態になることで、自分でも分からないうちに死んでしまったということなのかも知れない。
「目が覚めれば、あの世だった」
 という笑えないギャグに、凍り付いた雰囲気になってしまうことだろう。
 それを思うと、
「自殺菌」
 というものも、その存在だけでは、それほどの力はないが、躁状態であったり、精神的に希薄な状態で、何かに侵されるに十分な状態であれば、そのような人間を探し、誘発することに長けているとすれば、
「立派に自殺という本懐を遂げる」
 ということもありなのだろう。
 そういう意味で、自殺菌というのは、
「まるで死神」
 のような存在ではないだろうか?
「死神と呼ばれているものの存在こそが、自殺菌なのかも知れない」
 と言えるのではないだろうか?
作品名:悪い菌 作家名:森本晃次