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悪い菌

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「少なくとも、夢の最期がどういうことなのかということを意識しているということであり、その夢の後味の悪さが、リアルな意識や記憶に、どのような影響を及ぼしているかということではないだろうか?」
 と考えるのだった。
「後味が悪い」
 というのは、
「ただ、怖い夢」
 というだけのことではないのではないだろうか?
 つまりは、ハッピーエンドに見えたとしても、
「本当にそうなのだろうか?」
 と感じさせるとすれば、どういうことであろう?
「自分のまわりの人はハッピーに終わるかも知れないが、自分に近しい人の中に、ハッピーでは済まされないというような気持ちになる人がいたとすれば、自分の中ではハッピーではない」
 ということであろう。
 それを考えると、
「あくまでも、事情は自分の目からしか見えていないことなので、そのまま進むことが、すべていい方に行くとは限らない」
 ということであった。
 ただ、それが夢だということになると、
「都合よく考えてしまうのが夢というものだ」
 と考えるようになり、ハッピーな夢でも、考え方によっては、その都合よく考えることで、後味の悪さを残すのではないかということになるのだった。
 そう考えてしまうと、夢見の悪さというものが、いかに夢から見た現実の世界に、悪影響を及ぼすのではないかと考えられるのではないだろうか?
 体調の悪い時は、自分の身体を正常に治そうと、身体が、必死になって戦っている。
 それは、頭が働いてのことなので、夢であっても、すべてがリアルな意識がよみがえってきて、
「何とか、辻褄が合っている」
 というような、ハッピーな形にしようと考える。
 しかし、その中で、ふと気を抜いてしまったりすると、夢の中での辻褄が合わなくなり、それを合わせようとして、リアルな現実に戻ろうとする。
 しかも、戻ってしまうと、その間に体調が悪かったことを思い出し、
「このまま戻ってはいけない」
 と感じたことで、寸でのところで、また夢の世界に戻ろうとする。
 それが、夢と現実の狭間を意識した時の、
「具合が悪い時」
 の感覚であり、
 夢と現実の狭間のその距離について、
「全然距離を感じない」
 という時と、
「宇宙の果てまでの距離のような、とてつもない距離を感じる」
 という両極端なことがあるのだった。
 夢を見た時というものは、
「意識をしていないつもりでいても、夢と現実の狭間の距離というものを、意識しているものである」
 と感じていた。
「体調の良し悪しで、どれだけ違うのか?」
 ということを感じさせられるが、
「体調の悪い時ほど、距離が近いような気がするのは、圧迫される感覚が、体調の悪さに結びついてくるからではないか?」
 と感じるのだ。
 体調のいい時というのは、
「却って、距離が遠くても、辿り着けるような気がする。体調が悪い時は、まるで、足枷がついているかのように感じられるのに、体調のいい時は、まるで、背中に羽根でも生えて、飛んで行っているような気がする」
 ということからであった。
 体調の良し悪しが、
「夢見の悪さ」
 であったり、
「現実と夢との距離」
 という感覚であったり、それを目が覚めるまでの間に感じさせるようであった。
 その日の、桃子は確かに、
「体調が悪かった」
 と思っていた。
 しかし、目を覚ましてみると、スッキリとしている。
 眠っている間に復活したというのであれば、それはそれでいいことなのだが、どうやら、そうではないようだ。
 眠ろうとした時も体調が悪かったような気がしないのに、一体どういうことなのだろう?
 その時に感じたのは、
「体調が悪いという夢を見ている」
 という夢を見ていたのではないか?
 ということであった。
 つまりは、合わせ鏡かマトリョシカ人形のように、
「中が入れ子になっている」
 というような感覚である。
 桃子が見た今回の夢は、まったく関係のないと思えるようなものが繋がっていって。一つにヒモになるような感じで、しかも、入り口と出口は、まったく関係のないものであったのだ。
 要するに、
「風邪が拭けば桶屋が儲かる」
 という言葉であったり、
「わらしべ長者」
 のようなお話にイメージとしては近いものだっただろう。
 まったく繋がってもいないような話が、どこを通ってか、最後には一つになるというような感じだったかも知れない。
 だか、その途中で、何度か、夢から覚めようとしたのを思い出したのだ。
 その時の感覚として、夢から覚めた感覚があるが、すぐに眠りに就いた。そのおかげで、目を一瞬でも覚ましたという意識が曖昧になっていて。目を覚ましたということを自分でも覚えていない。
「どんどん、繋がっていく夢は。わらしべ長者のように、必ず大きくなっていくというものではない。
 だから、途中で急に小さくなったり、価値が落ちたりしたものもあったので、そこで一瞬不安になるのだ。
 その時に、
「目がハッキリ覚めてしまっていれば、二度と同じ夢を見ることはできない」
 と感じたのも事実である。
 実際には、夢の中で、
「目が覚めた」
 という夢を見ているわけで、それが本当であれば、
「これ以上、目を覚ましてはいけない」
 という部分があるはずではないだろうか?
 それを考えると、
「目が覚めてくるにしたがって、よみがえる現実世界」
 を飛び越してみれば、そこに見えるものは、本当の現実世界ではないはずなので、そこにあるものは、
「ギャップ」
 なのか、あるいは、
「前後がしっかりしているわりには、意識が憶えていない」
 というような世界なのか、考えさせられてしまう。
 もちろん、夢の続きを見ていたいという意識があるのでそれ以上目を覚まさないようにしているが、
 ただ、夢の続きを見ていたいというよりも、
「夢の中と現実に戻った世界のギャップ」
 というものを、見逃したくないという感覚から来ているのではないだろうか?
 そんな風に考えると、
「ここでは、絶対に目を覚ましたくないと思うような夢を見ているのであって、このわらしべ長者のような話しは、なるほど、意識を妨げるものではないといえるだろう」
 と思うのだった。
 わらしべ長者の話よりも、実に簡単な、
「出世ストーリー」
 が完成するようなストーリーだと思えるのだった。
 桃子は、今回の夢で、自分の仕事と、作家とが入れ替わっているようだった。普段は、作家を、
「先生、先生」
 といって、おだてることで、作品を完成させるお手伝いをする。
 しかし、作家がなかなか制作に行き詰っている時、逃げ出したくなるのを、何とか抑えながら、手綱を引いて、うまくコントロールする必要があった。
 そもそもは、
「自分が作家になりたい」
 などという思いを持っていたわけでもない。
 今の仕事の方が、作家の先生よりも立場的には、気が楽だと思っていた。
 実際に、そう思って今までは、
「縁の下の力持ち」
 と演じてきた。
 ただ、今から思うのは、
「どうして、この業界しか、自分にとっての選択肢はなかったのだろう?」
 と感じるのだ。
作品名:悪い菌 作家名:森本晃次