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悪い菌

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 最近までは、まったく仕事に影響がなかったのに、熱が出た時に会社にいくと、午前中までは何とか持っても、午後になって仕事をしていると、急性の頭痛に襲われることが結構あった。
 吐き気を催してきて、それが収まってくると、激しい頭痛に襲われる。最初は気づいていなかった会社の人たちも、みるみるうちに顔色が悪くなる桃子に、
「もう今日は帰っていいよ」
 といって、帰らせる日々が続き、それでも、なかなかよくならないことで、頭痛があった時は、最初から休むようにして、それでもひどい時は、病院に行くようにした。
「偏頭痛」
 ということで、女性にはありがちなので、処方した薬を飲みながら、様子を見るということになったが、先生も言っていたように、
「慢性的なものだから」
 ということで、
「決して無理はしないように」
 と言われたことを上司に話し、無理をさせないよう、上司も、時々顔色を見るようにしていた。
 だから、ここ最近は、月に、2,3度、休むことがあった。
 女性の身体はデリケートなので、そのあたりの休みは取りやすいようにと、会社からもお達しがあったので、それにしたがって、上司も処理をしているというところであろう。
 休みをもらった時、そのままひどくならないこともあったが、結構な確率で、
「やはり、きつくなってきた」
 ということで、微熱が出たり、身体の節々が痛むこともあった。
 症状としては、風邪に似ているが、正直まったく違った感覚だ。
 その時に、一気に心細くなってくる。
「誰かに看病されたいな」
 というくらいに感じていたのである。
 体調が悪くなる時というのは、自分でも分かるもので、特に、意識が遠のいていく瞬間が分かったりする。
「これから眠りに入るんだ」
 という寝落ちの瞬間は、普通の時であれば、実に気持ちのいいものである。
 しかし、体調の悪い時でも悪いなりに、気持ちがいいものだ。その思いを感じるのは、
「体調がよくても悪くても、眠りに入ってしまうと同じだ」
 ということだからである。
 体調がいい時と悪い時、どちらも、眠りに就く時は、スーッとした気持ちになれる。
 ただ、体調の悪い時というのは、そんな心境になれるまでには、時間が掛かる。ひょっとすると、タイミングの問題なのかも知れない。
 それを考えると、逆に、
「体調が悪い時に寝付く時の方が、よっぽど気持ちのよい状況なのかも知れない」
 と感じるのだ。
 桃子も、実際に眠りに就くまでに、どれだけの時間が掛かったのか、自分でも分からないくらいだ。
 しかし、一度眠りに就いてしまえば、起きてから思い出そうとすると、きつくて眠れなかった意識はある程度消えている。
 体調の悪さがそのままでも、そこは変わらなかったのである。
 眠っている間には、夢を見ていたはずで、その前の記憶というと、かなり昔のように思えるはずなので、その間、夢の中で消えているということなのだろうか?
 そんなことを考えていると、
「夢を見ていた記憶がある時とない時、どのように違うということなのだろうか?」
 と考えると、いろいろな思いが頭を巡ってくるのだった。
 夢というものは、いろいろ言われていたりする。
「夢というものは、目が覚める寸前の、数秒の間に、そのすべてを見るものだ」
 という話も聞いたことがある。
「夢では、その続きを見ることは絶対にできない」
 という話もある。
 これに関しては、
「夢は憶えていないだけで、最後まで見ているものであり、一度見た夢を、再度見るということは不可能なんだ」
 というような話をしていた人がいたが、
「本当なのだろうか?」
 と感じたほどだ。
 確かに、
「夢というのは、いつも、ちょうどというところで目を覚ましてしまう」
 ということを聞いたし、いつも感じていた。
 実際に、これは、怖い夢でも楽しい夢でも同じことで、怖い夢であれば、
「ああ、よかった」
 と感じ、楽しい夢であれば、
「ああ、もっと見て居たかったな」
 と感じるのだ。
 ただ、このどちらも、本当は見ていて、目が覚めた時、いや、目が覚める段階で、忘れてしまっているだけだということであれば、夢の続きを見るということはできないだろう。
 自分でも、
「見たい」
 という変な意識を持ってしまえば、
「いくら夢でもできるわけはない」
 と思うことで、実際に、見れるわけなどないのだ。
 ということは、
「夢というのは、意識の中で、自分が夢を見ているという意識を持っているものである」
 ということになるのではないか。
 例えば、
「夢だったら、空も飛ぶことができる」
 と思っていたとして、実際に夢で見ると、
「空を飛ぶことはできないが、膝くらいの高さを浮遊しているところを想像することはできる」
 というものである。
 これは、自分が、夢を見ているということを理解しているうえで、
「夢だから、空だって飛べる」
 という意識があったとしても、その意識の隣には、通常の起きている自分、常識的な判断のできる自分の脳が存在していて、その脳が考えた時、
「人間は、空を飛ぶことはできない」
 という、通常時の意識が邪魔をして、夢の中だということで、
「せめて、宙に浮くということだけはできる」
 という、一種の、
「辻褄合わせ」
 のようなものが考えられるということであった。
 たぶん、これらの夢というと、体調のいい時に見る夢のような気がする。体調が悪い時に見る夢というのは、
「明らかに体調のいい時とは、違うものだ」
 と考えるようになっていたのである。
 それは、
「リアルな夢」
 だったのだ。
 それだけ、
「狭い範囲の夢しか見られない」
 ということなのかも知れないが、だからこそ、
「今の自分の体調が悪い」
 ということが分かっているということになるのだろう。
 夢の中において、寂しさを感じる時があるが、それこそ、リアルな感情ではないだろうか。普段の時に同じ夢を見たとしても、
「寂しい」
 などと、決して考えることはないように思うのだった。
「寂しさ」
 というのが、どういうものなのかということを、いかに感じればいいのか、そのことを夢の中で感じているのだとすれば、それは、
「体調の悪い時に見ている夢だった」
 といってもいいだろう。
 つまり、体調の悪い時のリアルさというのは、何かを感じた時、その一歩先が、目が覚めている時と、酷似の発想をしている時だということになるのだと思えてならなかった。
 ただ、体調が悪いという意識はないのだ。夢も時系列でうまくいっている夢を見ているのだが、
「現実には、こんなにうまくいくはずなどない」
 と思うようなことも、ある程度まで許容範囲として感じるのだった。
 その思いを、
「夢の中」
 ゆえに感じることができない。
 だから、うまくいっていることを夢とも感じずに、実際にリアルな感覚で、その流れに心地よさを感じるのだろう。
 しかし、どこかで違和感を感じる。
 そうなると、一気に感情が冷めていくと、急に現実に引き戻され、夢とのギャップに、
「あれ?」
 と感じるようになるのだ。
 夢というのは、前述のように、
「目が覚める直前の数秒で見るものだ」
作品名:悪い菌 作家名:森本晃次