探偵小説マニアの二人
と思うのもまんざらではなく、実際に頭に浮かべた友達というと、数十人にも満たないということであったのだ。
戦没慰霊碑を見終わったひろ子が、市役所に戻ってきたのは、市役所を出てから、約20ぷんくらいだった。役所の近くに何があるのかというのを、少し見て回ろうかと思ったが、どうやら、そんな時間はないようだった。
おかげで、市役所に戻ってから、少しコーヒーでも飲もうと思い、ちょうど一階に、喫茶コーナーがあるのを思い出して、そこに行ってみることにした。
室内というわけではなく、一回ロビーの一角にあるような感じなので、すぐにできるだろうという思いだった。
実際に注文してから出てくるまでに、約5分もかからない。きっと、受付の待ち時間に利用するための簡易喫茶コーナーなのであろう、
だから、カップも紙コップで、飲み終わった後は、そのままゴミ箱に捨てればいいだけなので、返却を気にすることもない。
自販機では寂しいが、喫茶室のように大げさなものではないので、待合には、ちょうどいいといってもいいだろう。
コーヒーの味も、なかなかだった。特に、紙コップで呑む味ではないと思うと、さすがに落ち着いた気分になれる。ロビーのどこに座ってもいいということなのでゆったりとした気分にもなれるし、
ただ一つ気になったのは、コーヒーの後口が結構な苦さに感じられたことだった。
自分では、
「おこちゃまだから」
ということで、コーヒーを頼むと、いつも持ち歩いている、甘味料の顆粒を入れるようにしている。
「砂糖をスプーン3杯が、スティック一個の甘さで、カロリーが、十分の一というくらいなので、少々お高いが、ちょうどいい」
と思って、自分専用に持ち歩いていた。
その理由の一つとして、
「乳製品を食することができない」
ということからだった。
実際に乳製品を食べないのは、
「アレルギー」
というわけではない。
受け付けないと言った方がいいのだろう。
「昔だったら、無理やりにでも飲ませていたんだけど、今は苛めの問題とかがあるので、そんなことはできない」
という人もいるが、
「身体が受け付けない人もいる」
ということで、そこまで考慮しないといねないのだろう。
「よくそれで昔は問題にならなかったよな」
と言われていたが、昔は昔で問題になっていたのかも知れない。
ただ、今ほどの騒ぎにならなかっただけではないだろうか?
それでも、今回のコーヒーには苦みを感じた。
「私の体調が少しよくないのかしら?」
とも思った。言われてみれば、少しくしゃみが出たりもしていたから、余計にそう思うのだった。
少し熱いので、ゆっくり飲んでいると、次第に、舌にも熱さが慣れてきた。
そんな味も少し分からない状態で、時間的にも、
「そろそろだ」
と思ったので、一生懸命になって、コーヒーを流し込んだ。
最後の方はさすがに熱さも何とかなったようで、喉を流し込む時、やはり、少し苦かったが、その苦さのせいか、先ほどまであれほど空腹だと思っていたものが、急に満腹とまではいかないが、ちょうどいい塩梅になってきたのだった。
「腹が減ったのを通り越したのかな?」
という思いは結構ある。
実際に、すぐに腹が膨れるという感覚は今に始まったことではない。
むしろ、
「いつものこと」
というくらいに、冷静に感じられる。
ということは、
「苦いと思っていたつもりだったけど、意外と甘いと思っていたのかも知れないわね」
と感じていた。
「まぁ、コーヒーによる腹の膨れであれば、すぐに、元に戻るだろう」
と考えた。
そもそも、
「元に戻る」
というのは、どういうことなのだろう?
腹八分目が大体普段くらいだと思っていたが、今日はそれ以上であった。正直、今おいしいごちそうを見せられたとしても、上手に食レポができる自信はなかった。
「おいしい食事は、空腹の時でないと」
というのは、ひろ子だけが思っているわけではない。
特に体調が悪い時、食べるのが億劫に感じられる時というのは、本当に食べれないといってもいいだろう。
食事がおいしく食べれない時ほど、生きていて、
「つまらない」
と思うことはない。
もちろん、生きがいを失った時のショックであったり、生きているのがつらく感じられるというような、さらにきつい時はあるのだが、その時は、決して。
「つまらない」
という感覚になることはなかった。
つまらないというのは、本当に楽しくないということであり、楽しくなくても、生きがいがある場合は、それなりに、充実感を感じる。
しかし、そんな中で、
「何もかもが嫌になる」
というほどではないが、自分で、
「何がそんなに嫌なのか?」
ということの理由が分かりかねる時を、いわゆる、
「つまらない」
と感じるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「今日のこの感じは、つまらないと思う時なのかも知れないな」
と感じた。
しかも、それは、体調の悪さを伴っているだけに、
正直、
「このまま帰りたいな」
とも感じていた。
体調が悪くなるというのは、実は、数年ぶりのことだったはずなのに、意識としては、数か月くらい前に体調を崩していたというような感覚になっていたのだった。
確かに数か月前にも、少し体調が悪かったような気がしたが、そこまで大事にいたることもなかった。
「確かあの時は、帰りに病院で点滴を打ってもらったんじゃなかったかしら?」
と感じたのだ。
病院で点滴を打っていると、スーッと楽になってくるのを感じる。体調が悪いからというよりも、腕や身体が熱くなっている時、身体の中に、冷たい薬液が入っていくのを、実は気持ちいいと思いながら、頭がボーっとしてくる中で、落ち着いた気分になっているのであった。
特に、簡易ベッドの上で点滴を打ちながら、天井を見ていると、病院というところの性質上、防音効果をもたらすため、天井の壁には、まるで発泡スチロールに開いた穴のような黒い部分が、幾何学模様を奏でている。
それをじっと見ていると、遠近感が取れなくなるのを感じて、まるでベッドに横になりながら、そのままベッドが床を突き破って、奈落の底に落っこちていく感覚が出てくるのだった。
それを感じると、
「大丈夫なのかしら?」
と精神状態がおかしくなってきたのではないかと思うのだが、それを先生に話す気はしないのだ。
というのも、すぐに、落ち着いてくるのを、自分で分かってくると、思うからだった。
「山本さん。大丈夫ですか?」
とたまに、看護婦に起こされることがあったが、どうやら、点滴を打ちながら、そのまま眠ってしまいそうになっているようだった。
「ああ、よかった」
と看護婦はそういうのだが、
「よかった」
というのはどういうことであろう。
確かに、呼ばれると、少し気になってしまうのだが、看護婦が安心しているのを見て。その時は、
「まあ、いいか」
と思うのだが、よく考えてみると。
「看護婦が驚くということ自体が尋常ではない」
ということだろう。
安心したことで、こっちも安心するのだが。それだけ、
作品名:探偵小説マニアの二人 作家名:森本晃次