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探偵小説マニアの二人

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 と考えるのだった。
 それでも、最初は、ジレンマのような葛藤があった。
「やっぱり、プロになりたい」
 という気持ちは当然のごとくある。
 しかし、一度はあきらめた小説。ここで未練を残すと、せっかくの出版社に入れたにも関わらず、うまくいかないということだってあるだろう。
 それは、自分の決意に水を差すという感覚で。それは、ウソ偽りのない感情を、表に出せるかどうかということであった。
「プロというものを諦めはしたが、自分でいずれは独立して、自分だけの世界を作りたい」
 と、感じるのであった。
 どうしても、葛藤とジレンマは避けることができないというもので、何とか昔の気持ちを抑えながら仕事をしていた。それでも、抑えることに慣れているのか、次第に感覚がマヒしてくるのだった。
 最初の頃は、
「今の時代に」
 と言われるかも知れないが、女ということもあり、雑用が多かった。
 先輩の姿を見ていると、
「やって当然」
 という顔でこちらを見ている。
 しかも、
「我々だってやったんだ。今度は俺たちがしてもらう番だ」
 という、いかにも当たり前の表情に腹が立ったのだ。
「時代にそぐわない」
 というのも、その怒りの根底であるが、それよりも、自分もこのままなら、こんな先輩たちと同じ感覚になってしまい、新入社員から、今の自分たちのような目で見られる。
 ということで、しかも、それがどういうことなのかというと、
「先輩たちは、自分たちがやられたということだけを意識しているので、自分が先輩になった時、今の自分の見ている目を浴びせられて、たじろがないと思わなかったのか?」
 ということである。
 思わなかったとするならば、自分たちが後輩の時、先輩をにらみつけるとしても、適当で中途半端な気持ちでいたということを示しているだけである。
 ということは、それだけ、
「今の自分たちよりも、情けなかったんだ」
 と思い、今の自分たちが、
「何でこんな連中から顎で使われることになるんだ?」
 という疑問が湧いてくる。
 しかし、逆に先輩がこの目を感じていたのだとすれば、自分が先輩になった時、こんな目を浴びせられたくないという思いから、
「今までの、こんな悪しき風習なんか、なくせばいいんだ」
 と、どうして感じないということなのだろうか?
 それをしないのは、
「自分たちが先輩にやられたことを、今度は後輩にやり返さないと、割に合わない」
 という思いと、
「自分たちの代で終わらせてしまってもいいのだろうか?」
 という思いとが、カオスになっているからであろう。
 どちらにしても、考え方には矛盾がある。先輩になってどちらを選んでも、マイナスの発想しかない。
「どっちならマシだろうか?」
 という発想で、
「そういうことであれば、最初からない方がいい」
 と普通なら思うだろう。
 しかし、それも個人で違う考えで、自分だけがそう思っていたとしても、結局、集団の意識には勝てない。自分だけが何を言っても同じことなのだ。
 それを思うと、
「先輩たちの長年の築かれたものが、悪しきことではあるが、伝統として残っているのは、継続という意味では悪いことではない」
 と考えたりもする。
 しかし、そこに集団意識というものが絡んでくると、逃れることなどできないに違いない。
 実際に、
「こんな伝統をやめてしまおうと考えた人がいたとすれば、それを辞めさせられる人は、いきなり自分から動いたりはしないだろう」
 といえる。
 下準備をしたり、あらゆる場面において、どのようになるかということなどを研究し、何が正しいか。あるいは、一番、トラブルが少ないか?
 などという、
「落としどころを見つけることができるか?」
 ということが問題なのであろう。
 それを考えると、
「どちらに転んでも、マイナスだというのも、無理もないことだろう」
 と言えるに違いない。
 彼女が今回取材に来たのは、ちょうど今から60年くらい前というから、当時としては、まだ戦後と呼ばれてもいい時代だっただろう。
 ただ、時代とすれば、
「もはや戦後ではない」
 と呼ばれていた時代に近かっただろうから、当時の人の意識がどれほどのものだったのか、想像はつかない。
 おそらく、一人一人、感覚が違っただろう。ほとんどの人は貧しかっただろうが、そんな中でも、貧富の差の激しさは、計り知れないものがあったということを、聴いたことがあったからだ。
 そんな時に事件が起こり、今だ未解決だということをまったく知らずに、ただの旅企画の取材で訪れたのだった。
 その村は、今でも、過疎地になっているので、正直、温泉がなければ、まったく産業らしいものもなく、観光に値するものも何もないと言われていることから、下手をすれば、
「ただ、地図に乗っている街」
 というだけで、それでも、今でも、隣の大都市の一部となることで、何とか生き延びているのだ。本当に温泉がなければ、大都市も合併までは考えなかったかも知れない。
 いわゆる、
「平成の市町村合併」
 の時に隣の、M市と合併したのだが、M市の一番南端に位置していて、ちょっと行くと、隣の県であった。
 そういう意味で、人によっては、このあたりが、
「隣の県ではないか?」
 と思っている人も多いようで、街の人に聞くと、
「この街自体の区画が歪な形をしているので、下手をすれば、突出した部分があり、そこが、隣の県となっているので、知らない人は戸惑いそうなんですよ」
 というのだった。
 だが、昔からこの土地に住んでいる人は、
「もう、ずっと前からのことなので、私たちは、まったく意識しませんからね」
 ということであったのだ。
 ひろ子は、出版社の依頼で、M市の温泉に向かうことになった。
「確かに、他に何もないところなので、大都市とはいえ、過疎化した地帯だというのは否めないだろうが、温泉地ということで、大体の感覚が分かっているだけに、どれほどのところなのか、正直分からない。話を聴いた分では、私がわざわざ赴いて取材をするようなところとは思えないんだけどな」
 という気ではいたが、今のひろ子に仕事を選ぶなどという選択肢はなかった。。
「もらえる仕事は、よほどのことがない限り、赴くだけのことなのだ」
 と考えていたのだ。
 M市というと、K県では、3番目か4番目に大きな都市で、県庁所在地からは、電車で30分ほどのところに位置しているので、県庁所在地に対しても、十分な、通勤圏内ということであった。
 しかし、今回の温泉街の人たちが仮に、出稼ぎのような、会社勤めをしているとするならば、さすがに県庁所在地までの通勤はきついに違いない。
 だからこそ、M市の中心部に働きに出ている人も多いだろう。

                 街はずれの温泉地

 M市には、地元としては大手の会社のビルがひしめいている地区がある。銀行などの金融関係、タイヤ関係から大きくなった、車両部品の会社、そこからのケミカル関係の業種としての、靴やカバン類の企業などのビルがひしめいているのだ。
 そして、一級河川である、M川の河川敷には、それらの工場が位置していて、結構大きな街になっていた。
作品名:探偵小説マニアの二人 作家名:森本晃次