探偵小説マニアの二人
できないかも知れないと思いながらも、買収によって、示談に持ち込もうともしていたりした。
だが、公害被害者も黙ってはいない。一生モノの後遺症が残ることになったりした人間にとっては。死活問題である。
将来の夢など、何もかも奪われたのだ。
「これから生きていけば、どれだけのことができたのか?」
それを、加害者は分かっていないであろう。
要するに、
「目の前のことしか考えていない」
ということであろう。
「公害問題を引き起こした会社」
ということになれば、誰がそんな会社の商品を買うというのか。
そんなことを考えていると、いくら弁護士がついていても、弁護士がやることといえば、
「買収」
であったりなどの、
「汚いこと」
に違いないのだ。
しかも、法律は決して、被害者側の味方になってくれるわけではない。民主主義だといっても、民法など、しょせんは、
「公共の福祉」
を、優先するのだ。
そうなると、個人の尊厳や権利、利益などは、
「二の次」
ということになってしまう。
「何とも情けない時代なんだ」
ということになるだろう。
小説で、
「時代としては、どちらがいいのか?」
と聞かれた山本ひろ子は、
「私は、探偵小説の時代が好きかしら?」
と答えていた。
「だけど、しいて言えばというところで、社会派には社会派でいいところがあるんだけど、どうしてみ、インパクトという意味でいけば、探偵小説の方があるわよね。社会派小説というのは、どうしても、大人の小説という意味合いが大きいので、ある意味、好き嫌いの激しさが出るんじゃないかしら?」
ということであった。
「なるほど、確かにそうかもしれない」
と、彼女の後輩はそういっていた。
後輩といっても、話を聴いている男は、K出版社に勤める、まだ記者になってから、3年くらいの若い子だったのだ。
ひろ子は、その会社に、短大を出てから、10年はいただろうか? 今は会社を辞め、フリーのライターとしてやっている。
最初は、いろいろな人から反対もあった。しかし、
「まあ、私がやってみたいと感じた年に、私は自分に自信が持てたことで、思い立ったのよ」
といっていた。
何か、形になる何かがあったわけではないが、ひろ子としては、本当に、
「独立するには今」
というタイミングで考えた時、思い切ったのだ。
ということであった。
後輩は、里村義男という男で、彼が入ってきた時、ちょうど入れ替わりくらいで、ひろ子が独立した。
自分の後釜ということだったので、里村は、ひろ子から引き継いだ形になったのだが、それだけに、里村からのインパクトは衝撃的なものだった。
「ひろ子さんは、さすがに独立するだけのお人だ」
と思っていて、
「あの人くらいでないと、独立なんかできないんだろうな」
と思っていた。
だからこそ、ひろ子が教えてくれている時には真摯に向き合っていて、
「永遠に目標にする人だ」
と思ったのだ。
そして、その思いは数年経った今になっても変わりはない。それだけ、ひろ子に対しての尊敬度はハンパではないといってもいい。
ただ、そんなひろ子も、さすがに数年経って、鳴かず飛ばずの状態であれば、
「フリーというのは、本当にきつい」
と思っていることだろう。
まず何と言っても、自分ですべてをしなければいけない。アポイントから、取材交渉まで、そして、設定もこなさないといけない。会社であれば、アシスタント的な人がいて、二人で行動していたりするが、一人になると、そうもいかないのだった。
だが、フリーライターのきつさはそれだけではない。経理や人事的なことまで全部自分でこなさないといけない。
細かいことであるが、確定申告なども、全部自分でこなすので、取材に疲れたといっても、暇ができたわけではないのだった。
そんなことを考えていると、
「フリーになんかならなければよかった」
という後悔もある。
しかし、ある程度まではきつさは分かっていたつもりだった、それなのに、なぜか、後悔感がいなめないのは、どういうことなのか?
「とにかく、一人でいると寂しさがこみあげてくる」
というもので、そんなひろ子をずっと見ている里村も、
「何をどうしていいのか分からない」
ということであった。
ただ、普通の取材をコツコツと真面目にやっていると、いいこともあるのか、定期的に、仕事もいいものが回ってくるということは分かるようになってきたのだった。
今回もいい仕事だと思うようにしているのであった。
ひろ子は、大学時代には、文芸サークルで、
「作家になりたい」
という、他の部員と、ほとんど変わりがない気持ちでやっていたのだ。
しかし、実際に、年齢を増すごとに、自分が思っているほど書けていないことを感じ、幾度も挫折を味わったのだ。
それでも、大学時代には、それなりに何度も挑戦してみようと思ったのだが、実際にはそううまくいくわけもなく、大学三年生の時に、就職活動を理由に諦めたのだった。
しかし、彼女が、それでも考えたのは、
「どうせなら、物書きの仕事を続けたい」
と思ったのだった。
それは、彼女が、
「本気で作家になりたかったんじゃないんだ」
とまわりに思わせるだけだったのだが、本人は、そんなことは気にしているわけではなかった。
「作家になりたい」
と思っていて、実際に自分なりに頑張ったつもりだった。
だから、
「やり切ったという感覚があるので、これからも、小説の世界に生きていても、嫌な気分にはならないだろう」
という思いがあったのだ。
だが、実際にやってみると、
「何も小説じゃなくとも、ライターって結構楽しいじゃん」
ということになった。
いくら大学時代に好きでやっていたといっても、それ以上に楽しいことができて、しかも、趣味と実益を兼ねられるものがあると思うと、
「これはこれで結構楽しい」
と思い、
「方向転換がうまくできた」
と感じたのだった。
実際に、小説を書けなくなったことで、嫌な気分になったことはなかった。
確かに、書けていた時は楽しかった。書けることが悦びだったのだが、一度、いや、何度も挫折を味わうと、
「もういいか?」
と思ってしまった自分を思い出したのだ。
結局、出版社に入ることができ。
「なるほど、作家志望だったんだね? じゃあ、こっちの世界で、その才能をいかんなく発揮してくださいね」
といって、入社となったのだが、実に楽しい感覚だったのだ。
「上司が、自分の原稿を褒めてくれた」
と思うと、今まで作家志望であり、出版社関係であってもいいと口では言っていたが、本当にそんな気分になれるかということを考えた時、心のどこかに一抹の不安があったのもいなめなかった。
どんな小説を書いていたのかというと、前述の話にあるような、
「ミステリー」
であった。
その中でも、探偵小説作家の作品が好きで、
「当時の小説の雰囲気を今の時代風に書けないか?」
というのが目指しているところだった。
それが、どうも難しかったようで、そこが、ある程度までは書けるようになった気がするが、最後の押しが効いていないのではないか?
作品名:探偵小説マニアの二人 作家名:森本晃次