探偵小説マニアの二人
ということで、見張りがつけられるくらいの人であっても、一定期間が過ぎると、自分が生きているということに違和感がなく、生き続けるのだ。
それだけ、人間は、どんなに大切な人であっても、どれほどの思いで、死を選んでいった人なのかということであっても、自分の生き方に変化を与えることはないといえるだろう。
しかし、それでも、死に場所を選ぶというのは、生き残った人に対して、自分の思い出が生きていくうえで大きな影響をもたらすということはないだろうということである。
それを考えると、ひろ子などは、
「人知れず死ぬ人の気が知らない」
と思っているのであった。
だが、死を選ぶのに、
「自殺の聖地」
を求めてか、
「自殺の名所」
と呼ばれる、全国に一定数ある場所で自殺を試みるのだ。
見事本懐を遂げ、
「キレイな死に方」
ができた人は、まるで、昔の武士にとっての、
「切腹」
のようなものではないだろうか?
昔の武士は、斬首と呼ばれる処刑であったり、相手に討ち取られたりする前に、自らの恥を晒しまいと、
「自分から腹を切る」
という
「切腹」
というものがあるのだ。
それが、武士にとっての美徳。そう、
「耽美主義」
というものに、近いのではないだろうか?
耽美主義というのは、優先順位において、何よりも、
「美」
というものを優先し、尊重するというものである。
要するに、道徳観念やモラル、さらには、それが犯罪であっても、美を追求するという、一種の、
「究極の主義」
といってもいいだろう。
それを考えると、日本古来からの文化は、
「耽美主義」
というものに特化していたともいえるかも知れない。
もちろん、諸外国にも、日本人の想像も及ばないような耽美主義的な発想もあるのだろうが、日本においての、
「死」
というものに対しても特化した耽美主義は、そうもないだろうから、さぞや、諸外国では、日本人が考えるよりもさらに、
「耽美」
として称えるのではないだろうか?
ただ、それはあまり気持ちのいいものではない。
日本人が耽美を称えるのであれば、それはいいのだが、実際に感覚も分からないくせに、わけもわからない外人が、
「ハラキリ」
などといって、日本文化をバカにしているのを見ると腹が立つというものだ。
それこそ、日本文化への冒涜であり、もっと日本人は、腹を立てるべきなのではないだろうか?
それだけ、諸外国から、バカにされて、下に見られているということを分かっていないということであり、嘆かわしいことである。
耽美主義において、考えていると、祠の横のいくつかある小さな、墓碑銘の中に、少し大きな石が置かれているのに気づいた。ほとんどが、新しい石なのだが、この石だけは少々小さく、名前も消えかかっている。それが気になって、女将さんに聞いてみると、女将さんが、また、事件の話を始めたのだ。
「ああ、あの石は、本当はあの中でも新しい部類の石だったんだけどね。なぜか、すぐにあんな形になってしまったんだよ。それには少し曰くがあってね」
と言い出したのだった。
大団円
女将さんは続けた。
「これも殺人事件だったんだけど、一人の男性が死体となって発見されたんだけど、その人を殺そうと思っていた人は一人しかいなかったんですよ。もちろん、人間だから、どこで恨みを買うかは分からないけど、殺したいというほどの動機を持った人は一人しかいなかったのね」
と女将は言った。
「じゃあ、事件は簡単に解決したということですか?」
と聞くと、
「いいえ、そんなことはなかったんです。確かにその人を殺すだけの動機を持った人が、失踪しているので、その人が犯人に違いないだろうということで、さっそく、全国に指名手配したりして、捜査網を広げたんですが、なぜか、その人は見つかりませんでした。忽然と姿をくらませたんですね?」
と女将さんは言った。
「それはいつ頃の話だったんですか?」
とひろ子が聴くと、
「そうですね。時代からいけば、この間お話した事件よりも、少し後くらいといえばいいでしょうか。昭和の終わりに近いくらいの時代だといってもいいでしょうね」
ということである。
「被害者は、間違いなくその人だったんですよね?」
とひろ子が聴いた。
この聞き方は、あきらかに、
「死体損壊トリック」
いわゆる、
「顔のない死体のトリック」
を思わせるものだということは、女将にもピンときた。
「そうですね。だから、被害者と加害者が入れ替わっているのではないかという考えはこの場合には成り立ちません」
ということであった。
「確認ですが、本人だということに間違いはないんですよね?」
と聞かれた女将は、
「ええ、指紋も同じでしたので、間違いはございません」
と答えたのだ。
「その人を殺す動機がある人が失踪した。ということは、殺人を犯して逃げているというのが普通の考え方だとは思うんですが、それじゃあ、単純すぎる気もするし、見つからなければ見つからないほど、実は死んでいるんではないかと考えてしまうのは、悪いくせなんでしょうかね?」
といって、ひろ子は考え込んでしまったようだ。
「そんなことはないと思いますよ。警察というところは、ある程度、実証を中心とした理論しか立てられないところがあるので、考え方が難しいところもあるでしょうが、それだけに、いろいろ大変なんでしょうね。これが探偵だったりすると、もう少し発想の幅が広げられるというところなんでしょうが」
と、女将はいう。
「これは、やはり何か、トリックのようなものがあるんでしょうか?」
とひろ子が聴くと、
「ええ、そうですね、事件としては、見えている部分は実に単純なんです。一人の人が殺された。捜査を続けていくうちに、その人に恨みを持っている人は一人しかおらず。その人が行方不明になっているということで、警察は、参考人から、一挙に、重要参考人として引き上げ、忽然と姿を消してしまったことで、全国に指名手配をするというところまできたということですね」
というのであった。
本当に単純な事件であり、それが却って憶測も呼ぶのだし、
「何が正しい」
ということを立証するのが、今度は無図あ?しいといってもいいだろう。
ひろ子は、頭を巡らせながら、
「女将さんは、すべての事象を知っている」
という前提の元に、質問してみることにした。
そういえば、雑誌の取材をしている中で、ひろ子は最近、ちまたで、われている、
「ウミガメのスープ」
と呼ばれている、一種のクイズのようなゲームがあるという。
これは、
「水平思考クイズ」
と呼ばれるもので、
「回答者が、事件に関係のある質問をして、それに質問者が答えながら、真相に近づいていく」
というものである。
つまりは、
「最初の謎は、一見、不可解なものであるが、質問をすることで、少しずつまわりが見えてきて、そこで初めて、出題の状態になり、そこから、回答者が正解に導いていく」
というものである。
作品名:探偵小説マニアの二人 作家名:森本晃次