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つかさの頭の中

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 特につかさが、小学生の高学年になってから、世の中が一変するような、大事があった。それは日本においてのことだけではなく、世界的な、大問題だったのだ。
 そう、世界を騒がせた、
「世界的な大パンデミック」
 と呼ばれる、新型伝染病の大流行だったのだ。
 世界中の誰にもその正体が分からず、海外では、
「都市閉鎖」
 と呼ばれる、
「ロックダウン」
 と言われるものが、襲ってきた。
 そのロックダウンというものは、
「日本という国ではありえないもの」
 だったのだ。
 というのは、ロックダウンというものは、基本的に、
「有事において、発令される」
 というものであった。
 有事というのは、
「戦争、災害などで、都市の機能がマヒしてきた場合など」
 のことで、
「軍などによって、武力統制する」
 というのが、
「都市閉鎖」
 というものである。
 日本の場合には、2つのことにおいて、このような場合の統制が不可能だった。
 一つは物理的な意味である。
 というのは、
「日本には、統率しようにも、それだけの力を持った軍隊というものが存在しない」
 ということである。
 大東亜戦争の後、日本は敗戦を受けて、アメリカを中心とした、占領軍の統治下におかれた。
 彼ら進駐軍は、日本を統治するため、それまでの、
「立憲君主」
 という制度から、
「立憲民主の国」
 に変えることを行った。
 その際に一番大きなものとして、憲法改正があったのだ。
 つまり、元々の政治体制である、
「立憲」
 というのは、
「憲法に則った政治体制」
 というものであり、それまでの日本は、
「君主制」
 つまり、
「天皇を国家元首とした憲法に則った国家体制」
 だったのだ。
 それを、今度は、
「国民一人一人に主権のある憲法に則った、民主国家」
 というのが、新しい政治体制だった。
 そのため、憲法の三原則として、
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
「戦争放棄」
 ということが謳われるようになった。
 最後の原則は、
「平和主義」
 とも言い換えることができ、
「日本は、再軍備を行わない」
 ということが、謳われたのだ。
 しかし、時代はそれを許さず、周辺諸国、特に朝鮮半島、中国などが、徐々に社会主義化することで、アメリカを中心とした連合国が考えるようになり、日本に、
「警察予備隊」
 なる、当時としては、現在の自衛隊の前身となるものを作った。
 ただ、そこには、専守防衛という、
「もし攻められても、守るという、いわゆる、防衛手段しか取れない」
 という中途半端なものだった。
 だから、時代が少しずつ流れてきてはいるが、基本的には、今の自衛隊というものの大きな任務としては、
「災害が起こった時の救助」
 というのが、一番大きな問題なのである。
 だから、そんな自衛隊に、国民を統率するほどの力があるわけではない。いくら、国民がパニックになったからといって、武力で制圧するということはできない。
 憲法による、
「基本的人権の尊重」
 ということもあり、主権者である国民を縛ることは、法律的にできず、抑えようとしても、国民を抑えつけるというようなマニュアルもなければ、訓練もしていない。
 本当に抑えつけようものなら、一定数の逮捕者を出したり、威喝的な行為を用いて、人民を脅迫するだけのことをしないといけないだろう。
 大日本帝国時代は、教育において、
「有事の場合は、政府や軍において、一定の権利をはく奪され、はく奪された状態で、さらに、国民が一致団結して、国家の目的邁進のために、行動しなければいけない」
 ということを教えられていた。
 つまりは、平時であれば、憲法上のすべての権利が許されていたが、有事、つまりは、
災害などでは、
「治安維持のために、軍のいうことを聞いて、混乱しないようにしないといけない」
 ということであるが、戦争などにおいては、
「天皇による、宣戦布告の詔によって、国民、いわゆる臣民というのは、宣戦布告によって、できた敵国に勝利するために、少々の権利を抑制される」
 ということである。
 つまりは、戦争に勝つために、政府は国家を上げての、
「戦時体制」
 となり、特に先の大東亜戦争などでは、空襲に備えた、被災を最小限に抑えるということで行われた、
「建物疎開」
 なるものなど、その例としては大きなものだったであろう。
 これはどういうことかというと、爆弾や焼夷弾が落ちた時、周囲に誘爆して、街中が、大火災に覆われて、都市が全滅しないように、都市を、歯抜け状態にしておくというもので、密集地などでは、自治体や政府などが制定した区画内の候補地の家は、
「建物疎開」
 という名目で、強制的に壊されることになった。
 どこまで補償してくれるのか分からないが、そもそも、戦時体制で、国家も軍も、ただ、
「戦争に勝つ」
 という目的を大前提に行っていることなので、政府が一臣民に対して、保証をいちいちするなどということはありえなかったことだろう。
 そんな今から考えれば理不尽なことが平気で行われていたのだ。
 もっとも、戦争なのだから、どんなに詭弁を弄しても、結局は、
「殺し合い」
 であることに変わりはない。
 そうなると、日本という国、かつての大日本帝国という国は、臣民もそれらのことを、
「当たり前のことだ」
 というような教育を受けてきて、
「天皇は、神として君臨し、あくまでも、日本国を統帥している」
 ということだったのだ。
 今の時代の天皇は、
「象徴」
 であり、権力いわゆる天皇大権と呼ばれるものは、一切なくなってしまった国だったのだ。
 そんな国だから、有事なるものは存在しない。だから、
「都市閉鎖」
 ということを、
「物理的にも、法律的にもできない」
 ということになるのだった。
 そんな時代であったが、日本という国も、そこから約10年くらい前に、
「世界で流行はしたが、幸いにも日本では大きな流行もなく、世界的にも比較的短期間で収まった」
 と言われる、パンデミックに襲われた時代があった。
 その時代に、政府もさすがに、
「このままでは、もし、大きなパンデミックが起こったら、今の法律の中では抑えきれない」
 ということで、今の憲法内でできるだけの苦肉の策としての法律を制定したのだった。
 もちろん、
「そんなことが起こらないという祈りを込めて」
 というものであったが、幸か不幸か、本当にそんな時代が訪れたのであった。
「まさか、起こるにしても、こんなに早く起こるとは思っていなかった」
 と誰もが感じているに違いない。
 完全に流行は、全世界レベルに広がり、
「世界中、どこにも逃げられない」
 という状況になった。
 そのため、入国制限であったり、学校閉鎖などということでの、
「蔓延防止」
 という策を、取るしかなかったのである。
 その方法としては、
「都市閉鎖」
 というものに近い形ではあるが、実態は、
「強制も、罰則も設けない」
 という、あくまでも、要請単位のことでしかできなかったのだ。
 何といっても、
「日本という国は、基本的人権というものを、憲法が保障しているからであり、日本には、有事は存在しない」
作品名:つかさの頭の中 作家名:森本晃次