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つかさの頭の中

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「世の中というのは、自分の意識と、どこまでか、並行して走るものを見せられているのかも知れない」
 と言えるだろう。
 そんな夢の中で一つ意識しているものがあった。
「夢の中で、何か危険なことが起こらないと、なかなか行動を起こせない」
 と考えたことであった。
 これは、ある程度誰にでも、その意識は、生きてきた中で、どこかで感じたことであると思うのだが、一番強い意識として、共通性を感じられるのは、時期としては、小学生、中学生の頃のこととして多いのは、
「夏休みの宿題」
 というものであろうか。
 というのも、夏休みの宿題というと、まず、ほとんど誰もが意識することとして、
「夏休みの最終日というものを意識するようになると、宿題が残っていることに気づくようになり、気が付くと、切羽詰まってきて、やっと重い腰が上がる」
 というものだ。
 ただ、それも時期による。
「最終日まで、ある程度余裕があると思って動いている人」
 あるいは、
「最後の一日になって慌てふためく人」
 あるいは、
「ギリギリにならないとやらない人」
 などに別れるだろう。
 前者であれば、慌てることはないが、後2つに関しては、余裕があるわけではない。最後の一日になってしまった人は、間に合わせるのは、ほぼ絶望的である。
 昔であれば、
「家族に手伝ってもらう」
 などということをする人もいるだろうが、それも、かなり恥ずかしいことだ。
 下手をすれば、
「プライドをかなぐり捨ててのことであるから、本当に、背に腹は代えられぬ」
 という意識になるであろう。
 ただ、ここまでくると、
「実際にやる気があるのか?」
 ということになると、難しいことだろう。
 そもそも、最終日にならないとやらないというのは、最終日になるまで、宿題というものを意識していなかったということなのか、自分の中では、最終日であっても、慌てれば何とかなるとでも思っているのか。何と言っても、夏休みの時間、毎日コツコツできるくらいことで、ちょうどいいくらいの量なのだから、一日でできるなどという発想は、そもそも無理があるといってもいいだろう。
 そういう意味で、最後のパターンは、逆に、自分の中で、最初から宿題というものは意識しているが、最初から毎日コツコツするという意識はないようだった。まずは、そういうことができる性格ではないということなのだ。
 しかし、意識しているので、
「最後まで無理なくできるのは、いつなのか?」
 ということを逆算する力を持っていて、その通りにできる自分を実際に意識しているわけではない。
 無意識の行動なのだが、その無意識というものが、実は、
「一つの法則によるものではないだろうか?」
 ということが考えられたりする。
 本当は、そういう理論ではないのかも知れないが、法則の意識を個人個人のレベルにまで落としていくと、ちょうど、
「夏休みの宿題」
 というあたりがちょうどいいということになるのだろう。
 この法則というのは、
「パーキンソンの法則」
 と言われるもので、
「役人の数は、仕事の量とは関係なく、膨張するものだ」
 というものだった。
 この最初の段階の解釈として、
「仕事の量は完成のために与えられた時間をすべて満たすにまで膨張する」
 というものだった。
 これこそ、
「夏休みの宿題」
 というものにも言えるもので、これはいわゆる、
「辻褄合わせの発想」
 ともいえるものではないかと感じるのは、少し、危険な発想であろうか。
 もちろん、夏休みの宿題だけにいえることではなく、この発想の派生型として、この、
「パーキンソンの法則」
 というものを考えた時、浮かんでくるものとして、子供の頃に見た、特撮番組があったのだった。
 その特撮ヒーローというものは、
「巨大化ヒーローものの特撮番組」
 ということであり、つまりは、
「変身する」
 ということが不可欠なものだった。
 要するに、
「何を使って変身するか?」
 ということが、変身をテーマにした話では、初期段階で問題になることである。
「ベータカプセルを焚く」
「目の形をしたアイテムを目に当てることで変身する」
 などといろいろあるが、特異なものとして、
「主人公が、自分の意思ではなく、本人が何かの危機に陥った時、自然と変身する」
 というものもあった。
 自分の意思に関係なく、危機に陥った時に変身するということは、逆にいえば、
「危機に陥らないと、返信できない」
 ということに繋がるのだ。
 要するに、
「ここで変身したい」
 と主人公が考えた時、
「自ら、危険の中に飛び込んでいく」
 ということをしないと、変身できないことになる。
 つまりは、まわりから見ていて、
「まるで自殺行為だ」
 と思わせるようなことになりかねないということになる。
 しかし、毎回毎回、危険に飛び込むようなことをしていれば、さすがに、まわりの人も、
「何かおかしい」
 ということで、主人公が、ヒーローなのではないか? と思われても仕方がないだろう。
 何と言っても、
「主人公が危機に陥った時、ヒーローが待ってましたとばかりに現れる」
 というのだから、毎回続けば、怪しまない方がおかしいといえるだろう。
 しかし、特撮ヒーロー番組というのは、ある程度曖昧なところがある。
 というのは、話の内容は、一話完結であるが、それは、その時の事件に対して、一話完結なのであり、
「地球の平和を守る組織の存在」
 と、さらには、
「それを助けて直接怪獣と戦うヒーローを描いた物語だ」
 というテーマには変わりはないのだ。
 だから、
「一話完結ではあるが、毎回シチュエーションが違うというのは、刑事ドラマなどと同じで、毎回のストーリー展開に違いはないということで、前回登場した今回の話とは一見関係のないキャラクターが出てきても、違和感がない」
 ということで会ったりもするものだった。
 だから、このヒーローが、
「毎回、自分から行う自殺行為」
 というのも、毎回の始まりの前に、リセットされると考えると、
「時系列にはなっているが、そこに時間としての見えているような、時間のつながりはない」
 といってもいいのではないだろうか?
 それが、
「パーキンソンの法則」
 と重なって考えることによって、
「本当の危険に到達するまで、誰がそれを判断するのか分からないが、最初からなかったという設定であった主人公の意思は、主人公が、危機に陥るたびに、感覚がマヒしてくるのか、主人公の意思が存在しないと、変身できなくなる」
 と考えるのはおかしなことであろうか。
 つまりは、
「変身するためには、主人公の意識を、変身できるために高める必要がある」
 ということなのであろう。
 変身するために、膨張させた意識は、夏休みの宿題を終わらせるために膨張させたエネルギーであり、これこそが、時間と結論への辻褄合わせと考えられるのではないだろうか?」
 それがパーキンソンの法則であるとすれば、夢の中で
「怖い夢しか覚えていない」
「ドッペルゲンガーの嫁を見てしまう時が、その存在を知らなかった時でも、知っていたかのような錯覚に陥る」
 ということで、
作品名:つかさの頭の中 作家名:森本晃次