小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

つかさの頭の中

INDEX|19ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

「ある男が数人で、船で旅行に出たのだが、その時に遭難してしまい、どこぞの無人島に流れ着いた。そこで、彼らは生き残るため、死んでしまった仲間の肉を食べて生き延びようとしていたのだが、そのうちの一人が、そんな非人道的なことはできないということで、仲間の肉を絶対に食べようとしなかった。だが、それを見かねた一人が、スープにして、それをウミガメのスープだといって食べさせた。そして、その男は生き残ったのだが、それから、中華料理屋に行って、本物のウミガメのスープを飲むと、前に飲んだ時と味が違うということで、男はすべてをそこで悟り、良心の呵責からか、自殺してしまった」
 ということである?
 それを、背景や心理的な描写を一切言わず、情景と結果をいうだけで、
「なぜでしょう?」
 ということになるのだから、質問をして、真相に近づかないと、回答が出るわけはないのだった。
 この遊びを、
「ウミガメのスープ」
 といい、別名として、
「水平思考クイズ」
 ということになるのであった。
 そんなクイズの元になった話の中に出てくる。
「船が遭難して、無人島に辿り着き、そこで、生きるためのサバイバルを行う中で、死んだ人間の肉を食べるということが道義上問題はないのか?」
 というのが、本当は問題であるが、似たような話として、もっとリアルなところで、
「遭難した船には、救命ボートがいくつも載せられていたが、実際には、全員分があるわけはない。実際には、5人乗りが10台くらいあればいいところであろうが、実際の客や乗組員を合わせて、どれだけの人数になるのか?」
 ということを考えれば、とてもではないが、賄えるわけはない。
「乗組員だけでも、全員いきわたるかどうかわからない」
 というものであった。
 しかし、皆必死に助かろうとして、5人乗りのところにたくさんが密集してくる。5人があっという間に乗り込むと、後の人も助かりたいとして、必死にしがみついてくる。定員が5名だということが分かっているので、必死にすがってくる人をはねのけようとするだろう。
 力尽きて死んでしまうのだが、その時、船に乗っていて助かりはしたが、
「自分が助かろうとしたために、他の仲間を見捨ててしまう行為は、果たして罪になるのだろうか?」
 ということである。
 結論からいうと、罪にはならない。
「その人たちが載ってくれば自分が危険に陥るということで、その状況が立証されれば、法律的には、
「緊急避難」
 ということで罪にはならないのだ、状況としては、
「正当防衛」
 と同じ括りになっている。

                 大団円

「緊急避難」
 というのは、
「急迫な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害したり危難を生じさせている物を破壊したりする行為であり、本来ならば法的責任を問われるところ、一定の条件の下にそれを免除されるものをいう」
 のことである。
 したがって、このお話の行為は、この緊急避難に当たり、殺人には当たらない。ただし、この男が人肉を食らうか食らわないか? という問題とは、一線を画していて、精神的に良心の呵責に苛まれるということと、どういう関係があるのかということが問題になってくるのであった。
 さらに、この話を読んだ時、つかさは、
「最後に自殺をしたというのは、本当に、本人の意思だったのだろうか?」
 ということも考えていた。
 何かの自分でもよく分かっていない力が働いて、それで、自殺をしてしまったのではないかと考えるのだ。
 というのも、この考えは今に始まったわけではなく、
「人間が自殺をするのは、本来は自分から死ぬ意思がなかった場合に限るのではないか?」
 と考えていた。
 本当に、自殺というものを考える人間がいて、実際に自殺を試みる人はいるが、
「人間は本来、自分で自分を殺すことは不可能だ」
 という、極端な考えをつかさは持っていたのだ。
 つまり、
「死を意識して、死のうとした人間は、死ぬことができず、自殺のように見える人は、本来は、その時に自殺をしようと思ったわけではない」
 というものだ。
 だが、心の中ではいつも思っていて、実際にかつて自殺を試みた人に限って、その現象が起こるというものだ。
 この現象というのは、
「自殺菌」
 という、
「菌が原因ではないか?」
 と、つかさは考えていいた。
 もちろん、つかさだけで考えたものではなく、以前何かの本を読んだ時、
「人は自殺をする原因の中に、自殺菌によるものというのがあるのかも知れない」
 というのがあったのだ。
 つまりは、死にたいと少しでも感じた人に、忍び寄ってくる菌であり、実際に、状況としては、
「自殺を試みても無理もない」
 と自殺をする理由が存在する人にだけ伝染するものなので、見た目は、
「まさか菌によるものだなんて」
 などということは分かるわけはない。
「木を隠すなら森の中」
 まさしくその通りである。
 だが、つかさは、さらにそこから気持ちを進化させ、
「自殺する人は、必ず、自殺菌というものが最後には助けないと、中途半端で終わってしまう」
 という考え方だ。
 というのも、
「もし、自殺を試みようとしても、中途半端に終わってしまったとすれば、そのせいで、後遺症が残ったり、下手をすれば、植物人間のようになってしまったりすれば、本当に最悪である」
 と言えるだろう。
 言い方に問題があるかも知れないが、
「死んでしまうのであれば、一思いに死なないと、苦しむのは自分である」
 ということになる、
 だから、人間が自分の意思で死のうとするのは無理があり、背中を押してくれる存在がなければ、自殺などありえないということなのだろう。
 そして、自殺をする時というのは、
「覚悟がないのだから、本人にとってはあっという間のことであり、まわりから見れば、なぜ今なのか?」
 と考えてしまうことだろう。
 それを思うと、この
「自殺菌」
 という菌は、
「本当は悪い菌なのではないのではないか?」
 と考えるのであった。
 死ぬという覚悟の背中を押してくれるものであり、それがただ、
「覚悟をしている時」
 であるがどうかは別であるというものだ。
 それもそうだろう、自殺菌に対しては、本人の意思が働いているわけではない。自殺をしようと思っている人の背中を押すだけということだからである。
 そんなことを考えていると、
「自殺菌というのは、本当は悪いものではなく、人を死に至らしめるということが、悪いというのであれば、その存在は、必要悪だといえるのではないか?」
 ということになると、思うのだった。
 自殺をするのが、
「いい悪い」
 の問題ではないという考え方があるのであれば、自分にとって、
「苦しまずに死ぬことができる」
 という目的に対しては、一番有効であろう。
 確かに、自分の意思で、覚悟を持っている時であれば、死に直面した時、
「楽に死ねる」
 と思うのだろうが、
 考えてみれば、覚悟は絶えず持っていて、それを自分が自ら行わないということであれば、本当に一思いに死ぬことができるというものである。
 そんなことを考えていると、
作品名:つかさの頭の中 作家名:森本晃次