小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

つかさの頭の中

INDEX|18ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

 という意識であった。
「空を飛びたい」
 と感じることが、悪いことではないという意識はあるはずなのだが、実際に、夢の中で感じたとすれば、
「そんなことができるはずはない」
 という思いから、必死で、見ようとしているものが何であるか、考えてみた。
 すると、飛蚊症が、こめかみのあたりで、脈を打っているのを感じてきた。
「ヤバイ」
 と感じたのだが、この感覚は、
「足が攣りそうになっているのを、意識してしまった」
 ということを思い出すものであり、
「一度、感じたことは、身体が憶えているのか」
 それとも、
「意識が憶えていた身体を刺激するのか」
 足が攣りそうな時が分かるように、飛蚊症で、見えにくいことになった時というのは、
「この後に激しい頭痛が襲ってくる」
 ということと、
「それだけでは終わらない」
 という意識を感じさせるというものであった。
 こめかみが脈打っているように感じると、首筋がまるで肩こりの時のように感じられると、
「この肩こりが頭痛を誘発している」
 と感じさせると、
「痛みの最初は首筋からだ」
 ということが分かってくる。
 そして襲ってきた頭痛は、他の症状も一緒に運んできたのであるが、その症状というのは、
「吐き気のようなもの」
 だったのだ。
「頭痛だけでも耐えられないのに、吐き気まで」
 と思うと、
「できれば一つにしてほしい」
 と感じることで、頭の痛みがマヒしてくるのを感じた。
 しかし、この頭痛というのは、
「まるで頭が虫歯にでもなったかのような、激しい痛みだ」
 ということが分かる、
 最初に痛みの元が、
「虫歯のような脈打つ痛みだ」
 ということが分かると、意識的に、
「痛みを感じないように、感覚をマヒさせよう」
 と考えるのも、無理もないことなのかも知れない。
 頭痛という痛みが、脈とともに、次第に感覚がマヒしてくると、
「やっと、呼吸が整ってくるような気がする」
 というものだった。
 それまで見えにくかった感覚も次第に見えてくるようになり、その先に見えるものが、次第に分かってくると、今度は新たに襲ってくるものではなく、先ほど感じた気持ち悪さが、
「嘔吐のようになり、吐き気を通り越しているのが分かってくる」
 ということであった。
「おえっ」
 と、呼吸困難の時であれば、そのまま吐き出すか、下手をすれば、飲み込んでしまうだろう?
 と思うようなことになりかねないと感じた。
 この嘔吐が、この症状の第二段階ということになるのだった。
 目が慣れてくると、今度は吐き気がひどくなるということだけが、意識として残ってしまった。
 ただ、頭痛も普通に意識にあったので、一度、
「目が飛蚊症になった」
 という夢を見たのだった。
 飛蚊症になったことで、そこから普通であれば頭痛に襲われるはずだったのに、
「頭痛に襲われた」
 ということを覚えていただけで、気が付けば、最初から頭痛だったのだった。
 頭痛に襲われたことで、今度は、心臓が脈打っている。
 最初は、こめかみの脈打ちだったものが、気が付けば、ある程度まで意識している中でのこめかみの脈打ちだったので、
「脈打ちというものが、夢の中の方が、規則的な脈を打っているようで、ある程度のゆっくりとした速度であることから、呼吸困難に陥ることはない」
 という気がしてきた。
 だから、意識が朦朧としてくることはなかった。
 たまにであるが飛蚊症からの頭痛が起こる時、脈が急に速くなったりして、意識が朦朧としてくることがある。
 夢の中だから、考えてみれば、そもそも、痛みも何も感じないのだから、感覚がマヒするほどの痛みを伴う頭痛を、思い出したくないという意識が、叶えられるのだろうか?
 痛みを感じることを、呼吸を整えることで、乗り越えられるという意識を持つのだから、呼吸困難というものが、どれほど苦しいものなのかということが分かる気がするのであった。
 さすがに、
「飛蚊症による頭痛」
 というのは、耐えられない痛みを、呼吸法で乗り越えるということのはずだったのだが、実際には、夢の中では、最初からマヒしている感覚を、ずっと自覚することで、自分が夢を見ているということが認識できることで、痛みを乗り越える」
 ということになるのであろう。
 ただ、呼吸が、整っていないとするならば、その勢いから、頭痛に襲われるということはない」
 と言えるのではないだろうか?
 飛蚊症の時は、呼吸を整えることで、痛みを感じないようにすることができ、それ以外の時は、呼吸を整えたとしても、その過程を把握することができなければ、
「痛みを緩和する」
 つまりは、
「感覚をマヒさせるということはできないのではないか」
 と考えさせられるのだ。
 だが、飛蚊症の痛みと、感覚がマヒしてしまうことで、痛みを感じないようにするというのは、本当の力技であり、脚が攣った時のような、
「無意識ではあるが、危ないという時は、とっさに気づくのだが、すでに手遅れだったのだ」
 しかも、脚が攣る時というのは、
「くせになってしまっている」
 というようなもので、その痛みに耐えかねていると、また痛みが襲ってくるということになるのだ。
 この時も、痛みは耐えられるおのではない。
「本当は、脚を曲げたりすれば楽になる」
 ともいわれるが、とてもではないが、脚を触りにいくだけの動きが取れないほどに、金縛りに遭ってしまってるのだ。
 それを思うと、
「足が攣らないようにするにはどうすればいいか?」
 ということを、自分で意識していて、
「危ない」
 と思うと、身体を動かすのを辞めるくらいの感覚でないと、何度も同じ痛みを味わうことになるのだった、
「飛蚊症の頭痛」
 と、
「足が攣る時の痛み」
 どちらがつらいというと、後者かも知れない、
 なぜなら、痛みが身体全体に派生するからなのであった。
 最近、學校で流行っている遊びがあった。それは、
「ウミガメのスープ」
 というクイズであったが、それは、一種の、
「水平思考クイズ」
 と呼ばれるもので、元々の発想として、
「男が中華料理屋で、ウミガメのスープを食したのだが、その後、男は自殺をしてしまった。なぜでしょう?」
 というクイズなのだ。
 要するに、出題は至極簡単、状況を説明しただけで、すぐに結論が出るのだ。だから、聴いた人は、何のことか分からない。
 だから、クイズとしては、
「回答者が、出題者に質問をして、真実に近づいていくしかない」
 というわけなのだが、質問者ができる質問は、
「イエス、ノー、関係はない」
 という答えしか導き出せない質問しかしてはいけない。
 だから、質問者としては、
「死んだのは、自殺ですか?」
 あるいは、
「他殺ですか?」
 などという質問しかできない。だから、相当数の質問を要して、やっと核心に近づいたことで、回答者が閃きで回答するというものだ。
 元雄との、発想としては、
作品名:つかさの頭の中 作家名:森本晃次