小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

つかさの頭の中

INDEX|10ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

「自費出版社系の会社による、詐欺事件」
 というものを聴いたことがあった。
 元々、そういう企業がブームとなったというのも、
「バブル崩壊」
 という時代背景からのことであった。
 バブルが弾けた時代というのは、時代を、まったく一変させた。
 最近であれば、
「世界的なパンデミック」
 というような感じであるが、あの時のバブル崩壊というのは、いわゆる、
「経済破綻」
 だったのだ。
 バブル経済と呼ばれる、
「実体のない、泡のような貨幣価値に裏付けられた社会経済だったので、神話のように信じられていたことが、今の世の中では、どうしてあんなことを皆が疑いもなく信じていたのか?」
 という時代だったのだ。
 何と言っても、銀行の運用がそうだったからであろう。
 当時の銀行は、今もそうなのだが、
「お金を融資して、その利息で利益を得ていた」
 ということである。
 当然、銀行は、相手の会社が借金に耐えられる企業かどうかということを審査して、融資を行う。しかし、バブル経済の再生機は、普通に会社を構えていれば、金が回っていくようにできていた。
 だから、
「開業している」
 というだけで、金を融資してもらえる時代だったのだ。
 もちろん、
「極端に言えば」
 ということであろうが、それだけに、銀行は融資に対しては、ケチるようなことはしない。
 もっといえば、
「1000万円を融資してほしい」
 と企業が言ってくれば、
「1200万円の融資をしましょう」
 と持ちかけるのだ。
 借りる方も、少しでも融資が多い方がいい。利子が増えたとしても、大丈夫」
 と言われる時代であった。
 なぜなのかというと、
「バブル時代というのは、事業を拡大すればするほど、利益が生まれる」
 と言われていた時代である。
 だから、人が限られているので、人手不足はあっても、よほど社員に何かの理由でもない限りは、
「クビにする」
 ということはありえなかったのだ。
 だから、
「リストラ」
 などという言葉も、昔からあったのかも知れないが、バブルが弾けてから叫ばれるようになったのだ。
「人員整理」
 というイメージの強い言葉であるが、本当は、健全経営という意味合いが強い。
 つまりは、
「無駄を省いて、収入と支出のバランスをよくして、健全経営をする」
 ということであったものが、
「無駄を省く」
 というところが独り歩きをしたのか、
「手っ取り早い無駄の省き方」
 として一番分かりやすいのが、
「人員整理」
 というものであり、実しやかに、
「リストラとは、人員整理のことだ」
 と言われるようになったのだろう。
 本当はバブルが弾けたことの教訓として言えるのは、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 ということわざにあやかっていることではないだろうか?
 バブルの時代には、
「事業拡大すればするほど、利益が生まれる」
 あるいは、
「銀行は絶対に潰れない」
 などと、今では考えられないようなことが信じられていたのである。
 今では、バブル経済と同じように、そんな伝説は弾けてしまい、それこそ、都市伝説のように言われるようになったといっておいいのではないだろうか?
 今では、
「信じられない」
 と思うほどの都市伝説を信じていたことで、結局弾けてしまった経済に対して、まったく何もできなかったのだ。
 後から冷静になって考えると、
「銀行が潰れない」
 などと、そんなことがありえるわけがないではないか。
 何しろ、過剰融資なるものが行われていたのだから、相手の企業が一つでも行き詰って、不当たりを出したりすれば、最初は小さな穴なのかも知れないが、それがいつの間にか大きな穴になっていることに気づかない。
 つまりは、何が問題なのかというと、
「気づかない」
 ということが問題なのだ。
 そこには、
「やりすぎ」
 というものが潜んでいて、
「誰も気付かない」
 という、集団意識の恐ろしさが絡んでくることで、その結果、内部からどうにもならない状態になっていくということが分かっていないのだった。
 だから、本当は恐ろしいのは、
「反動に対して、反動をそのままぶつけると、今は勝てるかも知れないが、今度は、そちらの勢いが強くなり、バランスが取れなくなってしまう」
 ということである。
 これこそ経済学の基礎というものではないだろうか?
 これは、
「不況と、インフレのバランス」
 ということを考える上でも、同じ経済の基本ではないだろうか。
 インフレというと、モノがないという状態が続くことで、
「貨幣はあっても、モノがないので、お金の価値が、一気に下がる」
 というものである。
 ということは、
「いくらお金を持っていても、紙屑に等しい」
 ということで、昔の、
「ハイパーインフレ」
 と言われていたような時代などは、
「今だったら、100円で買えるくらいの一切れのパンが、100万円かかっても、買えない」
 というものである。
 今のように、物資が溢れている時代では分からないだろうが、戦時中であったり、戦後の物資がない時代などは、それらのモノは、すぐに売り切れたり、金のある連中にすぐに買い占められたりしてしまい、さらにそれを高価で売ろうとするのだから、
「お金がいくらあっても足りない」
 というものであった。
 逆に不況というものは、まったくの逆で、
「世の中に、物資が満ち溢れているのだが、お金がない」
 という状況である。
「物資が溢れているので、そこまで企業も人手不足ではない。逆に、人件費などで、支出が多くなると、企業の貯えが少なくなる」
 ということで、企業は、不況であれば、人斬りを始めるだろう。
 さらに、給料は当然のことながら、上がらない。ただ、その分、物価も安いというわけだ。
 しかし、経済が回っているかというと、回っていない。モノがあってもお金がないのだから、誰もお金を使うことを考えないだろう。
 つまり、
「インフレと不況は正反対のものであり、例えばインフレになれば、インフレ対策を政府や日銀などが行うのだが、気を付けてやらないと、今度は、不況になってしまう」
 要するに、バランスが問題だということになるのだ。
 このバランスというのは、何も経済に限ったことではない。他にもいろいろと考えられるものである。
 それだけ、世の中に存在しているものには、
「バランスが大切だ」
 というものがほとんどだということであろう。
 バランスを保つことで、世間が回っている。
 そもそも、世の中に、自分一人しかいないのであれば、バランスなるものは、自分の体内だけのものになるのだが、複数の人が同じ人間として、いや生物として暮らしているのだ。
 そのことが、
「バランスを必要とする」
 ということになるのだが、そんなことは、誰にでも分かっていることなのではないだろうか?
「人との付き合いは、バランスであり、それを間違えると、何もできなくなることであろう」
 と言えるのではないだろうか?
 そういうバランスという意味で考えてしまうのが、
「つり橋の途中にいる自分」
 であった、
 なぜ、その場所にいるのか?
 ということを聞かれると、
「夢を見ているから」
作品名:つかさの頭の中 作家名:森本晃次