矛盾による循環
夕方に差し掛かると、本当に日が暮れるまでというのが、どれくらいなのだろうか? これは人によって個人差があるもので、15分くらいに感じる人もいれば、30分だと思う人もいることだろう。
しかし、あっという間であることにかわりはなく、その間に、いろいろなものを見せてくれるのが、夕方というものだった。
日が暮れ始めると、まずは、風が吹いてくるような気がする。
その時初めて、
「ああ、日が暮れそうになっているんだ」
と感じるようになり、その風が、汗を冷やそうとするのだということを、理解する。
しかし、理解はできても、急激に身体を冷やそうとする寒気には勝てるものではない。湿気のせいで、身体にまとわりついた汗が、動かない身体を必死になって、動かそうとする。
その風が、そのうちに止んでくるという。いわゆる、
「夕凪の時間」
というものであるが、その時なのか、どちらが先なのか、
「モノクロに見える瞬間がある」
というのである。
モノクロに見える瞬間を、普通は意識することはない。
だから、
「夕方の時間になると、事故が多発する時間帯がある」
といっても、誰も、その原因については心当たりがないということである。
心当たりがあるのであれば、当然のことながら、それなりの対策を取るであろうし、もっと言えば、業者側も、事故防止の原因が分かっているということで、その対策を講じるようなものを作り出すことであろう。
それを考えると、
「夕方に事故が多いというのは、魔物に出会うという、都市伝説によるものではないのだろうか?」
と、実しやかにウワサされているに違いない。
だが、一つ気になるのは、交通事故というのが、今の時代においてのものであるということである。
実際に車の文化が日本に入ってきたのは、明治の頃で、本当に交通戦争などと言われるような時代になってきたのは、昭和以降ではないだろうか。
それを思うと、
「魔物に出会う」
などという、都市伝説的なことは、せめて明治時代くらいではないかと思うと、
「逢魔が時」
と、
「交通事故」
との関連性は、薄い気がするのだ。
それを結びつけて考える方が、ある意味、どうかしているというようなもので、
「ひょっとすると、明治時代にも、交通事故が、深刻な社会問題だったのかも知れない」
と感じるのだった。
その頃の、いわゆる、
「逢魔が時」
と呼ばれる都市伝説と、人間の中に存在している、鬱状態という精神疾患のようなものが、結びついているとするならば、
「躁うつ病というのは、かなり昔から存在していたのかも知れない」
と思うのだ。
もっとも、鬱状態と、都市伝説が結びついているという順平の勝手な思い込みから、そんなことが考えられるのであった。
占い師と手品師
躁鬱病というのは、いつの間にか意識することがある。それが、前述の、
「夕方における逢魔が時」
というものを、自分の中で意識するようになる時であった。
逢魔が時を挟んで、昼と夜を考えた時、
「昼間は、意識が暑さで朦朧としているので、信号機の色が曖昧に見える」
という感覚だった。
赤信号が、ピンクかかって見え、さらに、青が緑に見えるのだ。
それは、太陽の光と、その角度によって変わるものではないだろうか。
光が強いほど、それだけ、目は、眩しさを避けようとする影響で、瞳孔を狭くしようとするのではないだろうか? 実際の色と違った感覚になるというのも、無理のないことである。
しかし、夜になると反対で、今度は、少しでも、薄暗い光をまともに見ようとする意識からか、
「赤い色はより赤く、青は真っ青に見える」
ということを意識させるのではないだろうか?
それを思うと、夜は、すでに身体が楽になっていて、その分、
「眩しさを意識することなく、前を見ることができる」
というものだが、逆に、限られた光の中で、色を認識しようとするため、
「錯覚を少しでもなくそう」
という意識が生まれてくるのではないだろうか?
それを思うと、
「夜によく見える」
というのも、理屈に合っているといえるのではないだろうか?
鬱状態の時は、夏の、感じ方が激しい一日を、凝縮した形で感じるのだろうと思うのだった。
そうやって、躁鬱と季節を考えると、
「鬱状態というのは、夏にばかりなっているように感じる」
ということであったが、それが錯覚なのかどうか、正直分からない。
「躁鬱の周期は、大体2週間」
という意識があることから、夏というのが、約2カ月だと考えれば、少なくとも4回の周期はあってもよさそうだ。
だが、躁状態の時、夏を感じないということは、それだけ、夏というものが、鬱状態の印象が強く、意識の中で感覚がマヒしてしまうほどに、
「夏といえば、鬱状態」
という先入観のようなものが、渦巻いているのではないだろうか?
「では、冬は躁状態を意識するのだろうか?」
と言われば、そんなことはない。
躁状態の時、鬱状態の時、どちらも意識できるものであった。
それだけ、冬はどちらかが意識が強いということはなく、
「感覚が均衡しているということではないだろうか?」
といってもいいだろう。
そんなことを考えていると、
「躁鬱症というのは、本当に二週間おきに繰り返されるものなのだろうか?」
と考えられる。
夏以外の季節は、確かに2週間周期のもので、意識が2週間というものを感じさせるのだろうが、夏という時期だけ、
「夏の間だけは、ずっと、鬱状態になっているのではないか?」
と思えたのだ。
「その時は、躁鬱の境目が暑さのために曖昧になっていて、それだけに、その理由を暑さと、汗がへばりついているあの気持ち悪さから、その理由付けに使っているのではないだろうか?」
と考えるのであった。
日本における四季というものと、人間の微妙な精神状態。それがいかに影響してくるのか、かなり無理のあることであるが、
「都市伝説が生まれたのも、躁鬱病を正当化しようとする報いなのではないか?」
と思えてくるくらいであった。
そんな躁鬱症というものが、昔からあったのだとして、医者に治せるものだったのだろうか?
「どの時代から、躁鬱症という病気があったのか?」
そして、
「どの時代から、精神病と呼ばれるものを治療する医者がいたのか?」
ということが正直、ハッキリとは知らなかった。
今の時代だから調べようと思えばできるのだろうが、どうもそこまで考えるようなことを、順平はしなかった。
要するに、面倒臭がり屋だったのだ。
そんな順平だったが、大学生の時、ちょっと占いに凝ったことがあった。
サークルで、
「占いサークル」
というものがあり、学園祭の時に立ち寄って、一度見てもらったことで、すっかりその魅力にひきつけられていた。
先輩が施してくれた占いが、恐ろしいほどに当たるからだった。
占い師には、いろいろな種類がある、
「タロット占い」
「星座占い」
「水晶を使った占い」
または、日本における、
「易者」
と呼ばれるような、籤を使った占いもあったりする。
順平が興味を持ったのは、