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矛盾による循環

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「飛び込み自殺では下りない」
 と考えるのが基本であろう。
 というのは、昔であれば、
「自殺では保険金は下りない」
 ということになっていたが、実際には、
「保険会社が認めれば下りる場合がある」
 という。
 その一つとして、
「自殺者が、判断能力のない場合での自殺」
 では下りることがある。
 また、
「保険金目的の自殺ではない」
 ということが前提だとすると、飛び込み自殺というのは、
「明らかにこれに当たる」
 というものである。
 ほとんどの人は、
「死亡保険」
 というものに入っている。
 自殺の理由にもよるのだろうが、
「借金を苦にしての自殺」
 ということであれば、明らかに、
「保険金目的だ」
 といっても過言ではない。
 そうなると、保険金は下りないといってもいい。
 だとすると、飛び込み自殺では、残された人に保険金が下りないどころか、元々の自殺の原因となった借金に、上乗せする形で、今度は、交通機関の賠償金が加算されることになり、下手をすると、家族が今度は、
「自殺をする」
 ということになるかも知れない。
 それを考えると、
「飛び込み自殺ほど、割に合わない死に方はない」
 と言えるのではないだろうか?
 それなのに、飛び込み自殺というものがまったく減らない。
 それどころか、近年のコロナによっての経済の冷え込みで、自殺者は増えているので、「余計に、飛び込みが比例して増えている」
 といってもいいだろう。
 それが、今の時代の、
「自殺というものの、現状だ」
 といってもいいのではないだろうか?
 ただ、ここで、一つ気になるのが、
「割に合わないはずの飛び込み自殺が、増えている」
 ということだ。
 確かに自殺を考える人には、
「冷静な判断能力がなくなってきている」
 と言えるのだろうが、少し冷静に考えれば、
「飛び込みが割に合わない」
 ということは分かるはずだ。
 それなのに、飛び込みに走るというのは、
「本人の考えに寄らない何かの力が働いているからだ」
 といってもいいのではないだろうか?
 つまりは、それが自殺菌というものの正体であり。自殺をするということが、どういうことなのかということを本人が理解していることも、難しいところである。
 そういう意味で、保険金の授受について、受け取れる理由であるところの、
「判断能力に欠けていた」
 ということであれば、保険金を貰えるということで、
「自殺菌なるものの存在が証明されれば、自殺した人は漏れなく、保険金がもらえるということになる」
 というものだ。
 しかし、この時、問題は、やはり、
「飛び込み」
 ということであろう。
「判断能力がない」
 ということが生きるのか、それとも、
「保険金目的ではない」
 ということが優先するのか、たいていは前者であろうが、保険会社は、当然、表からっ見た状況で、
「保険金目的だ」
 と判断するだろう。
 医者や精神科医が、
「判断能力がなかった」
 ということを証明でもしない限り、保険金を貰うことは難しいだろう。
 つまり、
「賠償金が絡む自殺は、保険金目的と疑われてしまう」
 ということになりかねない。
 逆にいえば、そんなことも分からないということで、
「判断能力のない犯罪」
 と言えなくもないということが、これほどの皮肉になるとは言えないのではないだろうか。
 しかし、自殺で保険金が下りるという発想は、基本的にはおかしいものである。だからこそ、昔から、
「自殺では保険は下りない」
 と言われていたのであり、今でも基本的にはそうなのだ。
 何と言っても、保険法という法律で決まっていることなので、後はその範囲内で、保険会社が、
「どのような内容の保険を作るか?」
 ということになってくるのであった。
 そのあたりを考えていると、
「自殺菌」
 というものの、信憑性も高くなっていくのではないだろうか?
 他の精神疾患であったり、心理的現象を、
「菌によるもの」
 と考えていくのであれば、
「死にたくなってしまう」
 という心境が、
「菌によるものだ」
 と考えるとするのであれば、それこそ、
「都合がいい」
 という考えになるのであろうが、そもそも、菌によって支配された人間というのは、ある意味、都合よく動くようになっているのかも知れない。

                 タイムパラドックスと、ロボット工学

「自殺菌」
 というものを考えていると、今度は、SFチックな話を考えるようになった。
 それは、鬱状態から、バーナム謳歌のような、洗脳というものを考えるようになり、洗脳されることなどを考えていると、
「都合のいい」
 ということが、何かの菌によるものだ。
 というような発想になるということを考えるに至ったのだ。
 そもそも、順平の頭の中は、一つのことから、いろいろ発想を巡らせていくことが多いのだが、それは、決して、放射線状に広がっていくものではない、
 どちらかというと、
「放射線状に広がりかかるものを、一つに絞って、そちらの方向を見ることで、自分が向かっている方向の中に、都合のよさが見いだせれば、その道が間違っていないということを考えるようになり、そこから、また新たな発想が生まれてくる」
 というものだった。
 しかも、その発想が、
「都合のいい」
 ということに気づいてからというもの、その先に出てくる発想は、完全に、自分の世界に入りこんでいるということで、無意識に、道しるべができたことで、無意識に、そして、自然に前に進んでいくのであった。
 だから、ここまでくれば、発想は、豊かになっているのであって、
「たぶん、いつも忘れてはいるが、前にも同じような発想をした時と同じポケットに入ってきてるんだ」
 と思えるのであった。
 この発想は、
「まるで、夢を見ているようであり、だからこそ、必要以上に意識することはないのではないだろうか?」
 と言えるのだった。
「バーナム効果」
 で洗脳され、自分が、
「自殺菌」
 にやられているのではないか?
 と思うようになると、一つ自分が被害妄想に陥っているのを感じた。
 その被害妄想というのが、どういうものなのかというと、
「カプグラ症候群」
 と呼ばれるものであった。
 これこそ、一種の、
「被害妄想の代表例」
 のようなもので、
「自分のまわりにいる人が、全員敵に見えているというような現象で、それが不安から来るものなのか、そのあたりは難しい」
 というところであった。
 これは、SF小説や、SF映画などのネタに使われることの多いもので、
「よく見知った人物が、見知らぬ他人に入れ替わっている」
 というものであった。
 それは、今まで信頼していた人物が信頼できなくなるというもので、
「精神疾患の一種」
 だと言われている。
 これも、
「自分を自分自身で洗脳している」
 と言えるのではないだろうか?
 これは、どうも、
「夢の現象に似ている」
 と考えることがあった。
 というのも、
「夢というのは、怖い夢だけを覚えているものだ」
 という意識があった、
「夢というものは、いつも怖い夢しか覚えていない」
 という感覚から、
作品名:矛盾による循環 作家名:森本晃次