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矛盾による循環

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「だったら、自分たちのポケットマネーで払えばいいじゃないか?」
 と思うのだ。
「金額が全然足りない」
 というかも知れないが、何も大盤振る舞いをする必要はない。
 その国のできる範囲でいいものを、
「武器を買うための金を供与する」
 など。暴挙もいいところである。
 日本という国は、そんなに自国民を犠牲にしてまで金をやるということになり、これから、どんどん、他の国に舐められ、足元を見られ続けていくことは、目に見えている。
 それを最初にやったのが、今のソーリということgt、数年後には、
「亡国のはじまりは、あの時のソーリだったんだ」
 と、国民も気付くだろう。
 しかし、その時には、
「時すでに遅し」
 ということになる。
 何といっても、日本だって、周辺諸国に脅威を抱えていて、
「防衛費の増額」
 ということで、増税だなどと言っているのだ。
 肩や、戦争の武器を買うために金をやって、肩や、国民には増税を強いる。
「何か間違ってはいませんか?」
 ということなのだが、ソーリ自体が、
「諸外国にいい顔をしたい」
 というだけのことで後先考えずにやっているのだから、
「救いようがない」
 といっても、過言ではないだろう。
 それを思うと、
「史上最悪のソーリ」
 という呼び声が出てきたが、それも無理もない。
 しかも、もっとひどいのは、このソーリは、前ソーリの、
「悪しき伝統」
 も受け継いでしまったのである。
 というのも、
「国民のほとんどが反対している」
 ということを、強行突破してしまうという伝統である。
 これは、
「政治家が一番やってはいけないことだ」
 と言えるのではないだろうか。
 というのも、
「日本という国が、民主国家である」
 ということだからである。
 民主国家というのは、基本は多数決である。
 つまりは、
「国民の過半数の反対があればできない」
 というものではない。
 もっと厳しいもので、
「国民の過半数の賛成がなければ、やってはいけない」
 ということになるのだ。
 だから、反対が40%であっても、どちらでもないという人が20%いれば、賛成派40%ということになり、過半数にいかないのだ。
 だから、いくら反対が過半数に行かなくても、賛成が過半数を超えていなければ、政府の方針にはできないということであった。
 それを、政府は、賛成が過半数いるどころか、反対がほとんどのことであっても、強硬にやってしまう。それは、前のソーリの、
「オリンピック強硬」
 という政策が、悪しき伝統となって、受け継がれてしまったといってもいいだろう。
 それを思うと、
「日本という国は、もうすでに、亡国に向かってまっしぐらなのではないだろうか?」
 と言えるだろう。
 そんなことを考えていると、今のソーリがどれだけひどいものかということが、どんなにバカな国民でも分かってくるだろう。
 以前は支持率が60%近くあったものが、今では、その半分にも満たない。
「政権維持のデッドライン」
 というところまで来ているのだが、いかんせん、衆議院の任期が、まだかなり残っている。
 ということは、
「ソーリが解散命令でも出すか、野党から出た内閣不信任案が可決されるか」
 あるいは、党内部から、
「今の政権に賛成できない」
 という意見が膨れ上がってくると、政府の解散は実現もあるだろうが、あまりにも、今の時点では、非現実的だ。
 問題は、
「この選挙のない時期に、どれだけの暴挙に出るか?」
 ということである。
 どんなにバカなソーリでも、自分が次期もソーリの座にいられるわけはないということを自覚していることだろう。
 だとすれば、後は、
「名前を残したい」
 ということで、いろいろなことを打ち上げてくるだろう。
 そこには、
「国民のため」
 などという考えはかけらもなく、結果、
「自分の名を遺す」
 ということだけのために、
「政府の私物化」
 ということに走るに違いないのだ。
 今のソーリはそういう史上最悪のソーリなのだ。
 これを、亡国と言わずして何というか?
 ということであろう。
 そんな時代において、ウイルスというものを、今まで知らなかった人も少しは勉強するようになった。
 病気の中でも、
「ウイルス」
 と、
「菌」
 というものによる、伝染病というのが、いくつかあることも学んだ。
 大きく分けると、この二つであり、それぞれに違いはあるのだろう。一般的に、
「その構造上の違いから、細菌は細胞のようなもので、ウイルスは、物質に近いという、そういう意味で、ウイルスには、抗生物質は効かない」
 と言われている。
 病気をもたらすもので、
「ウイルス」
 というと、
「インフルエンザであったり、最近流行の新型コロナと呼ばれるもの」
「細菌」
 というと、
「結核であったり、コレラなどの伝染病」
 もあるが、細菌の場合は、
「すべてが悪いものだ」
 というわけではない。
 組織が、
「細胞」
 からできているのだから、身体にイイと言われる細菌だってあるのだ。
 たとえば、
「ビフィズス菌」
 などと言われるものもあり、キノコなどの胞子植物の中には、クスリとして使われるものもあったりする。
 ウイルスと呼ばれるものが、細菌は、猛威をふるっている。
 いわゆる、
「世界的なパンデミック」
 と言われるものが、
「新型コロナウイルス」
 であり、やっと、2年目くらいに、ワクチンなるものが、突貫で開発され、
「さまざまな副反応が起こる可能性がある」
 ということで、賛否両論で、いろいろ別れたが、基本的には、
「ワクチン効果か、それほど大事には至っていない」
 と国は発表しているが、本当であろうか?
 国の発表と、実際に罹った人の話では、
「天と地」
 ほどの差があると言われているので、どちらが信じられないかと言われれば、間違いなく、
「政府発表」
 ということになるであろう。
 実際に、ワクチンの接種率は、高齢者、基礎疾患がある人、医療従事者などは、かなりのものだが、40代以下ともなると、全滅に近いくらいである。
 要するに、政府発表に信憑性や、一貫性がないから、誰も政府を信用などしないのだ。
 まあ、もっとも、
「今のあの政府で、誰が信用などするというものであろうか?」
 ということなのである。
 実際に罹った人の話では、
「病院は、ほとんど何もしてくれない」
 という。
 以前、政府が、
「特効薬として飲み薬がある」
 といっていたが、医者は、
「高い」
 という理由で、使用しようとしない。
 完全に最初からないものと同じだ。
 しかも、
「特効薬があるから、もう大丈夫だ」
 と確か言っていたはずだったのだが、
「ないに等しい特効薬だ」
 ということを政府は分かっているのだろうか?
 いや、分かっていて、確信犯として、言っているだけではないかとも思える。そうなると、もう、誰も政府に対して、信頼を感じる人などいないだろう。
 要するに、
「政府は国民の命はどうなってもいい」
 という考えで、結局、
「自分の命は、自分で守らなければいけない」
 ということになるのだろう。
作品名:矛盾による循環 作家名:森本晃次