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悪党選手権

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 その時間から逆算すれば、先生が通り過ぎるはずだった時間の、約5分くらいということになる。直線距離にすれば、先の方にかすかに見えるかも知れないというくらいの距離だっただろう。
 もちろん、その間に、何組もの生徒が通り過ぎている。誰も彼らの様子がおかしいということに気づかなかったのだろうか?
 先生は、そう考えたが、先生も、自分が担任だから、生徒の異変に声をかけたのだし、まったく関係のない人であれば、
「果たして、声を掛けたりなどするだろうか?」
 と考える。
 そして、
「そもそも、生徒たちの異変にも気づいていないかも知れない」
 とも思った。
「それほど、他人が何をしていようが、気にしない世の中になったのか?」
 とも思ったが、こんなことは今に始まったことではなく、そんなところで何かが起こっているなどと思いもしないだろうから、下手に声をかけて、
「学校や会社に遅刻したら、バカバカしい」
 と思ったことだろう。
「相手が子供だから」
 というわけではない。
 相手が大人だって同じことだ。
 大人も子供も変わりない。本当に、このあたりで、何かが起こったという話を聴いたこともなかった。
 しかも、ラミネート版が張り巡らされていて、その向こうは発掘現場だ。少なくとも、自分たちとは違う世界のことである。
 警察がやってきたのは、通報してから、15分くらいだった。とりあえず、110番したが、何がどうなっているのか、説明もつかないので、とりあえず来てもらうことにした。
 先生は、その間に学校に連絡を入れ、遅れる旨の話をし、学校側も、本人が訳も分からない状態にて、承知するしかないという状態だったのだ。
 そんな状態において、社会人になってから、いや、学生時代にも、こんな不可思議な緊張感は初めてだった。
 小学生の頃は、結構いろいろなことに興味を持つ少年で、
「もし、自分が小学生の頃だったら、あの子たちと同じで、俺が一番最初にこの状況を見つけたかも知れない」
 と感じたほどだった。
 先生の頃も、子供の頃は集団登校だった。
 先生の頃の方が、正常はおかしな時代で、何しろ、時代的には、
「世紀末」
 と言われた時代、世情がややこしい状態だった。
 その世情というのは、恐怖を煽るような、まるでホラー小説的な猟奇犯罪も、結構あり、「猟奇犯罪と世紀末というものに、何か関係があるのか?」
 ということを思わず考えさせられてしまうのだった。
 最近でも、猟奇犯罪というのが減ったわけではない。猟奇犯罪というよりも、凶悪という意味では、いろいろ増えてきた。
 それも、
「動機なき殺人」
 というのが多くて、特に犯行が残虐になってきたのは、通り魔的な犯罪に見えるからだった。
 しかし、そういう意味では、今の時代は、通り魔というよりも、被害者と加害者の間に何らかの関係があり、しかも、その殺し方が、いかにも恐ろしいものが多かった。
 ナイフで突き刺す時など、何度も何度も刺したり、殴る蹴るなど、当たり前の行為のようだった。
 だから、殺された人も、
「まさか、自分が殺される」
 などということを分かっていたのだろうか?
 と感じるのだった。
「気が付けば死んでいた」
 という言葉が、似合うというもので、
「殺されたことも分からない」
 というのは、昔のドラマなどであったような気がする。
 そのドラマというのは、死んだ人が、
「死後の世界」
 へ行く前に、それぞれの門があるというのだが、特に、
「変死」
 だったり、
「殺された」
 という人が行くところの門の前にいるという人が主人公だった。
 そこにやってきた人が、自分が殺されたということどころか、死んだということすら分かっていないようだった。
 だから、まずは、
「本人が死んだ」
 ということを自覚させるところから始まるのだが、本当に死んだ人は、
「自分が死んだのだ」
 ということを認識しているものなのだろうか?
 それを考えると、死んだ人に、
「どうやって死んだのか?」
 ということを思い知らせるのだから、
「あまりいい役ではない」
 といってもいいのかも知れない。
 それを思うと、生徒の代わりに、警察と相対しないといけないと思うことで、憂鬱にならないまでもない。
 しかし、
「これも先生としての仕事だ」
 と思うと、それも仕方ないことなのではないかと思うのだった。
 警察が、やってきたのは、その時だったのだ。
 まあ、15分くらいというと、普通にそんなに長い待ち時間というわけではないのだろうが、気が付けば、来ていたのだった。
 しかし、その感覚は、15分よりもかなり長く、その長さは、
「一度、感覚がマヒするまでになっていて、それが一周して戻ってきた」
 というほど、大げさに聞こえるほどだった。
 だから実際には、1時間近くも待っていたような気がするくらいで、
「学生の頃、好きな女の子をデートに誘い、来るかどうか分からないという気持ちの中で、待たされていた」
 というくらいの気持ちになっていたのだった。
 あの時と、今回での一番の違いとして、
 彼女に対してであれば、
「いつになってもいいから来てほしい」
 という思いと、
 警察に対してであれな、来るというのは確定しているので、
「なるべく早くきてほしい」
 という思いであった。
 つまり、
「待ち人ではあるが、来る来ないの問題から、さらに、来るのが分かっている場合は、とにかく早く」
 ということで、結果、求めているものがまったく違うということであろう。
 来てほしいということを中心に考えていると、待っている間がリアルに、
「なかなか時間が過ぎてくれない」
 と感じるが、
 来るのが分かっているものに対しての待ちわび方というのは、感覚がマヒしていて、気が付けば来ていることに、自分の中で苛立ちを覚えることで、結果、
「もっと、どうして早く来ないんだ」
 という苛立ちに繋がるのだった。
 さて、そんな精神状態の元、警察がやってくると、今度は別のスイッチを入れなおさなければならない。
 何と言っても、相手は国家権力だ。
 しかも、こっちが呼びだしたのだから、待たされても仕方がないと思うと、それまでの苛立ちを一度リセットさせて、刑事と相対するということに集中しないといけないだろう。
「まるで、刑事ドラマみたいだ」
 と、刑事ドラマを見ている時は、
「一生の中で、警察と相対するなど、一度あるかないかだろう」
 と思っていたので、
「そんなあるかないか分からない確率のものを、ずっと気にしているほど暇じゃない」
 ということで、刑事ドラマを見ていても、完全に他人ごとだった。
 昔の刑事ドラマなどを有料放送でやっていたのを見たこともあったが、今では考えられないような、恫喝的な取り調べなど、完全に他人事としてしか見ていなかったのだった。
 何と言っても、今と一番違うのは、
「取調室の汚さ」
 だった。
 最近の取調室は、今の刑事ドラマを見れば分かるが、昔の取調室というと、まるで、監獄と同じようなところで行われていて、机の上には、タバコの吸い殻が何本も捨てられていて、刑事は、タバコを咥えばがらの取り調べをしているくらいだったのだ。
作品名:悪党選手権 作家名:森本晃次