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悪党選手権

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 というのだった。
「毎日のように?」
 と聞くと、
「ああ、そうだよ。しかも、いつも同じくらいの時間なんだ。そんな記憶の繰り返しがほぼ、同じ時間に起こるようになると、毎日があっという間に過ぎるようになるんだよ」
 と言われた。
 その人はさらに続ける。
「毎日が早く感じられるというのは、思い出す時間が一定なだけであって、実際にその時に思い出しているわけではなく、実はこの記憶は、夢の中だったということを思い出すんだよ。夢の中というのは、実際には、同じ夢を見ることはないと思いながらも、毎回同じことを見ておきながら、実際には、同じ夢は見ないという感覚になることが、夢を錯覚だと思わせるのかも知れないと感じさせるんだ」
 というのだった。
 要するに、その人がいうには、
「眠りに就いて、いつも見ているわけではないと思っているのは錯覚であり、実際には、毎回見ていて、目が覚める瞬間が近づくたびに、次第に忘れて言っているのではないだろうか?」
 ということであった。
 眠りというものをあまり深く考えたことなど、普通はないだろう。
 たまに感じることがあったとしても、それはすぐに忘れてしまう。それだけ人間というものは、一つのことに集中できるものではなく、
「古い記憶は忘れていくものだ」
 と考えていた。
 しかし、実際には、そこまで単純なものではない。
 しかし、そうは思っても、
「親が子供の頃のことを棚に上げて、子供を怒るというのも、自分が子供の頃のことを忘れてしまうからではないか?」
 と思えてならない。
 親に対しての、
「失望」
 であり、さらに、大人になることに対しての、
「諦めの境地」
 のようなものがあるからなのかも知れない。
 だから、
「夢だって、そう何度も見るものではない」
 と思えた。
「そこまでたくさんの引き出しはない」
 という思いと、
「記憶を保つにも、限界がある」
 ということで、
「記憶は、次第に古い方から消え去っていくものだ」
 という感覚があるからだった。
 しかし、大人にあるうちに、
「夢という引き出しは、次第に膨れ上がっていくものなのかも知れない」
 と感じるようになった。
「覚えていない」
 というのは、見たということが確定したうえで感じていることであって、確か最初の頃は、
「夢など、見ていない」
 という感覚に陥ったからだった。
 それを思えば、年を取って思い出すのは、記憶の奥に格納されているからであって、その格納は曖昧なもので、
「決して、時系列に沿ったものではない」
 と思うと、理屈に適うところが結構あるような気がした。

                 死体発見

 そんなある日、つまり、
「発掘隊がいない日」
 のある日、いると思っていた誰かが、いなくなっていることに誰も気付かなかった。
 しかし、それを知らされたのは、その日の朝だった。普通に通学している小学生たちが、いつものように、歌を歌いながら、集団登校していた。
 母親たちは、
「恥ずかしいから、歌なんか歌いながら登校しないで」
 といっていたが、先生の方では、
「歌を歌ってくれている方が、防犯としてはありがたい」
 と思うのだが、父兄を刺激しないように、何も言わなかった。
 母親連中も、先生が何も言わないことに言及することはなかった。
 というのも、
「皆、自分のセリフに集中してしまっていて、何も言わない」
 という状態になっていたのだった。
 特に、
「ママさん連中」
 というのは、自分たちがいいたいことだけを言ってしまえば、一通り満足してしまうというところがある。
 だからこそ、先生の方も心得ていて、
「下手に相手を刺激しない方がいい」
 ということで、余計なことは言わないのだ。
 要するに、
「不満に思うことを忘れるくらい、自分たちで盛り上がってくれればいい」
 というところだ。
 そうすれば、
「何話していたんだっけ?」
 ということになり、自分たちさえ満足すればそれでいいということで、それ以上何も言わなくなってしまう。
 そう思っていると、自分たちが、文句を言うために集めたくせに、
「じゃあ、そろそろ終わりましょうか?」
 と、なるのだった。
 言いたいことを、いかに吐き出させるか?
 ということがミソであり、その間だけ、耐えていればいいのだった。
 先生はさすがに慣れていて、嵐が過ぎ去れるまで、
「いかに、右から左に受け流すか?」
 というだけのことであった。
 子供たちは、親がそんな、
「モンスター」
 であるということを知らない。
 子供たちも案外、先生と同じようなことを考えていて、母親から叱られる時も、
「いかにやり過ごすか?」
 ということを考えているに違いない。
 しかし、何しろ親子なので、考えていることは分かるだけに、やり方をうまくやらないと、こちらの気持ちを看破されてしまい、却って煽りを買ってしまうこともある。
「あんた、ちゃんと聞いているの?」
 などと言われ始めると、少し作戦を変えなければいけない。
 徹底的に恐縮し、もっと気を散らすようにしておかないと、こっちの精神が参ってしまう。
 ただ、こうなると先生と同じで、
「叱り付かれるのを待つしかない」
 ということで、次第に興奮から、ろれつが回らなくなり、自分でも何を言っているか分からなくなると、母親もそれ以上は何も言わなくなることだろう。
 そのうちに、顔色が、真っ赤だった状態が冷めてくるのを感じると、子供も、
「しめたものだ」
 と感じてきて、こうなると、少々気を抜いても、もう母親に子供を看破するだけの力はなくなってしまっている。
 要するに、
「力の入れどころ」
 というものが分からないからムダなところに力が入ってしまい、本当に何がいいたいか分からないまま、ただ、体力を消耗するだけになってしまうのだった。
 母親たちが、
「何を言っているか分からない」
 という状態に、いつものごとくなったことで、先生も、
「あ、嵐が去ったか?」
 と思っていたので、先生も、子供たちに、
「恥ずかしいから、歌いながらの登校なんか、やめなさい」
 などということは一切いうことはなかった。
 むしろ、
「大いに歌いなさい」
 と言いたいくらいで、なぜかというと、
「歌って声が出ていると、変な連中に襲われるということはない。そもそも集団登校というのは、それぞれに何かあった時、誰かが知らせに行くということと、変なやつが出てきにくくするため」
 ということに尽きるのだ。
 だから、先生としても、
「子供たちの安全を考えると、大いに歌ってくれた方がいい」
 と思っていたのだ。
 それに、近所迷惑というのも気にしなくてもいい、何と言っても、朝の喧騒とした雰囲気の中なので、元気がある方が却って活気があるというものだ。
 子供たちのその中には、
「前まで、友達付き合いができず、引きこもり予備軍」
 というような子供もいた。
 そんな子供でも、輪の中に入ってこれるようにしてくれたのが、
「歌を歌う」
 という魔法を使うことで出来上がった。このグループだったのだ。
 そんなグループが、その日もいつもと同じ時間に通学していた。
作品名:悪党選手権 作家名:森本晃次