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悪党選手権

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 実際にウワサとしての話は聴けても、その相手が誰なのかということまでは、聞かれはしなかった。
「本当に知らないのかも知れない」
 とも思ったが、さすがに、証言をするのは、皆恐ろしいと思っているのか。
 何しろ、殺人事件の犯人だとはいえ、死刑でもなければ、犯人は出所してくる。後でどんな仕返しを受けるか分かったものではない。
 特に、
「殺人犯人となって、人生が変わってしまった」
 という人間は、何をするか分からない。
 という恐ろしいことが考えられるからだ。
 殺人犯人として、起訴され、裁判となって有罪が確定する。懲役何年かを食らって、一応の改心をして、
「罪の償い」
 としての、刑期を終えて、いわゆる、
「シャバ」
 に戻ってくると、シャバの空気は、冷たいものである。
 就職もなかなかできない。これは、面接に行ったところが、中には、身元調査というのを行えば、前科者だということは分かるようになっているのかも知れない。
 ただ、個人情報保護ということもあるので、どこまで調べられるか分からないが、実際にそこまでするところもあるだろう。
 ただ、中には、どこから出てきたのか、従業員の中で、
「あいつは前科者だ」
 というウワサがどこから起きるのか分からないが、そんなウワサが広まると、完全に、浮いてしまうだろう。
 特に、
「殺人犯」
 ということになると、ウワサが気になる社長であれば、解雇ということもないとはいえない。
 解雇がないまでも、その会社にはいられなくなるというものである。
 確かに、人を殺してしまったことは、いけないことなのだろうが、その理由も分からずに、ただ、
「殺人犯だ」
 ということだけで、差別をしてはいけないだろう。
 だが、それはあくまでも、理屈がそうだというだけで、
「現実は、そんなに甘くない」
 ということであろう。
 となると、会社にもいられなくなる。
 また、別の会社を探すことになるが、なかなか見つからない。また見つかったとしても、どこで聞きつけるのか、悪いウワサが流れるようになる。
 そうなると、世の中に対して、何も信じられなくなり、
「せっかく改心して罪を償ってきたのに、これじゃあ、何にもならないじゃないか?」
 と、今度はさらに、世の中を恨むようになり、自暴自棄になったりすれば、
「再犯は時間の問題だ」
 ということになるだろう。
 再犯の多い犯罪というのは、結構決まっていて、凶悪犯や、薬物のようなものもそうであるが、
「依存症」
 などの一種の病気ともなると、
「元々の病気を治さないと、また、元の木阿弥」
 ということになって、何度も同じことを繰り返すことになる。
 せっかく、出所の際に、本当に言われるかどうかは分からないが、
「もうこんなところに来るんじゃないぞ」
 といって出てきた人が、監獄に戻るというのも、よくあることなのかも知れない。
 そうなると、
「一度、犯罪を犯してしまうと、抜けられなくなる」
 というのも、無理もないことなのかも知れない。
「元犯罪者」
 というレッテルを貼られると、どこまで付きまとうというのか?
 そもそも、
「どうしてウワサが流れるか?」
 ということであるが、
「犯罪者は、犯罪者の顔をしているのかも知れない」
 とも思える。
 いくら改心しようとも、見る人が見れば、
「こいつは犯罪を犯しかねない目をしている」
 ということを感じ、それぞれ、
「こいつは、ヤバいやつだ」
 ということを一人一人が思っていて、実際にそれが分かるようになってくると、
「なんだ、お前も感じていたのか、俺もなんだよ」
 ということでウワサがどんどん広がってくれば、その信憑性も次第に膨れ上がり、ウワサが、完全に本当のことになってしまったとしても、それは無理もないことなのかも知れない。
 そんなことを考えると、
「世の中は確かに、コンプライアンスの問題を重視して、社会全体が、悪から、個人を守ろう」
 という世の中になってきたのだが、
「では、悪というのは何なのだろう?」
 ということになる。
 基本的には、犯罪者や詐欺集団のような人たちであろう。
 そうなると、いくら過去のこととはいえ、かつての犯罪者であれば、
「それは過去のこと」
 といって、簡単に片づけられない。
 それが、
「再犯率」
 というものだろう。
 実際に、再犯率が高いというのもあるかも知れないが、その原因が、罪を償って出てきた人に対しての偏見が作り出したものだということを、考えようとはしないからだろう。
 確かに、
「偏見はいけない」
 といっても、実際に、
「元殺人者」
 という人間と、
「分かる前と同じように付き合えるか?」
 と聞かれて、
「ああ、付き合えるさ」
 と平気で言える人がどれだけいるだろう。
 しかも、
「元殺人者」
 というだけで、一括りにする人だっているだろう。
「殺人を犯すには、それだけの事情があるというもので、
「もし、自分がその人の立場だったら、どういう行動をしていただろう?」
 と、考えた時、例えばその動機が、
「復讐にある」
 とすれば、例えば最愛の妻を殺された人が、犯人を分かっていて、
「人殺しをしてはいけない」
 という理屈が分かっているからといって、
「果たして、恨みを抱いたまま、ずっとその男が野放しになっているのを、黙って見て居られるのか?」
 ということである。
 普通だったら、我慢などできるはずもない。
 恨みというのは、一度抱いてしまうと、爆発させるまで、なくなるのはおろか、小さくなるのも難しいだろう。
 そうなると、
「自分の精神がおかしくなるまで我慢をするか」
 あるいは、
「相手に対して復讐するか?」
 という二択になることだろう。
 我慢できるかどうか、自分でも分からない。それこそ、どうなるかということは、
「神のみぞ知る」
 ということになるのだろう。
 だが、そんな、
「負のスパイラル」
 ともいうべき、ループが繰り広げられると
「せっかく、まっとうになろうと、努力しているのに、世間が受け入れてくれないのであれば、また犯罪を犯せばいいだけだ」
 ということで、
「世間に対しての復讐」
 によって、自分の鬱積を晴らすことになるだろう。
 しかも、元々の犯罪が、
「復讐によるもの」
 であったとすれば、前の復讐の時の感情がよみがえってくるに違いない。
「一度は改心した」
 と言っても、すぐに、その思いを砕かれてしまった。
 しかも、それを砕いたのは、
「俺に犯罪を起こさせたくない」
 といって、自分を改心させようとしているはずの人たちではないか。
 自分はが、正しいと思い、近づこうとしている、
「まっとう」
 と言われる人たちが、一番偏見を持っていて、そのくせ、生きるということを中途半端にしか考えていない人たち、
「どうせ、地獄など見たことのない人達なんだろう」
 というような人たちを感じてしまうと、
「何で、この俺だけが?」
 と感じることだろう。
 そういえば、以前、犯罪に手を染める前に、同じようなことを考えたではないか。
作品名:悪党選手権 作家名:森本晃次