抑止力のための循環犯罪
まず、ひったくりが行われ、その捜査を行っている時、まさにその時、一人の女性が一人になるのを待ち構えたかのように、黒っぽい服を着た男が暗闇から、さっと現れて、女性に抱き着いた。
「キャッ」
という声が一瞬聞こえたが、静寂の中だったので、付近を捜査していた刑事は最初分からず、
「気のせいか?」
と思ったが、
「確認だけは、しておかないと」
とおうことで、来てみると、女性が羽交い絞めにされていた。
刑事が、懐中電灯を当てると、犯人はとっさに顔を隠そうとしたところを、女性がうまくすり抜けるように逃げたことで、犯人は、そそくさと逃げ出した。
身体が重たそうに見え、
「びっこを引いているのではないか?」
と思わせたので、
「すぐに追いつける」
と思い追いかけたのだが、犯人は角を曲がったところで、姿が見えなくなった。
少し探してみたが、分からなかった。
刑事とすれば、見つからないものをいつまでも追いかけるというよりも、被害者女性のケアも必要だということに気づき、すぐに元の場所に戻ることにした。
しかし、戻ってみると、そこに被害者の姿はなかった。
「気を取り直して、帰ったのだろうか?」
と思った。
羽交い絞めにされていたが、それ以上のことをされてはいなかったように見えたので、被害者が、これ以上、ここにいる必要はないとでも思って、その場からすぐに立ち去ったのかも知れない。
それを思うと、
「被害者は、肉体的にも精神的にも、傷を負ったわけではない」
ということになるのだろう。
結局、犯人も、被害者のどちらも取り逃がしたということであれば、事件ということにはならない。
と思ったが、
「さすがに、痴漢未遂事件であることは間違いないし、ひったくりと同じ日に起こっているということで、このことを書き残さないわけにはいかないだろう」
ということで、未遂事件のことを調書に残していたのだ。
今回の殺人未遂事件は、これまでの事件の中でも、一番凶悪だった。
「命に別状はない」
というだけで、明らかに、
「殺害の意思はあった」
と見ていいだろう。
そうなると、今までの犯罪とはまったく趣旨の違うものだといってもいいだろう。
それはもちろんのことであり、
「今までの犯人は、人の命を奪おうとする人は誰もいなかった」
ということであった。
「目撃者の話を聴く限りでは、犯人には、殺害の意図があったのではないか?」
ということでもあった。
なぜなら、通り魔であれば、動機のない殺人というのが、当たり前のように感じられ、しかも目撃者がいる前で行うということは、捕まるリスクがあるわけなので、そんな犯罪を目撃者の前でするというのは、
「そのこと自体に何か理由があるのではないか?」
と思えた。
だが、
「犯人は、急いでその場から逃げ去るという様子はないようだった」
と目撃者は言っている。
身体が重そうだったということであるが、犯行を行ったはいいが、意識として、後悔の念があったのか、それとも、想像以上の動揺が襲ってきたことで、逃げようとはしたのだが、金縛りのように遭っていたのかも知れないと思ったのかも知れない。
立ち去った犯人よりも、この時も被害者を助けることが優先だった。
どちらの事件も、目撃者は、犯人を捕まえるということよりも、被害者のケアの
方が大切であった。
前の痴漢の場合は、警察官が目撃者だったこともあって、被害者のケアは必要不可欠であった。
「まさか、その場から立ち去っているというのは、私には想像もできませんでした」
と、その刑事は言っているが、話を聴いた人、皆その場所にいたわけではないのに、その場から立ち去った被害者の気持ちも分からなくはないと思いながらも、
「しょうがないことなのか?」
とするしかないと思えてならなかった。
そういう意味でも、
「犯人が逃げおおせたのは、悔しいが、だからといって、犯人を捕まえたとしても、その場から逃げるくらいの被害者なので、果たして、この犯罪に立ち向かうだけの気持ちがあるだろうか?
そもそも、痴漢というのは、
「親告罪」
と呼ばれていて、
「被害者が訴え出るか、現行犯でない限りは、罪に問うことはできない」
というものだ。
ただ、最近は(7平成29年における法改正)によって、強制わいせつなどは、親告罪ではなくなった。
つまり、被害者の意思表示がなくとも、逮捕、起訴できるというものである。
普通に痴漢をしたという程度では、自治体における、
「迷惑防止条例違反」
ということで、刑法犯ではないが、そこに、脅迫などが絡んだり、13歳未満の児童が対象であったりすれば、それは、条例違反ではなく、刑法における、
「強制わいせつ罪」
ということになるのだった。
それを考えると、
「通り魔的な痴漢犯罪」
というのは、
「親告罪となる可能性が高い」
ということで、告訴は難しいだろう。
しかし、これが、
「同一人物による、常習的な犯罪」
ということであれば、厄介なことになるであろう。
そんなことを考えていると、
「やはり、この事件が同一犯によるものかどうかということは、大きな問題なのだろう」
と、一連の痴漢犯罪などを思うとそう思えてきた。
「これ以上の被害者を出さない」
という意味で、犯人が常習的であれば、起訴することで、有罪にすることが、一番てっとり早いであろう。
逮捕から有罪になることで、
「犯行に対しての抑止:
になるからだ。
痴漢をしようとしている連中が、親告罪ということを知っているのかどうかも分からないのに、ましてや、捕まった時のリスクを考えているのかどうか、怪しいものだ。
というのも、英二の立場から考えると、
「この場所での犯行は、リスクが大きい」
と普通だったら考えると思うのだ。
なぜかというと、複数のことが考えられるのだ。
一つは、言わずと知れた、
「警戒が厳重になる」
ということである。
警察は他の場所に比べて神経質に巡回しているだろうから、それをかいくぐるというリスクがあるというものである。
もちろん、警察に恨みでもあって、
「警察の鼻を明かしてやろう」
というくらいの気持ちがあれば別だが、警察には関係のないところでの自分の意思であったら、何もリスクを犯してまで、同じ場所で犯行を行うようなことはしないだろう。
しかも、ここはすでに、
「多発地帯」
ということが、認知されているので、もし万が一警察に捕まってしまうという不覚を演じると、警察の取り調べは、かなり厳しいものになるだろう。
なぜかというと、
「一連の犯行を、こちらのせいだと決め込むような折り調べを行う」
だろうからである。
警察としては、
「余罪を調べる」
というのは当たり前のことで、それよりも、
「親告罪ではない、強制わいせつにしてしまいたい」
という思いがあるとすれば、大変なことである。
下手にやってもいないのに、警察の追及に堪え切れっず白状したりすれば、警察は、
「待ってました」
とばかりに、起訴に踏み切るかも知れない。
ただ、検察はもっと冷静で、
作品名:抑止力のための循環犯罪 作家名:森本晃次