抑止力のための循環犯罪
最近のテレビドラマは、どういう話が多いのかというと、10年くらい前からであろうか、一般の会社でもよく言われている、
「コンプライアンス」
のような話しであったりするのだが、特に、警察内部の話が多かったりもする。
そういえば、いつ頃からか、
「2時間サスペンス」
などと言われる番組もなくなってきて、あれだけ流行った、
「安楽椅子探偵」
と呼ばれるものが、見られなくなった。
人気のあるものは、たまに今でも放送したりしているが、どこまで視聴率があるのか分からない。
今は、ほとんどテレビを見る人も少なってきて、有料放送や、テレビ番組も配信で見たりするので、
「リアルで見る」
ということもない人が多いだろう。
見逃しても、月額料金を払っていれば、いつでも、見ることができるというわけである。
実際に、渡会も、最近のテレビドラマをあまり見ることはない。
そもそも、
「刑事ドラマ自体を見る」
ということがなくなった。
最近は昔と違って、ドラマもかなり様変わりしてきた。
それでも、変わらないのが、
「刑事もの」
と、
「医療もの」
くらいであろうか。
刑事ものも医療ものも、昔に比べれば、様変わりをしてきたのだろうが、一定数ある。
「それだけ需要がある」
ということなのだろうか?
というのも、
「最近のドラマの特徴の一番は、
「時間帯が変わってきた」
ということである。
以前は、2時間ドラマなどでも、午後9時から、11時くらいまでというのが主流で、「同時間に違う放送局でも、ドラマをやっている」
ということであったが、最近では、早くて、午後10時からというのが多くなっている。
しかも、半分くらいは、深夜枠である。しかも、30分番組で、ワンクールなので、ほぼ10回から12回が主流なので、1時間番組なら、5,6回というのが主流だろう。
ハッキリした理由は分からないが、たぶんであるが、最近の原作は、そのほとんどがマンガだということなのであろう。
昭和の頃は、ほとんどが小説で、それ以外は、脚本家のオリジナルというのが多かった。
昭和の頭頃に流行った、
「トレンディドラマなどは、結構脚本家のオリジナルも多く、脚本家が脚光を浴びる時代」
だったのである。
さらに、時間帯が深夜に移ったということは、それは、
「今までの、深夜番組と逆転してしまった」
ということになる。
昔の深夜番組が今のゴールデンの時間に移したというのは、
「バラエティ番組」
であろう。
昔は、深夜だったから、何とでもできたのだが、最近はゴールデンなので、深夜枠のように、ハチャメチャなこともできず、
「昔ほど面白くはない」
ということで、
「新鮮さに欠ける」
と言われているかも知れない。
それでも、昭和の頃の、
「教育ママ」
のような、
「悪書を追放」
といって、マンガや低俗な番組を見せないという風潮はないだけマシではないだろうか?
そんな時代において、これは昔から、変わらない犯罪として、
「通り魔事件」
というのがあった。
通り魔事件というのは、動機が曖昧なもので、被害者に対して、恨みも何もない。
「ただそこにいたから襲われた」
というものである。
実に理不尽な犯罪で、
「相手が誰であっても関係ない。ただ、自分の欲求が達成されればいい」
という犯罪が多かった。
そういう意味では、普段から警戒している、
「痴漢」
や、
「ひったくり」
などという犯罪と、
「相手が誰でも構わない」
という意味で、類似の犯罪だといえるだろう。
被害者が、どのように答えるかであるが、警察は、とりあえず、目撃者の渡会の話だけを、被害者が意識を取り戻していない今としては、信じるしかない。
警察によって被害者のこともいろいろと調べられた。被害者は、所持品などから、畑中修三という。
警察が畑中のことを調べていると、彼は以前にも、一度暴漢に襲われたことがあったようだ。
その時も、急に飛び出してきた人に殴られたということで、被害届が出されていたのだ。
それが、ちょうど半年前のことで、その時の状況として、
「殴られたことでの被害届だったのだが、場所もまったく同じところ、警察は、それからしばらく注意していたが、2、3カ月ほど、見回りを強化していたが、3カ月経っても、何もなかったことから、重点警備を解いていたのだ。
まさか、半年後にこんなことが起こるとは思ってもいなかっただろう。ただ、あのあたりは、他にも犯罪が多発する地帯ではあったので、時間帯で、パトロールするようにしていた。
まるで、警察をあざ笑うかのような犯人の行動は、
「まさか、警察内部に通じている人がいるのではないか?」
と感じさせるほどだった。
そういう意味では、まったく持って神出鬼没。犯人が特定できて、行動パターンが分かっていれば、手の打ちようもあるのだが、
「犯人は分からない。しかも、いつ出没するか分からない」
ということになれば、それこそ、どうしようもないというものである。
半年前の被害届では、その時に担当した刑事の書いていることとしては、
「被害者には、襲われる覚えがまったくない」
ということで、
「通り魔犯罪」
ということになっていた。
もちろん、当時頻発していた他の通り魔事件との関係も考察された。
犯行手口も他の犯罪とはまったく違っていて、たまたま、同じ位置で起きているということで、その場所が、
「狙われやすい場所」
ということで、警察も用心していたのに、その目をかいくぐるようにして行われる犯罪に、警察もヤキモキしていたのは、当然ということであろう。
今回のことを、
「通り魔事件」
と言っている一番の理由は、
「誰も自由に行動できる場所にて、確たる理由もなく、行きずりの相手に危害を加える」
という、警察が定義する、
「通り魔犯罪」
という言葉の定義に当て嵌まっているからである。
複数の被害者には、狙われる覚えはなく、しかも、それぞれにまったく繋がりがあるわけではない。
基本的にけがをさせられたわけでもなければ、警察は、被害者が誰なのかということを公表することはない。
特に痴漢犯罪などは、デリケートなもので、それを公表したり、マスコミに流すようなことはしない。
それが警察による、
「守秘義務」
であり、犯罪捜査と言えど、被害者の損になるようなことはいってはいけないだろう。
そういう意味で、
「それぞれの人間に繋がりもなく、被害に遭う理由がないということであれば、被害者に理由がなくても、犯人側がいるということで、通り魔と定義するしかない」
ということであった。
「じゃあ、一連の犯行は、果たして同一人物によるものか?」
ということであったが、
「どうも、同一の犯人によるものではない」
という意見が出てきたのだった。
ひったくりと、痴漢犯罪は、元々違うものなので、ここに関連性はないと思われたが、ある日、同じ日に、それぞれの犯罪が行われたことがあったのだ。
作品名:抑止力のための循環犯罪 作家名:森本晃次