小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

抑止力のための循環犯罪

INDEX|6ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

                 犯人の目的

 病院に運ばれた被害者は、何とか一命をとりとめたという。救急車で搬送された病院が近かったので、手術にはなったが、命の危険というところまではなかった。
「急所を外れていたというのも、被害者にとっては幸運だったのかも知れない」
 ということであったが、警察がいうには、
「目撃者があったからなのかも知れないな」
 ということでもあった。
 しかし、そこには少し渡会は、疑問を呈していた。
 確かに犯人は、出てくる時はいきなり飛び出してきて、胸を抉るところまではしていたはずで、倒れこんだ被害者を覗き込むようにして、そそくさと去っていった。
 その際、逃げる時は、その足取りは、重かった。どちらかというと、
「びっこを引いていた」
 といってもいいかも知れない。
 その姿を見ていると、明らかに、
「中途半端にしか見えない」
 と思えたのだ。
「あれだけゆっくりと見ていれば、被害者が死んでいないということは分かったはずではないか」
 と思えるので、なぜとどめを刺さなかったのか?
 ということである。
 刺した後、死んだかどうか確認しないで逃げるのなら、もっとさっさとその場から逃げ去っていてもいいはずではないだろうか?
 それを思うと、渡会には、
「犯人の目的はなんだろう?」
 としか思えなかったのだ。
 犯人が、被害者を殺すのが目的であれば、捕まるリスクを考えてでも、とどめを刺したであろうし、
「とにかく逃げるのが先決だ」
 と思うのであれば、早く逃げているだろうし、何よりも、こちらを振り向くことはしないだろうが、ちらちら見るくらいの意識があってしかるべきに違いない。
 それがないということは、考えるに、
「中途半端にしか見えない」
 ということだ。
 そこから考えられる犯人像としては、
「優柔不断で、計画性がなく、失敗した時のことを何も考えていないような、犯人としては、失格だ」
 ということであろう。
 かといって、渡会は、犯罪分析をする人間ではない。ただ、状況から推理することは、できると思っていた。
 特に、目の前で犯行を目撃したのだ。その状況から、
「犯人が飛び出してきた瞬間、被害者が刺された瞬間、犯人が離れた瞬間、そして逃げ去るところ」
 といろいろな場面を目撃しているのだった。
 それを考えると、まるで、
「コマ送り」
 のような映像を見ているようだ。
 それこそ、昔の犯罪をドラマ化した時の、いわゆる、
「八ミリフィルム」
 で見ているような感じであった。
 もちろん、映像は、モノクロで、その光景は、意識しているからか、スローモーションに感じられるのであった。
 そう考えていけば、何か怪しいと思ったところが、少しずつ、
「怪しい」
 と感じるところも出てくることだろう。
 今の、
「とどめを刺さなかった」
 ということだけでも、怪しいと思えるところが見つかったではないか。
「行動が矛盾している」
 ということであって、犯人が、いかに被害者を意識していないかということが分かる。
 しかし、そのわりには、自分の保身というわけでもない。
 もし保身を考えるのであれば、渡会という目撃者がいるにも関わらず、犯行に及ぶというのは、矛盾していると思うのだった。
 そう考えると、
「明らかに反抗に関しては素人だ」
 と言える。
 それなのに、これだけ大胆なことを、殺せなかったとしても、犯行ができるということは、
「少なくとも、計画性がなければいけない」
 ということだ。
 被害者が、この時間、あるいは、これくらいの時間にバスから降りてきて、この道を変えるということを知らないとできないだろう。
「犯人が狙ったのが、無差別であれば?」
 と言われるかも知れないが、だとすれば、被害者のカバンや財布に手を付けていないのはおかしい。
 では、
「ただの猟奇犯罪者では?」
 ともいえるかも知れないが、
「それにしては、犯行に至る時の興奮が少なすぎる。猟奇犯罪者であれば、もっと興奮して、鬼気迫るものがあってしかるべきではないか?」
 と思えるのだった。
 というのも、渡会は、それほど犯罪に対して詳しいわけではなかったが、昔から、探偵小説を読むのが好きだったので、そんな中には、犯人のことを想像するという、
「プロファイル的な発想」
 というものがあり、それを考えるもの、好きだったのだ。
 昔の、本格探偵小説も好きだったが、それが次第に、
「社会派探偵小説」
 と呼ばれるものになってきた。
 これこそ、時代を反映しているといってもいいのだろうか。
 たとえば、戦後すぐくらいは、動乱の時代で、社会不安が付きまとっていたのに対し、戦時中、書くことができなかった鬱憤を晴らすという意味で、探偵小説家の中には、ドロドロした話をプロローグに置きながら、最終的には、頭脳派の作品をトリックで並べるというような話を書く人もいた。
 時代が次第に、
「もはや戦後ではない」
 と言われる、
「高度成長時代に向かってくると、今度は、それらの時代を反映した小説が、流行ってくる」
 というものであった。
 特に、その時代というと、一番の問題は、公害問題であった。
 そもそも、ゼネコンと政治との確執の問題などがあり、その問題が、
「贈収賄」
 などに発展してくることも多かった。
 時代として、代表的なものとして、
「ロッキード事件」
 などという、政治家を巻き込んだ事件もあった。
 今でこそ、それほど政治家の裏金や宗教との結びつきは、
「日常茶飯事」
 であったが、昔もあったのだろうが、たまに出てくるから、大きな問題になっていったに違いない。
 当時の、
「社会派小説」
 と呼ばれるものは、そんな時代に派生型として発生する、いろいろな問題がテーマとなるので、題材としては意外と多かったのかも知れない。
 元々、そんな問題が起こるほどに、社会が安定していたわけではない。
 何といっても、戦争に負けてから、経済不安であったり、国民が、
「その日の食事、寝る場所」
 そこから考えなければいけないという、
「その日暮らし」
 という人ばかりだったからである。
 だから、時代の流れによって、
「どちらに進んでいくか?」
 ということを予想できた人がどれだけいたことだろう。
 それこそ、経済復興のためには、公共事業を活性化させ、インフラを整備し、それが、経済を活性化させ、景気が高揚してくるというものだ。
 ただ、そのために出てくる問題も大きい。
「政治家と業者の癒着」
 というものも、大きい。
 社会派小説には、格好の、
「ごちそう」
 というものであろう。
 さらに、もう一つの大きな問題というと、
「公害問題」
 であった。
 経済が発展していくためには、避けては通れない大きな問題がいくつかある。
 その中でも、かなり大きな問題を占めるのが、
「ゴミ問題」
 ではないだろうか?
 いわゆる、
「産業廃棄物」
 はもちろんのこと、消費者から出るごみの問題。
「産業廃棄物」
 が直接影響を及ぼすのが、
「公害問題」
 であった。
「カネミ油症問題」
「森永ヒ素ミルク問題」
 さらに、公害問題として、長く問題となってきた、