抑止力のための循環犯罪
「いよいよ、政府が見放そうとする」
というようなタイミングだった。
政府としては、どうせ、目の前の数字しか見ていないので、感染者の数やそれらの動向しか見ていなかったことから、裏に潜む、
「危険な数字」
を見逃していたので、警察もそれにつられてか、犯罪に対して甘く見ていたのかも知れない。
ただ、実際のところは分かるものではなく、これから増えるであろう犯罪を予見できなかったのは、不可抗力と言えるかどうか、判断の別れるところであろう。
前述のように、この街では、人通りが極端に少なくなってくる時間に、痴漢やひったくりなどは、相変わらずに起こっていた。
警察も、検挙を何件かしていたのだが、それがすべてというわけではないだろう。
もちろん、同じ人間の常習的な犯罪なのかも知れないが、それにしても、検挙にはまだまだ程遠いといってもいいだろう。
そんな状態において、起こったのが、暴漢による、
「通り魔殺人未遂事件」
だったのだ。
発生した時間は、
「一番危ない時間」
と言われる、午後9時以降のことだった。
正確には、
「午後10時を回った頃」
であり、バスも最終に近いくらいの時間だった」
というのも、このあたりはショッピングセンター中心ということもあり、昼間は結構バスの本数があるが、夜も9時以降というと、1時間に1、2本と、一気に数が減ってくる。
しかも、電車のように人が最終に近づくにつれて増えてくるということもなく、どんどん減ってくるのだ。
家族に迎えに来てもらったり、タクシーを使う人が多いのかも知れないが、バスになると、極端に人が減るのだった。
最近では、鉄道会社も、
「まるで嫌がらせではないか?」
と思うような露骨な対応が目立つ。
そのすべての理由が、
「パンデミックの影響で」
ということなのだが、
「電車の席を取り外したり」
あるいは、
「終電の時間を、一時間以上も前倒しにする」
という政策である。
明らかに、
「会社の赤字を少しでも減らす」
ということのためだということは分かり切っている。
そもそも、終電を早めるというのはどういうことだ。そんなことをすれば、却って電車内は密になり、伝染病が蔓延する原因を作るようなものだ。対策としては、まったくもって、おそまつであろう。
だから、自分たちのために、客を犠牲にしているということをごまかすために、
「パンデミックのため」
というあざとい言い訳をすることで、自分たちの正当性を示そうとしているところが、わざとらしくて腹が立つのだ。
要するに、政府や会社というものは、血も涙もない。
「会社が助かれば、国民や社員がどうなろうと、知ったことか」
ということであろう。
しかし、
「中の人」
は、生身の人間なのだ。
そんな人がいなくなって、誰が動かすというのか、だからこそ、
「国破れて山河あり」
というのは、まさしくその通りだといえるだろう。
そんな状態で、警察も、
「誰も被害に遭っていないので、今のままの警備でいいだろう」
ということであった。
ひょっとすると、警察というのは、
「ひったくりや痴漢くらいでは、自分たちが積極的に動く犯罪のレベルではない」
とでも思っているというのだろうか。
それを思うと、犯罪が起こるのは無理のないことで、
「元々犯罪をこの世から消し去るというのは無理なことだとは思うが、少しでも減らそうという気持ちはあっても、努力をしないのだから、結果は同じことではないのだろうか?」
ということになるのであろう。
今回の被害者は、都心部の事務所に仕事場があって、いつもはもっと早く帰宅をするのだが、この日は、飲み会があったため、遅くなったという。
この事件が発生した時、ちょうどバスから降りたのは、被害者ともう一人の二人だけだったという。
この事件が起こった時、もう一人の人物がいたことで、すぐに警察と救急に通報が入ったことで、被害者が重傷を負ってはいたが、命に別条がなかったというのは、
「不幸中の幸いだった」
といってもいいだろう。
被害者の男性は、バスから降りると、足早に帰宅を急いでいるようだった。
そもそも、その日は結構気温が下がっていて、早歩きになるのは、
「本能の赴くまま」
といってもいいかも知れない。
急いでいるのだが、いかんせん、前から吹いてくる強風は結構なもので、思ったよりも進んでいないのか、普通に歩いている、もう一人の人物を距離が離れていかないというのも、分かっていたことなのかも知れない。
それでも、何とか急いでいるのだが、空回りというのが、想像以上に体力を消耗するのか、かなり疲れているように見えた。
「完全に肩で息をしているな」
と思いながら、
「そんなに無駄に体力を消耗しなくても」
と、思わず笑いが出るのを堪えたのだった。
相手は一生懸命なのだと思うと、笑うのは失礼だと思うのだろう。
それでも、風の影響を少しでも避けようと、前傾姿勢で何とか前に進もうとしているところで、ふいに、影から何かが飛び出してきたのを感じた。
「あっ」
と、声にならない声が出たのに気づいた。
「今の俺は声が出ていなかった」
と分かった時、すでに、前を歩く男は、飛び出してきた真っ黒い物体と接触した瞬間、胸を抑えて倒れこんだ。
黒い物体は、そのままどこかに立ち去ったが、倒れこんだ男が、ナイフで刺されたのだということは、ほぼ間違いないと思った。
急いで駆け寄ると、果たして胸を抉られて、倒れこんでいる。
苦しそうにしているが、死んではいないようだった。
急いで救急車を手配し、警察にも連絡し、待っていることにした。
救急車と警察がほぼ同時に到着し、まだ生きている被害者を応急手当して、救急車に運び込んだ救命士たちは、急いで病院に向かって走っていった。
とりあえず、警察の一人が救急車を追いかけるようにして、病院に赴き、残った刑事から、目撃者が、尋問されることになったのだ。
刑事が、目撃者の名前を聞くと、
「渡会利夫」
というではないか。
彼は、警察に、
「自分は、いつもは早く帰るが、今日は飲み会があって遅くなったんですよ」
というと、納得したかのように、事件のあらましを聴いてきた。
「バスを降りると自分と同じ方向だったので、その人の後ろから歩いていく感じですね」
というと、
「このバス停で降りた乗客はあなたたちだけでしたか?」
と聞かれると、
「ええ、そうだと思います。自分が下りる前は、被害者だけであって、私がバスを降りるとすぐに、扉が閉まる時のブザーのような音が聞こえてきたので、間違いないと思います」
と渡会は言った。
「なるほど、じゃあ、犯人は、どこかの影に隠れていたので、被害者に切りかかったということですね?」
と言われ、
「はい、そうだと思います。でも、一歩間違えれば、僕が刺されていたのではないかと思うと、怖くなりますね」
「それはないかもですよ?」
「どうしてですか?」
「だって、被害者は何も取られていない。それを思うと、物取りの犯行ではなく、何か殺意のある動機だったのかも知れないですね」
と刑事はいうのだった。
作品名:抑止力のための循環犯罪 作家名:森本晃次