抑止力のための循環犯罪
しかし、郊外の物流センターであれば別だ。通勤ラッシュもかなり緩和できるし、駐車場も充実している。却って便利でありがたいというものだ。
だから、物流センターに管理部を移しても、社員が通勤に困ることもなく、ほとんど、入れ替わることなく、今まで通りに仕事が続けられたのだった。
そういう意味で、山間の地区には、物流センターなどの流通団地、さらに、住宅地、そして、大型商業施設であったり、学校などの公共施設が乱立しているところと、それぞれの区画がハッキリしてきて、かなり充実してきたのだ。
そんな中で、住宅地に住んでいる人は、このあたりの物流センターの人も増えてはきたが、まだまだ基本的には、都心部へ通う人の、
「ベッドタウン」
という様相は変わらないだろう。
通勤には、駅までバスを使い、そして、駅から数駅電車に乗って、都心部の会社に通うのだ。
通勤には平均すると1時間くらいだろうか?
バスで駅まで行ってから、電車に乗り換えるということを考えれば、普通くらいであろう。
それでも、一軒家が的確な値段で買えるということは魅力で、実にありがたいことであったのだ。
そんな街ができてくる過程で、昼間は、ショッピングセンターや、学校などがあり、人通りもあることで、賑やかであったが、午後八時を過ぎると、とたんに寂しさをよぎなくされるのだった。ショッピングセンター自体は、午後10時くらいまでやってはいるが、だからといって、そんな時間まで、客がひっきりなしにいるわけではない。店の半分以上は閉まっていて、レストラン街や、映画館などの一部の店が営業しているくらいだった。
だから、大きなショッピングセンターの端の方だけが明かりがついているだけで、片方は、電気も消えているし、駐車場も制限されて、入り口も閉まっているという状態だった。
そちら側が、住宅街に近い方であり、そのため、
「午後八時を過ぎたあたりから、とたんに寂しさが増してくる」
ということであったのだ。
しかも、電車も、午後九時以降になると、本数が極端に減ってくるので、同じくらいの時間から以降は、人の数もまばらになってくる。
そのため、そのあたりは、インフラ整備の際に、道は広くしたのだが、夜は人通りも少なくなるということで、真っ暗な状態のところもできてきて、普通に歩いていても、
「つまずいたりしないだろうか?」
と危惧するほどのところになってしまうのだった。
そういう意味では、相当危険な場所だといってもいいだろう。
そんな状態において、暴漢や、痴漢などが、出没するようになった。
ひったくりや、痴漢が増えてきたのは、ここ5年くらいのことで、しかも、途中から、
「世界的なパンデミック」
による影響で、さらに、人通りがまばらになってきた。
それでも、通勤しないといけない人はいるというもので、それは、女性でも変わらないことであった。
それだけに、余計に犯罪が増えてきた。
パンデミックによる生活の変化により、精神的に病んでしまう人が増えてきたようで、そのために、治安も悪くなり、余計に社会不安からか、犯罪者が増えることになったのかも知れない。
実際に夜になると、ショッピングセンター近くでは、ホームレスが増えているようで、企業の倒産なども結構あるということだ。
「人流を抑える政策のために、経済が停滞してしまった」
ということであるが、
「何しろ、正体の分からないウイルス相手なので、それもしょうがないことだ」
ということなのだろう。
「人命第一」
というのは当たり前のことであり、もし、
「経済を優先させるため」
ということで、ウイルスが蔓延して、
「人がバタバタと死んでいく」
ということになれば、まさに、
「国破れて山河在り」
ということになってしまうのだろう。
何しろ政府が、
「何もできない」
という状態なのだから、マニュアル的な対策しかないわけで、
「ウイルスや特効薬がない」
しかも、
「正体すら分からない」
という状態なので、
「収まってくれるまで、何とか耐えしのぐしかない」
ということであろう。
実際に今はというと、
「ワクチンや特効薬もできたので、経済を回してもいいだろう」
などという、バカな政府のせいで、市中に、感染患者が溢れているが、政府は見て見ぬふりなのか、何も対策を取ろうとしない。
それどころか、
「指定伝声病扱いをやめる」
などという気が狂ったかのような政策を打とうとしている。
「さすが、もう金を出したくないんだな」
と思わせる政策に、国民の一定数の人は呆れかえっていることだろう。
つまり、
「政府は何もしないから、自分の命は自分で守れ」
と言っているのだ。
そういえば、伝染病で人がどんどん死んでいる時、自然災害を引き合いに出して、
「洪水や台風などの自然災害では、最終的に、自分の命は自分で守るのと同じで、結局は、伝染病も自分の命は自分で守るしかない」
という、バカげたことをいう政治家がいた。
確かに、その通りなのかも知れないが、果たしてそれでいいのだろうか?
政治家たるもの、国民の代表として選ばれ、血税によって生活をしているのだから、
「国民の生命や人権、自由な生活」
に対して、責任があるはずである。
それなのに、
「自分の命は自分で守るしかない」
とはどういうことだ?
確かにそうなのかも知れないが、その大前提として、
「政府はここまではできるが、それも限界があるので、ここから先は、国民一人一人の協力が必要だ」
といって、ハッキリとしたモラルが示されれば、いいのだった。
しかし、それがないのであれば、国民はどうすることもできない。政府や政治家が、
「無能だ」
と言われるのも、無理もないことだろう。
そんな中、この街で、暴漢、痴漢などの事件が頻繁に起こるようになり、
「治安を何とかしないといけない」
と言われるようになった頃、今度は、それだけでは済まされない事態に陥っていたのだった。
というのも、
「通り魔による、殺人事件」
というのが、とうとう起こったのだ。
「いずれ、誰かが殺されるというような、事件が起こるかも知れない」
ということを言われるようになっていた。
今まで、ひったくり、痴漢のようなものがあり、まだ、殺人や、強姦のような凶悪な事件が起こっていなかったので、
「危険な地域だ」
と言われなからも、そこか、甘く見ていたところもあっただろう。
特に警察は、かなり甘く見ていたようで、
「警備を厳重にする」
という言葉だけは恰好いいことを言っているが、その実、具体的には何も決まっていないという、まるで空洞な対策だったのだ。
「警備を厳重にという漠然としたものでは、どこを重点的に見ればいいのか分からずに、現場も混乱するだけだった」
と言えるだろう。
それは当然のことで、やはり警察というところは、
「何かが起きないと動かない」
と言われるゆえんだったのだ。
そんなことを言っているうちに、実際に傷害事件が起こったのは、
「世界的なパンデミック」
というものが、3年前に発生し、紆余曲折を繰り返してきた中で、
作品名:抑止力のための循環犯罪 作家名:森本晃次