抑止力のための循環犯罪
K警察から、迫田刑事が四日目にやってきて、先生に、
「事情を聴ける状態ですか?」
と聞いてみると、
「そうですね。20分が限度でしょうね?」
と言われた。
先生の方も、ギリギリのラインでの指摘なのだろう。
「だけど、患者が興奮するような話になれば、私が即座に中止にいたします」
と言ったということで、その時点で、
「先生が立ち合う」
ということは決定事項だったのだ。
時間としての20分というと、人によって感じ方はまちまち、だが、刑事のように、
「取り調べや、事情聴取」
などというものは、えてして、
「時間の制約を受ける」
ということがあったりする。だから、刑事は絶えず時間というものを意識しておく必要がある、
特に考えられることとして、今回のように、
「被害者が、重体の状態である場合」
など、医者の許可が必要だったりする。
さらに、今度は、容疑者の取り調べともなると、シビアである。
「命に係わる」
ということではないのだが、容疑者として、逮捕状を裁判所に申請し、それが下りたことで、
「犯人逮捕」
ということになるのだが、
「起訴するまでに許される逮捕交流は、基本、48時間ということになる」
ということであり、しかも、そこに弁護士が入ってくることになったりすると、厄介になってくる。
かといって、昔のように、
「自白の強要」
などをしてしまうと、それこそ、弁護士から、つるし上げの対象になるだろう。
もし、この時つるし上げに遭うことはなくとも、実際に起訴されて、裁判ともなれば、
「警察の脅迫を受けて、自白を強要された」
と言えば、すべてがひっくりかえることになる。
昔の刑事事件というと、取調室の灰皿の上には、タバコが積み上げられていて、密室の中で、容疑者は、白状するまで、拷問のようなものを受けているというのがイメージとしてあった。
昭和の刑事ドラマなどでも、警察がチンピラのようば連中を、
「別件逮捕」
しておいて、
「知っていることを、拘留時間ギリギリまでに白状させる」
ということで、今から思えば、
「一発でアウト」
というような捜査を行っていたのだった。
今では取調室を密室にすることは許されなかったり、昔のように、
「かつ丼」
などを使っての、自白に追い込むなどということもしてはいけない。
何といっても、取調室には食事や飲み物は持ち込めないのだろう。
さすがに、水やお茶くらいはいいが、それ以外は基本的にダメである。
要するに、昔の取り調べというと、
「アメとムチ」
だったのだ。
かつ丼などを使っての、利益供述を引き出すための、
「アメ」
と、恫喝や相手を心理的に追い詰めるような、犯罪や量刑などの話と言った、
「ムチ」
とを使い分けていたのだろうが、さすがに、
「冤罪かも知れない」
という状況で、無理な取り調べもできないだろう。
しかし、事件が凶悪であればあるほど、刑事の中にある、
「勧善懲悪」
な気持ちというものが、
「いかに犯人を追い詰めるか?」
ということに繋がっていくのではないだろうか?
それを考えると、畑中は被害者なのである。医者の言葉にあった、
「20分」
という時間でも、もらえただけで、よかったのではないだろうか?
迫田刑事が、部屋に入ると、被害者である畑中は、ベッドで点滴を打たれていた。
隣には担当看護婦が、液の調節をしていて、さすがいナース、てきぱきと動いていた。
「すみません。警察の者ですが」
といって、中に入ると、ベッドの上で仰向けになっている被害者が、こちらを向いた。
頭には、包帯がまかれていて、医者の話では、
「頭の怪我をしている」
ということだったので、そういう意味でも、変なショックは与えないようにというように、言われたのだった。
「少し、お話を伺えれば」
と、相手は被害者なので、そのあたりの注意は十分にしておく必要があるというものだ。
迫田刑事が話しかけると、畑中は、まるで、
「まな板の鯉状態」
であった。
といっても、苦しんでいる様子もなく、こちらを見つめる目に、迷いや不安のようなものはなかった。意識がしっかりしている証拠であろう。
「僕は刺されたんですよね?」
と、畑中が力なく言った。
普段の本人がどんな人なのか分からないから何とも言えないが、明らかに憔悴状体であるということだけは分かる。
「あなたが、刺された時のことを知りたいと思いまして」
と、迫田がいうと、
「それが、あまりにも突然のことだったので、いきなり現れたやつがいたと思うと、横っ腹が、急に熱くなって、抑えると、手が濡れてるじゃないですか。しかも、べとべとに。僕はとっさに、血だということは分かったんですが、どんどん、熱くなってきているところが、ドックンドックンという脈が打つのを感じると、傷口の感覚がマヒしてくるのを感じたんです」
というのだった。
迫田刑事も、以前、犯人に刺されたことがあり、似たような感覚があったので、
「彼はまんざら嘘を言っているわけではないな」
ということを考え、それよりも、
「何ともこれだけ的確な意識があったのであれば、刺された瞬間は冷静だったのかも知れないな」
と感じた。
しかし、それでも、それが瞬時に感じたことであったら、
「錯覚だったのかも知れない」
と思い、
「幻だったような気がする」
と後から思ったとしても、時間が経てば、記憶は元通りのような気がしていたのであった。
「君は、その時の犯人を見たのかな?」
と聴いてみると、
「いえ、そんな余裕はなかったですね。横っ腹が痛くて、顔を上げることができなかったですからね。とにかく痛いところを抑えて、これ以上、出血のないようにということを無意識に考えていたように思えてならないんですよ」
というのだった。
「じゃあ、誰かに刺されるという心当たりもないですか?」
と聞くと、
「いいえ、そんなものありませんよ。分かっていれば、苦労はしません」
と、少しヒステリックに言った。
しかし、これは
「犯人が憎い」
というよりも、
「何か、喋れないことがあり、それを警察に探られるのは困る」
と思っているように思えてならないのだった。
ただ、何かに怯えているという様子は相変わらずない。
「本当に、心当たりがないのかもしれない」
と思ったが、それならそれで、自分が狙われたことに変わりはない。
本当に通り魔だったとしても、
「本当に溜まったものではない」
ということになるのだろう。
「だが、もし、この男が何かを隠しているとすれば、何を隠しているというのだろう?」
迫田刑事は、考えてみた。
襲われる覚えが本当にないのだとすれば、
「通り魔」
ということになるだろう。
だとすれば、通り魔殺人のウワサを知らなかったということだろうか?
それを考えて、
「畑中さんは、このあたりには、最近越してこられたんですか?」
と聞いてみると、
「いいえ、そんなことはありません。もう二十年近くは住んでいます」
ということだ。
「じゃあ、あのあたりで、通り魔事件が頻発していることはご存じなかったんですか?」
と聞かれたが、
作品名:抑止力のための循環犯罪 作家名:森本晃次