抑止力のための循環犯罪
だから、金縛りにでもあったかのように、何も言えなくなり、相手に対して嫌悪感を持つことで、何とか、自分の意識を保たせていたのだろう。
「同性愛者の偽装結婚」
ということがまた頭をもたげてきた。
「どうやら、俺は母親の呪縛のせいで、この感覚と、切っても切り離せない考えを抱いてしまうことになりそうだ」
と思っていた。
同性愛というのが、どういうものなのか分からなかったが、どうも母親が、自分に対っして抱いている愛情が、
「本当に子供としての感覚なのか?」
と思えてならない時があった。
そんな時、友達から、
「お前お父さんにあまり似ていないな」
と言われたことがあった。
もちろん、
「罪もない」
言葉だったのだろうが、先輩の頭には、それが疑惑として残ったのだ。
「まさか、俺は、父親の息子ではないということか?」
ということであり、
「母親の不倫の末の子供」
と思うようになると、両親を同時に毛嫌いするようになってしまったのだった。
父親に対しては、
「可愛そうだと思うが、実際に血が繋がっていないのであれば、単純に可哀そうだと思いうだけで、尊敬の念を抱くことはないだろう」
と思ったが、
「言われてみれば」
というふしがないわけでもなかった。
具体的に分かることではないのだが、
「なるほど、そういうことであれば、納得がいくことも少なくはない」
と思うのだった。
母親に対しては、憎しみ、嫌悪、さらには、憎悪といろいろ渦巻いてくる。
「俺をオンナとして育てようとしたのは、次第に男親に似ない男の子というものから、不倫がバレるというのを何とかごまかそうとするためだったのだろうか?
と感じた。
しかし、
「次第に子供が大きくなってくると、余計に目立つのでは?」
と思ったが、
さすがに十年以上も経てば、もし不倫がバレたとしても、ある程度時効的な気持ちもあったのかも知れないと思ったが、母親の最初に考えた、カモフラージュの方法が、次第に呪縛に変わっていったのだとすれば、本当の被害者は、
「この俺でしかない」
ということであろう。
母親はそのことを分かっているようで、
「このことは、墓場まで持っていこう」
と思うようになったようだ。
だから、母親は頑なに、息子の先輩への呪縛をやめなかったのだろう。
ただ、それが、
「子供としての愛情なのか」
それとも、
「男として見てしまったことで、呪縛が愛情の裏返しのようなものなのではないだろうか?」
と考えているのかも知れない。
だが、先輩は、その思いを感じたことで、
「自分が女性を好きになると、今度は自分が、その子に対しての呪縛になるのかも知れない」
と感じた。
そこで、女性に対しての態度は、
「適度な距離」「
として、
「つかず離れず」
という微妙な距離を保つことが大切だということなのであろう。
確かに、女の子への距離を皆等間隔にしておくことで、
「余計な気を遣わせない」
と思っていたのだ。
ただ、
「相手が俺を好きになってくれるのであれば、それはありではないだろうか?」
と考えていた。
相手から近づいてくれたら、こっちに責任はないということであるから、
「誰にでも、平等に優しくする」
ということを大切にしようと考えたのだった。
そういう意味で、凛子の考えは間違っているわけではない。
ただ、先輩がそう思うようになった理由が、
「想像以上に重たいことだ」
ということを失念していたのだ。
「まさか、こんなに重たいなんて」
と、もし知ることがあれば、当然のことながら、凛子にとって、
「予想が当たっていた」
ということと、
「少し虚しいな」
という思いとの二つが交錯することになると思っていた。
そんなことを考えていると、凛子も、
「大学生になって先輩と再会すると、どんな気持ちになるだろう?」
と思えてならなかった。
もちろん、こんな込み入った理由などしるわけもない、凛子は、何か、自分がお花畑を表から見ているような感覚だった。
「そこに先輩はいるのだろうか?」
と思うのだった。
先輩が、異常性癖に見えてきた時期があった。
凛子には、そんな先輩の事情など分かるはずがなかったので、親の話が絡んでいるわけではない。
それなのに、どこか変な気がしたのは、凛子という女の、持って生まれた予知能力のようなものであろうか?
ただ、猜疑心の強さが、
「そこには関係しているのではないか?」
と感じたのだ。
猜疑心にしても、自己顕示欲にしても、承認欲求にしても、
「あまり言葉にいいイメージを持つことはできない」
ということは分かっているのだった。
ただ、それが詳しくどういうことなのかということが分かっているわけではないので、「どこまで先輩のことが気になっているのか?」
ということになると、分からないのだった。
ただ、
「先輩が、異常性癖ではないか?」
と思うことで、何か納得のいくことがあるのだった。
先輩が、
「異常性癖だ」
ということを、何がきっかけで気づいたのだろう?
そもそも、先輩から少し距離を置いているのは、自分の方のくせに、相手を勝手に想像し、しかも、あまつさえ、
「異常性癖だ」
と決めつけるのも、何とも失礼なことではないだろうか?
先輩は高校時代、
「本当に優しい」
と感じさせてくれたのは、先輩だけだった。
他の人にも、
「この人は優しい」
と思うことはあったが、おれはあくまでも、漠然と自分が感じただけだ。
それも、
「他の人に比べれば、この人は優しい先輩なんだ」
という思いに至るわけであって、何を基準に優しいと考えるのかというのは、単純なことであり、あくまでも、
「他の誰かに比べて」
というものであった。
しかし、先輩に限っては、こちらから、比較するとういう意識はなかった。
「優しいと、感じさせてくれる」
というところの、
「相手の雰囲気に滲み出るものから、与えられる感情」
というものが、
「先輩の性格であり、優しさなのだ」
ということであった。
言葉にすれば、高圧的に感じるのだろうが、実際には、そうでもなく、
「結局最後、感じるのは自分なんだ」
ということになるのだ。
そう、最後の決定は自分であり、その自分は、周りと関係で、非の打ち所がないということを感じるのだから、これほど自分に対しての説得力というのもあるというものであろう。
「先輩は、こんな私のことをどう思っているんだろうな?」
と思った時、頭をよぎったのが、
「異常性癖」
であった。
ただ、その性癖が何なのか、よくわからなかった。
凛子が感じる以上性癖というと、
「同性愛」
「SMの関係」
「近親相姦」
などであった。
もっとも、同性愛や、SMの関係というと、基本的に、
「あまりいい関係というわけではない」
というイメージはあるが、それを異常性癖と呼んでもいいかというと、疑問い思うところである。
というのは、
「性癖が異常というと、もしそこに問題があったとすれば、解決にはならないだろう」
という考えであった。
「同性愛」
などというものは、
「性癖の一種」
作品名:抑止力のための循環犯罪 作家名:森本晃次