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血の臭いの女

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 そして、出版社がOKを出さないと、作品として完成されることはない。
 だから、プロットを描いた時点で、ある程度の構想が練られていたとしても、
「ボツ」
 と言われてしまうと、それ以上はない。
 よほど編集者を納得させられるだけの意見を持っていなければ、一小説家としては、どうしようもない。
 表向きは、
「先生」
 といっておだてられているが、本当に主導権を持っているのは、出版社だ。
「何しろ、こっちは金を貰っている身」
 ということで、本当に雁字搦めといってもいい。
「作品が完成するまで、ホテルで缶詰め状態」
 というのは、昔からドラマでも描かれているところであり、
「今も昔も変わらない」
 という意味では、
「ブラック企業なるものも、昔にも普通に存在したのではないだろうか?」
 とも思えるのだった。
 ただ、ブラックをブラックと思わない、バブルの時代、本当に、
「24時間戦えますか?」
 という時代だったのだ。
 小説を書き始めるようになって、どうしても短編しか書けなかった。読んでいた小説が、どうしても、
「奇妙なお話:
 だっただけに、短編が多いので、それはしょうがないことだった。
 だが、そのうちに、推理小説がどうしても気になるので、
「長編小説を読んでみたい」
 と思うようになった。
 ただ、美穂は、最近のミステリーや推理小説は好きになれなかった。どちらかというと、昔の小説で、今とは、
「時代が違う」
 と言われるようなそんな小説を読みたいと思うようになったのだった。
 いわゆる、
「探偵小説」
 と呼ばれるジャンルで、元々、ヨーロッパで始まったジャンルであり、シャーロックホームズものだったりポアロものであったりが、有名なところであった。
 日本に入ってきてからは、大正時代あたりからの、いわゆる、
「黎明期」
 と呼ばれた時代であったが、当時の時代背景が混迷期だったこともあり、どうしても、暗い作品が多かった。
 しかし、今のように、
「作られた暗さ」
 というわけではなく、実際に暗いと言われる時代背景から、本格探偵小説や、変格と呼ばれる探偵小説が生まれたりしていた。
 本格というのは、トリックや物語性を生かした、謎解きに特化するような探偵小説であり、変格というのは、精神的に病んでいる人間が起こす、猟奇的な犯罪であったり、人の心の奥に潜む異常性癖が、犯罪に絡んでくるというものであった。
 その例として、SM系であったり、耽美主義であったりなどというものが、探偵小説に絡んでくるのであった。
 探偵小説というのが、長さから考えるとすれば、
「本格探偵小説に、長編小説が多く、変格探偵小説と呼ばれるものに、短編が多いという感じがする」
 ということであった。
 あくまでも、個人の意見であって、言い切れるわけではないが、
「本格探偵小説に、長編が多い」
 というのは、
「トリックや、ストーリー性を生かした謎解き」
 という定義から考えて、どうしても、連続殺人が多くなったり、いろいろな伏線であったり、捜査における叙述的なところがあったりするからではないだろうか?
 探偵小説でトリックなどを駆使するとなると、どうしても、読者を真相から遠ざけるような筆者による伏線が必要だったりする。それが、叙述と言われるもので、
「作者による、読者に対してのトラップ」
 といってもいいだろう。
 ただ、これは、今の時代のように、
「トリックがほとんど、出尽くしてしまった」
 ということであったり、逆に、
「科学の発展とともに、今までは使えたトリックが通用しなくなった」
 ということが、大きいのであった。
 特に、アリバイトリックや、死体損壊トリックなどがそうであろう。
 アリバイトリックは、科学の発展というだけでなく、世情の変化、それこそ犯罪の多様化などによって一気に普及したものによって、そのトリックが阻まれるようになってきたのだ。
 いわゆる、防犯カメラや、ドライブレコーダーなどの普及である。
 防犯カメラというのは、街角での通り魔的な犯罪などの抑止という意味でも大きいが、犯罪に関係のないところでも、
「ネットのサービス」
 としての、いわゆる、
「ライブカメラ」
 というものが、普及してきたことで、街の至るところが、撮影されるようになってきたのだ。
 しかし、これが、
「よく大きな問題にならなかった」
 という発想もある、
 確かに、犯罪の抑止という意味では、重要なことなのかも知れないが、それ以上に、ここ、20年くらいの間に急速に言われるようになったこととして、法律でも規制のある、
「個人情報保護」
 というものが、よく問題にならなかったというものである。
 ひょっとして、問題にはなったのだが、知らなかっただけなのかも知れないし、それ以上に、やはり、防犯ということの方が比重が思いと判断されたのだろうか?
 街の至るところに防犯カメラ、ライブカメラなるものが設置してあると、犯人の特徴がバレバレである。顔を隠していたとしても、大体の特徴で分かってしまうものだ。どんなにアリバイを作ったとしても、映像ということになれば、
「動かぬ証拠だ」
 ということになるだろう。
 それを考えると、
「個人情報保護」
 という観点よりも、犯罪の防止の方が大切であろう。
 そういう意味で、警察や当局では、特に、
「守秘義務」
 ということが余計に大切になってくる。
 犯罪捜査のために、
「犯罪とは関係のない、他人のプライバシーを犠牲にするわけなので、犯罪捜査上知りえたそれらの個人情報は、よほどの犯罪に抵触しない限りは、口外してはいけない」
 ということであろう。
 それが守られないということになっれば、警察というものへの信頼は失墜してしまい、
「治安国家」
 としての立場がなくなるということであろう。
 特に今の時代は、昔と違って、
「民主主義の時代」
 である。
 基本的人権という、自由と平等は、永久的に個人として守られるというのが、モットーではないだろうか。
 それができるのは、平和国家というものが守られているからで、昔の大日本帝国との決定的な違いとしては、
「有事の際には、自由がある程度制限されてしまう」
 ということだからである。
 これは、
「戒厳令」
 とも似たもので、天皇が発した、各戦争における、
「宣戦布告の詔」
 を見ればよく分かるというものだ。
 宣戦布告の詔というのは、
「戦争において、まず、万世一系の天皇が、日本国を代表して、敵国に宣戦を布告したということを述べて、天皇直轄の軍部、さらに、戦争遂行のために一丸となる普段は、国民と言われている、臣民たちに対して、最優先で宣旨に当たってほしいということを述べる。そして、その後で、なぜ、戦争をしないといけないのか? ということを述べている」
 というのが、宣戦布告の条文ともいうべき、詔である。
 つまりは、当時の日本人は、戦争に当たって、一致団結して、勝利に邁進するというのが、大日本帝国というところの、
「臣民」
 と言われるものだった。
 つまり、今の日本は、
「立憲民主制」
 であり、
 大日本帝国では、
「立憲君主制」
 だったという違いなのであった。
作品名:血の臭いの女 作家名:森本晃次