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血の臭いの女

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「送付された原稿を漏れなく読んで、批評を返すということが、作家にとって、暖かさと信憑性を感じた」
 ということであろう。
 それまでの出版社には、持ち込み原稿というのは、そのまま、
「ゴミ箱にポイ」
 というのが、当たり前だった。
 しかし、自費出版社系の会社は、必ず読む。なぜなら、読んだうえで、その本を出版するための、費用の見積もりをしないといけないからだ。
 しかも、その見積もりというのは、出版社の利益分、そして自転車操業における経費すべてを含めたところで、作家に出させるというものだったからだ。
 見積もりにある定価というのは、原価や経費を含めたところから算出したものではなく、あくまでも、
「これ以上の値段にすると、そもそも、誰も買わないだろう」
 というギリギリの線である。
 どうせ売れるはずのないものではあるが、消費者センターなどに引っかかればまずいので価格は、正当な値段にしておかなければならない。
 つまりは、本当は定価2,000円で売らないと、元が取れないものを、定価1,000で売ろうとする。そうなると、作家に対して、すべての経費をすべてだと、契約に違反することになるのっで、せめて、一冊1,500円負担でお願いしようということになるのだろう。
 しかし、これだって、経済学の理論からいけば、それだけで、詐欺である。
 次第に、この自転車操業の補填をさせているというカラクリに気づいた本を出した人たちが、訴え出たので、出版社に勝ち目はないのだ。
 そもそも、
「出版社が、このやり方で、本当に長くできると思っていたのだろうか?」
 というのも疑問である。
 何事も、
「辞め時が肝心」
 という言葉を聞いたことがある。
 言い方は悪いが、
「逃げるが勝ち」
 ということであろうか?
 これは、戦争などでも、いえることである。
 特に、大日本帝国のような、
「国土が狭く、資源に乏しい小国」
 ともなれば、
「相手を完全に粉砕する」
 であったり、
「侵略して、占領する」
 などという戦い方はそもそもできるはずがないのだ。
 領土を広めるというのは、あくまでも、
「戦況を有利に進める」
 ということが目的なのだ。
 つまり、大日本帝国が戦争をする場合に、唯一といってもいい勝ち方というのは、
「負けない方法」
 といってもいいだろう。
「最初に、相手の主要基地に対して、先制攻撃をかましておいて、相手に、かなりの打撃を与えたり、作戦行動がしばらくの間できないようにしておいて、その間に、領土を拡大し、相手が、戦意を喪失してきたところ、タイミングを見計らって、どこかの国に仲介を頼むことで、講和を申し込み、自分たちに有利な条件で、講和を結ぶ」
 という方法しかないのであった。
 日露戦争の時は、戦争に協力してくれる同盟国として、イギリスがいて、さらに、講和の仲介を、アメリカにお願いできたのだが、大東亜戦争では、その米英が敵であった。
 しかも、すでに時遅しの状態で仲介をお願いしようとした国が、ロシアの後継国である、
「ソ連」
 というのも、歴史の悪戯であろうか?
 特に、20世紀初頭に起こった、2度の世界大戦など、
「昨日の敵は今日の友」
 とでいうように、敵味方が入り混じってしまっていたという、
「カオスな時代だった」
 といってもいいだろう。
 そもそも、大東亜戦争では、せっかく、出鼻をくじけたにも関わらず、講和に持ち込むことをせず、結局、そのまま、戦争を遂行しようと考えたこと自体が、間違いだったのだ。
「勝ちすぎた」
 ということなのであろうが、
 そもそも、戦争において、資源もないくせに、占領地が広くなりすぎて、戦線が伸び切り、補給だってままならない状態え、占領地を確保しなければならないということは、
「軍人」
 としては、いささかお粗末な考えである。
 戦国時代の戦であっても、
「絶対にやってはいけないこと」
 ということで、たえず、自分の方を有利に戦を継続させるということを考えていた、戦国武将の方が、よほどしっかりしているということだろう。
 しかも、どんどん、戦争は近代戦に持ち込まれているにも関わらず、まったくその有利性を考えようとしないのは、自殺行為だといってもいいだろう。
「戦線が伸び切れば、補給がままならないこと。占領地が増えれば、捕虜をたくさん抱えなければいけないということ」
 それらが、戦争継続にどれほどの足かせになっていくのということが、どうして分からないのだろうか?
「特に海軍も陸軍も頭が硬いというのか。どちらも、昔の旧態依然とした戦い方を、まるで、武士道とでも思って勘違いしているのか、戦争継続などできるはずがない」
 と言えるだろう。
 サークルで小説を書いていると、いろいろなジャンルに挑戦してみたくなる。
 本当は書いてみたいのだが、最初から、
「私には無理だ」
 と思うのが、ミステリー系であった。
 理論詰めて書かないといけないという感覚があるのか、最初から敬遠してしまった。それよりも、漠然とした感覚で、
「最後の数行で、面白いと思うような作品が書ければいいんだろうな」
 というものを目指すようになったのは、今まで読んできた本の中でも、
「大人の作品」
 と思えるところからだった。
 とにかく文章表現が巧みで、そこに、リズミカルでスピーディさが溢れていることから、読んでいて、まったく疲れる感じがしない。
 美穂は、
「自分で小説を書きたい」
 と思っているくせに、本来なら、他人の作風などを研究するものではないかと思うのだろうに、他の人の作品を読もうとはしないのだった。
 というのは、もちろん、
「面倒くさい」
 というのもある。
 ぶっちゃけ、子供の頃など、活字が億劫で、セリフ以外のところを読み飛ばして見ていたりしたくらいだった。
 ギャグマンガなどで、内科文章を読んでいて、
「漢字を飛ばして読んでいる」
 とでもいうような感じであった。
 そんな人間が、数年経ってから、小説を書きたいと思うのである。そのための最低限のマナーとして、小説というものに向き合う前に、勉強としては、ハウツー本を読んだり、人の作品を読んで、自分なりに研究をするというのも、よくあることではないだろうか?
 美穂は、そんな、
「奇妙な話を書けるようになると、まず自分の中で、それまでにため込んでいたアイデアを、ノートに書く殴った。
 結構な分量であったが、まだ、プロットに起こして書けるくらいの技量はなかった。
 普通のサークルであれば、
「ちゃんとプロットを作って」
 というくらいに、プロット談義、あるいは教室のような感じで、人それぞれの工夫を発表し合うというような感じになっていることもあったようだ。
 だから、
「漠然とした内容として描くことができる奇妙な物語系」
 の作品を目指したのだった。
 だいぶ慣れてくると、プロットも書いてみることにした。
 そもそも、プロットには法則などないのだ。自分さえ分かり、他の人に分からなくてもそれでいい、ただ、プロ作家などで、プロットが企画としての資料になるのだとすれば、編集者がその形式を決めてくるだろう。
作品名:血の臭いの女 作家名:森本晃次