血の臭いの女
美穂という存在が、次第に億劫になってくると、今度は、苛立ちに変わってくる。それは、今度は美穂にも伝染するのか、それとも、まわりが皆前に行ってしまったことで、前に人がいるということで巻き起こる、苛立ちや憤りという感情が、やっと芽生えてきたのかも知れない。
だから、まわりの皆が大学生活を楽しんでいるのに、なぜか自分だけが苛立ちの中に取り残されて、
「それまでの自分は何だったんだ?」
と、高校時代までには感じたことのない、
「結界を超えた感情」
というものが芽生えてきたようだった。
だが、今度は、4年生になると。就活であったり、卒業というものが、頭をもたげてくるようになる。
大学生活を謳歌してきた連中は。半分は、
「自分のために、時間を使った」
ということで、しっかりとした考えを持っている。
だから、就活も、卒業に関しても、さほど心配する必要はなかったのだ。
だが、
「自分のために時間を使ってきた」
ということを感じることのできない人は、
「やりたいことがあり、それに向かって努力はしてきたが、うまくいかなかったということがあった」
という人であった。
そんな連中が一番感じたことは、
「不安」
だったに違いない。
「就職活動や、卒業」
という、目の前に迫った心配ごと。
さらには、それを超えてからも、実際に就職し、会社に入ってからの自分の立ち位置、そして、それに伴う人間関係などを不安に感じることだろう。
しかも、実はもっと不安なのは、そんな
「不安に感じる毎日」
というものが、
「手を変え品を変え、どんどん迫ってきて、永遠に、払拭できないものとなってしまう」
ということであった。
これから長い先の人生で、一度大学を卒業するという、人生の中で、ハッキリとしているターニングポイントの中で一番直近に控えているのが、その問題だったのだ。
実際に、就活、卒業で悩んでいる人もかなりいた。しかし、いまさら美穂に頼るわけにはいかない。
彼らにも男の意地があった。
美穂はというと、
おかげさまで、人のことに気を遣わなくてもよくなった関係で、一人でいることが多くなった。そのおかげか、一人でできる趣味を見つけることで、苛立ちを軽減できればいいと思っていたが、それが、功を奏したようだった。
小説を書くということを、大学祭の時の展示で見るようになったのだ。
小説執筆
大学祭の時に、いくつかある文芸サークルで、ほとんどのサークルが、
「機関紙」
のようなものを発行し、部員が皆オリジナル作品を載せていた。
内容は、ミステリーやホラー、SFに恋愛小説と、多岐にわたっていたのだ。
美穂は、その中で、オカルト系の小説に興味を持った。
まるで、昔テレビであった、
「奇妙な物語」
シリーズの短編を一時間番組で数本放送していたような感じだった。
「こんな小説、書けるようになれば楽しいだろうな」
と思って雑誌を手に取って見ていると、
「興味ありますか?」
といって、部員の女性が話しかけてくれた。
それまで、同性とあまり話をしたことがなかったので、戸惑っていると、
「この人は引っ込み思案な人なんだ」
と思った相手は。必要以上に話をしてこなかったが、やたら、
「興味があるのかどうなのか?」
ということが気になるようで、何度か聞き直していたのだった。
「ええ、私にも書けると楽しいだろうなと思いました」
と正直に答えると、
「そうでしょう?」
といって、とたんに前のめりになる。
「そうだと思っていました」
と相手がいうので、
「どうして分かったんです?」
と聞き返すと、
「あなたの表情を見ていると、その真剣な目線が紙に何かが乗り移ったかのように見えて、次第に姿勢が前傾姿勢になってくるのを感じたんです。真横から見てると、特に感じましたよ」
というではないか。
「女性の直感というのは、こんなにも鋭いものなんだろうか?」
と感じるようになっていた。
特に今まで、異性との付き合いは多かったが、同性の友達はほとんどいなかった。
「ひょっとすると、同性から、自分が異性のように見られ、どこか警戒のまなざしで見られていたのかも知れない」
と感じるほどであった。
同性が異性のように感じられるようになると、特に女性を見ていて、
「まるで鏡に写った自分を見ているような気がする」
と思ったことで、
「同性と付き合うのは怖い」
と思っていたのは、
「自分というものを見つめることが怖いのだ」
という感情に至ったからではないだろうか?
そんなことを感じていると、気になって入った文芸サークルのエリアで声をかけてきた女性を見ても、まるで、
「鏡に写った自分」
という意識がなかったのが不思議だったのだ。
「いきなり声をかけてきた相手」
だったからなのか、それとも、
「同性でありながら、性別意識を感じさせなかったかなのか」
美穂にとって、不思議な出会いだった。
しかし、その理由というのがおぼろげに分かってきた。
というのが、その人をすぐに尊敬するようになったからである。
尊敬というものは、
「自分にできないと思っていることを、軽々とできる人だ」
というのが定義になると思っている。
もちろん、その程度にもよるのだろうが、
特に、興味を持ち始めた小説を、いとも簡単に書けると思っている相手だからであった。
そもそも、小説というものは、
「私には、絶対にできないことだ」
と感じていることであった。
だから、余計に、できるというだけで尊敬に値するものだった。
しかも、その尊敬に値する人から、声を掛けられた。きっとあの時の衝撃は、そういうことだったのだろう。
小説というものを書くというのは、結構大変だと聞いた。
まずは、構想を練ることであり、そのために、プロットと呼ばれる、一種の、
「設計図」
を書くことが先決であった。
ただ、書き始めで、素人であれば、そう簡単に書けるものではない。書こうと思っても。最初の構想が中途半端であれば、書けないというものだ。
それでも、何とかプロットを書き上げるのだが、その時も、
「どこまで落とすか?」
ということが問題であった。
実際に、プロットを完璧に書いてしまうと、本文を書こうとすると、なかなかうまくいかないということもあるようだ。
その理由にもいくつかあるが、一つとして、
「プロットを努力して完成させたことで、安心してしまい、本文に集中できない」
ということがあり、もう一つとして、
「完璧すぎて、それを文章に起こす時、どんな言葉を使えば、プロットがブレずに済むか?」
ということも考えられる。
「つまりは、プロットというものが、小説執筆の中心になっている」
ということであった。
だから最初は、プロットに起こすことなく書いていたが。次第に、
「プロットが大切だ」
と思うようになったのは、それだけ、
「執筆中というものが、自分を妄想の世界に連れていくものだ」
と感じた一つの要因でもあった。
だから、小説を書いている時は、別の世界が広がっていて、その世界に入りこんでいる。