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血の臭いの女

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 となっている、以前は街の中に一つはあったと言われている、銭湯。昔のドラマなど、有料放送で見たことがあったが、そこに描かれている
「富士山の絵」
 というものが特徴である、銭湯を、一度も味わったこともないくせに思い出すというのは、一体、どういうことだというのか?
 前述のような、
「夢というものの正体」
 を考えていた時、たまに頭をよぎることがあったが、いつも、
「そんな非科学的なことは」
 といって、考えるのをやめることが多かった。
 それが、どうしても気にはなっているのか、夢で疑問を感じた時、いつも意識されることであったのが、
「夢というのは、前世から引き継がれているものではないか?」
 ということであった。
 今の世の中で、普通は、前世というものを意識することは、ほとんどといっていいほどはない。
 先祖というものを意識することはあるが、それは、あくまでも自分の、
「家系」
 ということであり、宗教的な、いわゆる、
「仏教思想なのではないか?」
 と思うが、先祖を敬うというのが、当たり前のように感じられている。
 これは、よく考えてみると、
「種の保存」
 という、人間以外の動物であれば、本能で脈々と受け継がれているものであり、そこに疑問も思考もまったく挟まることはない。
 何しろ、
「動物というものに、意識はないからだ」
 と言えるのではないだろうか?
「種の保存」
 ということであれば、それは、動物だけにいえることではなく、
「植物にだって言えることだ」
 というものだ。
 だが、そんな、動物も植物も合わせた、
「生物」
 すべての中で、人間だけが、意識、さらに、発展した意思というものが持てる、唯一の生物なのである。
 それを考えると、
「先祖などという、血の綱がりだけではなく、もっと他の、自分の前世から、さらにその前の前世という繋がりをどうして大切に思わないのだろうか?」
 という考えである。
 なぜか、
「自分の前世が誰であったのか?」
 ということが分からない。
 敬うべきはずのものであれば、そこまでハッキリとしていないと、できないものではないか?
 と言えるだろう。
 しかし、もし、前世というものが分からないのが、実は無理もないことだということであるならば、
「元々、前世というものは、どこにも存在していないのだ」
 ということになるのではないだろうか?
 前世という発想は、人間が勝手に考えたものであり、その信憑性はないものなのかも知れない。
 占い師などが、
「前世」
 という言葉を使っているが、それはあくまでも、
「人間が勝手に作りだした妄想」
 というものでしかないのかも知れない。
 実際に、
「前世の存在を考えれば、理屈に合う」
 ということも考えられるわけで、その理屈を、いかに解釈するかというわけが、すべてであるとすれば、
「前世というのは、理屈で解釈するためだけのために、人間が勝手に作り出した、妄想の一種ではないか?」
 と言えるのではないだろうか?
 だから、人間は、その前世を勝手に妄想し、占い師は、その意識を分かったうえで、占いを依頼した人に、
「都合よく聞こえるように話すことで、信憑性と、信じるだけの意識を植え付けようとする」
 ということなのだろう。
 だから、決して、いいことばかりをいうわけではない。そういう意味で、
「占い師の言葉には信憑性がある」
 と言われるのではないだろうか?
 占い師というものは、昔から、
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
 というではないか。
 いかにも、
「いいことを言っている」
 とでもいうように錯覚してしまうが、それはあくまでも、占いを受けるくらいなので、「占い自体を信じている」
 ということから始まっているのだが、占い師としても、すべてのものを的中させるなど不可能だと思っているのだろう。だから、
「当たるも当たらないも、それが占いというものだ」
 といって、言い訳をしているのである。
 考えてみれば、占いというのも曖昧なもので、
「そもそも、一体、当たった当たらないというその境目はどこにあるというのだろうか?」
 と考えるのだが、
「すべてが当たっていなければ、外れた」
 と考えるのか、逆に、
「一つでも、理にかなった当たり方をしていれば、当たっているということになるのであろうか?」
 それとも、そこまで極端ではなく、
「どこかに、妥協というか、落としどころのようなものがあるということになるのであろうか?」
 という考えがあったのだ。
 もっと言えば、
「どこまでの信憑性が、占いにおける、当たりになるのかという決まりのようなものがあるのかどうか?」
 であった。
 今のところ、
「そんな決まりなどない」
 ということであろう。
 それが分かっているのであれば、もっと、誰もが占いをしてもらおうと思うことだろう。
 だが、逆に、
「頑なに、占ってもらうのを拒否しよう」
 とする人もいるだろう。
 なぜなら、
「自分の運命は自分で切り開くものだ」
 と思っているからで、テレビなどでは、よく聞かれる言葉だった。
 だが、本当にそうであろうか?
 これこそ、言い訳に聞こえてくるのだ。ただ、運命というものをどこまで決まっているのかが問題であり、運命には、
「決まっていて、変えられないものと、本人の努力によって、いくらでも限界のないものがあり、それを伸びしろと感じる」
 ということであれば、この言葉はいいわけではないだろう。
「運命は、最初から決まっていて、変えられるものではない」
 という考えは、宗教から来ているのかも知れない。
 そんな風に考えると、
「宗教など信じる気にはなれない」
 と思う人の一定数いて、
「宗教依存が激しい人と、自分ファーストのどちらがいいのか?」
 ということを考えると、
「後は、自分の意識がどちらに向くか?」
 という問題であり、個人個人で決められるものなのかどうかも、分からないことなのであろう。
 録音された音を聞いてみると、最初は、相手から何も反応がなかった。少しずつ、静寂になれてくるようになると、浴槽で感じた音だけではなく、そこから先の音が、かすれているようにも思えた。
 言ってみれば、
「ハスキーな喘ぎ声」
 という感じであった。
 ただ、その声の主は男性であり、女性である美穂には、
「聞いていて、嫌な気分にしかなれないものだ」
 といってもいいだろう。
 その声を辿ってみようと思ったが、声が銭湯のようなところで籠って聞こえることで、男だと思っているその声も、本当に男なのかどうか、自分でも分からないくらいであった。
 その声を、最初は、
「男だ」
 と思っていると、気持ち悪さがひどくなってくる。
「自慰行為をしている変質者」
 というイメージになったからだ。
「その声を、しかも、自分が録音してしまったのだ」
 と思っただけで、ムカツキがひどくなり、嘔吐をもよおしてきた。
 その瞬間、美穂は、
「あ、月に一度のものがやってきた」
 ということを感じた。
 大体分かってはいたが、後から思えば、そのための、
「血の臭い」
 だったのだろう。
 ということであった。
「血の臭い」
 というのは、
作品名:血の臭いの女 作家名:森本晃次