血の臭いの女
「自分の出血には、さほど、気持ち悪さを感じないが、他人が出血したりしたところを見てしまうと、貧血を起こして倒れてしまうという人がいるというではないか?」
ということであった。
だから、痛みをいかに感じるかということは、
「その本人にしか分からない」
ということで、人間の中にある、妄想であったり、想像力というものが、果てしないということを証明しているに違いないと思うのだった。
「自分の痛みは、自分で理解できるが、他人のことは、同じ感覚になるはずがない」
という前提の元に考えられている。
だから、無意識のうちに、
「自分は自分、それ以外は他人だ」
と思っていて、
「自分というものと同じレベルで他人を図ることはできないのだ」
と感じているということである。
もっと言えば、
「自分に限界はあっても、他人に限界はない。だから、自分は、どうあがいても、他人に勝てるわけがない」
と感じている人がいるということだ。
かくいう、美穂も同じことを考えているようで、ただ、このことは、たぶん、自分だけでなく、皆が、
「大なり小なり感じていることに違いない」
と思っているのだった。
それが、
「デジャブ現象」
のように、
「自分だけのことだと思っていたが、実際には、皆にあることで、それは、世の中には無限に存在している真理なのではないだろうか?」
ということを考えているのだった。
そんなことを考えていると、血の臭いが、
「実は、前世に感じたことではなかったか?」
と考えさせられた。
そんな状態において、一瞬にして、湿気が乾燥に変わってしまった瞬間があった。
その時は自分でも、ハッキリとそれが分かった。というのは、眠っていた頭が、完全に目が覚めるという瞬間に置き換わった時であった。
普段であれば、鳴るはずのない、いや、鳴らないと思っていたはずのケイタイが鳴ったのだ。
夢を見ていたのか、気が付けば、目が覚めていた。そして、それまで感じていた思いすべてが、
「まるで夢だったんだ」
と思ったのだった。
「目を覚ました夢」
というのを、何度か見た気がした。だから、夢を何度も見たような気がするのだし、その夢が、
「まるでマトリョシカ人形のようだ」
という感覚になったのだった。
「マトリョシカ人形」
それは、ロシアの民芸品であり、大きな人形が蓋のようになっており、それを開けると、中から少し小さめの人形が出てくる。そしてそれを開けると、また小さな人形が……。
ということで、どんどん小さくなっていくのだった。
そんなに小さくなっていくのを見ていると、またしても、
「この感じ、今までにもどこかで味わったような気がする」
と感じるのだ。
それが何だったのかということを思い出してみると、それが、
「合わせ鏡のようなもの」
だったということを思い出すのだった。
「合わせ鏡というのは、まず、自分が真ん中にいて、その前後か左右に鏡を置き、その鏡の一つを見ると、まず鏡に写る自分がいて、その向こうに鏡が写っていて、その鏡には、反対方向からの自分が写っている。さらに、それを写す向こうの鏡……」
ということで、これも、マトリョシカ人形のように、果てしなく続いていくと考えてしまうものだった。
だが、どんどん続いていくものであるが、理論的に、
「どんなに小さくなっていったとしても、最後にはゼロになるわけではない。かといって、限界があるのかどうなのか、肉眼で確認できるというのは、人間の限界が先に来てしまyからだった」
と言えるであろう。
だから、無限なのかどうなのかが分からない時点で、ゼロになることがない物体が存在する時点で、
「理論で証明されない限界が存在している」
ということになるのだろうか?
そんなことを考えている間にも、目が完全に覚めていないのか。本当は一瞬にして目が覚めてしまったことで、今一度、夢の世界に引き戻されようとしているということなのか、自分でも分からない状態から、
「今が夢の世界なのか、現実なのか分からなかったのだ」
と思うのだった。
ただ、目が覚めてもまた睡魔が襲ってきたというのは、電話のコールが一度だけで、いわゆる、
「ワン切り」
というものだった。
「ワン切りであれば、間違えて掛けたと相手が思ったのか、気にすることはないんだわ」
と思った。
だから、安心したというべきか、今一度夢の世界に誘われたいと感じたのは、楽しい夢でも見ていたからだろうか。
ただ、その夢をぶち破った電話のコールに腹立たしさを感じながら、確実に睡魔が襲ってきているのは、間違いないだろう。
「気が付けば、睡眠時間に入っていたのだ」
と平気で言ってみたが、表現としてはおかしい。
「睡眠時間に突入していたことを、気が付くのだろうか?」
ということであるが、正確にいえば、
「睡眠や夢というのを破られたことに気が付いたので、それまでが睡眠だったということに初めて気づくわけで、それでも、このような表現をするということは、自分が、矛盾だと思いながらも、無理もないこととして認識しているからではないだろうか?」
そして、それが現実になったのは、2度目の電話が鳴り響いた時だった。
最初は、アラームなのかと思った。
「もう起きる時間なのか?」
という錯覚を感じたのは、
「その前に一度起こされているという思いから。自分の中で時間の感覚がマヒしていたからではなかったか?」
と、目が覚めてから感じた。
もし、目が覚めるまでに考えたことは、
「きっと夢の中を彷徨いながら感じたことであり、その考えこそが、夢というものの、具現化ということではないだろうか?」
と感じたのだった。
とにかく、今回の電話は一度だけのコールではなかったので、
「間違い電話というわけではないのではないか?」
と感じ、
「もしもし」
といって、まだ完全に覚めていない状態で答えていたので、相当にハスキーな声だったことだろう。
前が見えているわけでもない。
「これほどブサイクな顔を「しているなどと思うのは、目覚めの時だけなんだろうな?」
と感じるほど、さぞや、顔がくしゃくしゃになっていることであろう。
これは、目覚めの時に毎回感じるもので、さすが、女性というべき感覚であろうか、
「こんな表情、何があっても、誰にも見せられないわね」
と感じたことであった。
今まで、誰か好きになった男性にも感じたことであろうか。
ワンコールごとに、目が覚めていくのを感じていた。実際に受話器を取ったのは、何コールめだったのか、定かではないが、電話に出て、返事をした瞬間、
「あれ? これって夢の続き?」
と思ったに違いない。
そうでなければ、またしても、そのまま眠ってしまっているとは思えないからだった。
気が付けば、今度は目が覚めていて、目を覚ます本当の時間だったのだ。
今度の目覚めは、正真正銘の、アラームによるものだった。
朝のいつもの時間。いつものように身体を伸ばし、いつもの朝を迎えたつもりでいた。