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血の臭いの女

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 しかも、夢というものほど、実に都合のいいものはないであろう。
 というのも、その考えの裏付けとして、
「夢というのは、実に都合のいいところで目が覚めるものだ」
 ということであった。
 夢から覚めた時、例えば怖い夢で、いきなり殺されそうになっていたとして、ナイフが胸に突き刺さる前に、現実に引き戻され、
「夢か?」
 と思い、ホッとした瞬間、身体から滲むような汗が噴き出してくるという感覚だったのだ。
 ただ、都合がいいという言い方自体が、ある意味都合のいいもので、
「楽しい夢」
 というものを見ている時は、
「ちょうどいいところで目を覚ましてしまい、悔しい思いをする」
 ということではないかと感じていた。
 だから、楽しい夢というものは、
「見た」
 という意識は残っているのだが、実際の記憶としては残っていないというものなのではないだろうか?」
 と感じるのであった。
 ただ、そう考えると、
「楽しい夢というのも覚えていてほしい」
 と感じるのだ。
「ひょっとすると、楽しい夢というのを覚えている、その時というのは、色も臭いも、記憶の中に封印されただけで、引き戻すことができれば、思い出すことができるのではないだろうか?」
 というのが、たまに、起きている時にふと感じる、
「デジャブ」
 なのではないか?
 ということであった。
 というのも、
「デジャブというのも、デジャブが起きるという感覚になる予感めいたものを感じるからだ」
 という感覚が残っているからだ。
 これを口で説明するのは、かなり困難なもので、
「デジャブ」
 という現象が果たしてどういうものなのか?
 ということを、証明できなければいけないのではないだろうか?
 そもそも、
「それができるくらいなら、もっと早くに、学者のお偉い先生たちが、この不思議な感覚を解明してくれているはずだ」
 ということだ。
「デジャブ現象」
 というものを、最初から言葉もなく、皆が同じレベルで意識をしていなければ、
「自分だけが感じる不可思議な意識で、こんなことを感じているなどということを他人に話すと、笑われるに決まっている」
 ということで、きっと、誰もが、
「タブーだ」
 ということで、誰にも話していないに違いない。
 だが、誰かが研究したことで、これが、
「誰にでも起こる不可思議な感情の表れのようなもの」
 ということで、名前をつけて、学会で発表したりすることで、知名度を得たのだ。
 実はそれと似たことは、世の中にごまんとあることだろう。
 心理学者や、精神医学者などが研究を重ねたものは、相当数あることだろう。
 たとえば、
「躁鬱症」
 などと呼ばれる精神的な病があるが、これも、千差万別に種類があるようだ。
 普段は、現れないが、何かのきっかけで襲ってくるというところは、どの人にも言えることなのかも知れないが、それだけではなく、その程度の度合いに、たくさんの種類がある。
 精神的に、
「何をやってもうまくいかない気がするだけ」
 というようなものから、
「身体中に痛みが走っていて、それを薬による痛み止めの効果によって和らげるしかない」
 という重度なものまであることだろう。
 だから、一つの病気をその言葉によって、十把一絡げというわけにはいかない。
「人の数だけ、病気がある」
 といってもいいだろう。
 特に精神的な病というのは、デリケートなもので、本当に、一人一人と向き合うことで治療していかなければいけないものではないだろうか。
 中には、
「すぐに死にたくなる」
 というようなものもあり、
「自殺菌」
 などという発想が頭の中に生まれてしまうということだって、無きにしも非ずということである。
「自殺菌なるものがあって、それのせいで、死にたくなる」
 などといえば、
「何を変な妄想しているんだ」
 と言われるかも知れないが、学者によっては、真剣、そんな菌が存在しているのではないか?
 と考えている人もいるかも知れない。
 いや、
「そういう菌やウイルスを作ることで、それを戦争における兵器として使用すれば、まだ誰にも認識もされていないものだから、まさか、ウイルスによるものだとは思わないであろう」
 と言えるだろう。
 そう考えると、
「バイオテロ」
 というものは、実に恐ろしいもので、まったく予期していないことが起こった場合に、「これからは、そのバイオテロの可能性も視野に入れなければいけないだろう」
 と言えるのではないだろうか?
 この時の金縛りに遭っている時、そのことと、もう一つ考えたのが、
「血の臭いの正体」
 ということであった。
 子供の頃に、確かに血を見たという記憶はないはずなのに、
「なぜ、こんな血の臭いを鮮明に思い出すんだろう?」
 ということであった。
 血の臭いというのは、ずっと鼻についているもののように感じるのだった。決して忘れないものであり、それはやはり、意識の中で忘れてはいああいものだといえるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、金縛りに遭いながら、また血の臭いを感じたのは、
「今考えているからだろうか?」
 それとも、
「血の臭いを感じたから、こんなことを感じているのだろうか?」
 と、まるで、
「ニワトリが先か、タマゴが先か?」
 という感覚のようであった。
 ただ、
「今回はこの血の臭いとは別の臭いが含まれている」
 というのを感じたのだ。
 その臭いというのが、どんな臭いなのかというと、
「いつも嗅いでいて、それほど嫌な臭いというわけではないのに、血の臭いと混ざると、ここまで気色の悪い臭いになろうとは?」
 という思いであった。
 そこまで感じると、その臭いの正体が何であるか、少し分かってきた気がする。
「そうだ、これは汗の臭いなんだ」
 ということであった。
「自分の身体から発するものであれば、それほど嫌な気分になることはないが、これが他人の臭いだと思うと、これほど嫌なものはない」
 というものは、実はたくさんあったりする。
 例えば、吐き気を催すようなものが特にそうなのではないかと思うが、
「例えば、ニンニクの臭い」
 これは、ガムを噛んだだけでは、臭いが消えることはない。身体から蒸気として湧き出しているということで、
「風呂に入ったりして、身体全体から臭いを発散させなければ消えない臭い」
 というものであった。
 他には、汗の臭いもそうであろう。
 自分の身体から出る臭いは、そうでもないが、他人が汗を掻いているところを通り過ぎたりなんかすると、嗚咽を伴う気持ち悪さが襲ってきて、思わず臭いの元の相手に対して、
「こいつ、何てやつだ」
 と思い、思わず、睨みつけてしまうことだってあるに違いない。
 また、何とも言えない臭さを認識していないのは、本人だけだということは、結構あるだろう。
 まるで、自分の姿を、鏡のような媒体を使わなければ見ることができないということと同じ感覚なのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、血の臭いも同じことであり、だからこそ、
作品名:血の臭いの女 作家名:森本晃次