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血の臭いの女

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「前にも来たことがある」
 というのを感じさせたのだから。
 もしその感覚がなかったら、ずっと初めてきたと思ったに違いない。
 ただ、デジャブを感じたもう一つの理由が、臭いだったのだ。
 その臭いを感じた時というのが、昔の農家にあった納屋のような建物に入った時だっただろうか、完全木造のその建物は、虫よけなのか、カビ防止なのか、脂のような臭いがしていたような気がした。
 そんな中、カラッと晴れ上がった天気の中、本来なら、湿気がなくなっているであろうと思っていたのだが、そんな中、急に湿気が襲ってきて、その湿気の中で、鉄分の臭いを感じたのだった。
 それが、何を意味しているのか分からなかった。
 ただ、それは、
「血の臭いだ」
 ということを、小学生の自分が感じることなどできないはずだと思ったのに、大学生になってその場所まで来た時、ハッキリと、その鉄分を含んだ臭いがしたわけではないのに、いきなり。
「ああ、血の臭いだ」
 と、一足飛びに感じたのだった。
 なぜ、こんな感覚になったのかというと、やはり小学生の時の記憶がよみがえってきたからなのかも知れない。
 ただ、ハッキリ言えるのは、
「今までに、自分の血以外に見たことがない」
 という記憶だった。
 自分の血であれば、今までに何度か見てしまったという意識があるが、他人の血を見れば、たぶん、ゾッとしてしまって、震えが止まらない気がしたからだ。
 予防注射を打つ時、前の人が打たれているのを見るだけで、そっとして、身体の震えが止まらなかったくらいだ。
 しかも、自分で腕をアルコールで消毒した時の感覚が、実は一番気持ち悪いと思う瞬間であり、最後に腕に針が刺さる時は、それほどでもなかったのだ。
 だが、刺された瞬間、いきなり腕に力が入らなくなってしまったのを感じると、
「この瞬間のことを、アルコール消毒の時に想像してしまい、その瞬間、ピークが訪れることで、いつも腕に針が刺さる前から、どういう痛みなのかが想像できることで、意外と刺さった瞬間。そんなに痛いとは思わないのだろう」
 と感じるのだった。
 血の臭いを感じた時も、そうだったのかも知れない。
 かつて、記憶の中にある臭いと、実際の臭いがリンクすることで、痛みを勝手に想像させるのだろう。
 だが、美穂は今までだって、手術をしたり、大きなけがをしたということもなかったはずだ。
 ましてや、児童の頃までというと、意識に残るようなそんな感覚があるわけもない。それを思うと、
「この地の臭いの意識はどこからくるのだろう?」
 ということであった。
「記憶というよりも、意識に近いのかも知れない」
 というのを感じた。
 記憶と意識というものは、
「記憶が、遠い過去にあり、封印されているものを一度ほどいて、そこから、意識できる形に戻すことで、思い出すという感覚になるのではないか?」
 と思っていた。
 ただ、記憶というのは、あくまでも、
「封印されている」
 というものでしかない。
 つまりは、
「記憶の格納されている場所は、時系列できれいに並んでいるものではない」
 と言えるのではないだろうか。
 つまり、それだけ、記憶として格納されているものを感じるためには、
「記憶という形に戻す必要がある」
 ということである。
 ただ、記憶を意識に戻すスペースは、ある程度限界があるとはいえ、
「記憶を呼び起こした」
 という気持ちになれるほどの、ある程度のスペースと、
「遠い記憶として、意識できるだけの、整然とした序列を持つ必要があるだろう。ただ、時系列だけは、そうはいかないもので、そのせいで、辻褄が合っていないような記憶の蘇り方をすることがある」
 と感じていた。
 つまり、
「記憶の引き出しという意識がある程度広くなければ、記憶を意識として復活させることはできないであろう」
 と言えるのではないだろうか。
 ただ、夢というものと、
「過去の記憶」
 というものを、混乱してしまうことがある。
 ただ、夢というのは、
「過去の記憶を思い出すために使われる」
 と言われることもあるようで、だからこそ、
「目が覚めるにしたがって、忘れていく」
 と考えれば、納得のいくこともあるだろう。
「夢を見た時、覚えている夢と忘れてしまう夢」
 この違いを、
「怖い夢と、そうでもない夢」
 という括りで思っていたが、それはあくまでも、
「覚えている夢のほとんどが怖い夢であり、しかも、もう一人の自分という恐怖の存在を思わせる」
 という感覚になることで、自分が納得できるものに、都合よく変えているのではないかと思ったのだ。
 だが、
「過去の記憶を意識として思い出す時に、夢を使うことがある」
 と思うと、理屈としては分からなくもない。
 いったん、記憶の封印を解いた時点で、まずは、
「その日に見るはずの夢」
 というスペースに、その記憶が置かれるのではないか?
 という考えである。
 その日に見るはずの夢が、そこにまだ格納されていなければ、
「夢の候補」
 として、優先的に見ることになるのだ、
 夢は、いくつかの意識の中から、
「予約のような形で格納される」
 と考えると、
「格納した場所に何もなかった」
 と思えば、その日、夢を見ていなかったといえるのではないだろうか?
 そう考えると、
「夢を見ていない時の方が多いのではないだろうか?」
 と考えられる。
 一時期、いや今でも、
「夢というのは、毎日のように見ていて、目が覚める時に、忘れるか忘れないかで、記憶されているかが決まるだけのことである」
 と思っている。
 ただ、最近になって、
「夢の予約」
 というような考えが浮かんでくることで、自分が、見ている夢と、実は自分自身で無意識のうちに、
「コントロールしているのではないか?」
 と感じるようになったのだ。
 それを考えると、
「過去の記憶と、意識、さらに、そこに夢が絡んでくる」
 ということで、何か自分の意識の中にある考えに結びついてくるのを感じた。
「そうだ、三すくみという考え方だ」
 と感じた。
 それぞれを抑止する考え方で、片方だけを意識しているわけにはいかず、必ず、正対する二つを監視しておかなければいけない。そして、迂闊にも自分から手を出すことになってしまうと、間違いなく、襲い掛かった相手を抹殺できるかも知れないが、同じ瞬間に、自分も抹殺さえることになり、この三すくみというのは、
「動いた瞬間、すべてがなくなってしまう」
 ということになるであろう。

                 真夜中の奇妙な電話

 そんなことを考えていると、目が覚めたと思った瞬間、身体が動かなくなった。
「あっ、金縛りに遭っちゃった」
 と感じたが、とりあえず、どうすることもできないので、冷静になることを心掛けた。
 すると、またしても、血の臭いを感じるようになり、その時に閃いたのは、
「これは夢ではない」
 ということであった。
 というのは、
「夢の中では、臭いというものを感じないのではないか?」
 という思いからであった。
 確かに、夢の中では、臭いも色も、さらに痛みも感じない。
作品名:血の臭いの女 作家名:森本晃次