同一異常性癖の思考
実際に現場に行って、何も得られない。そして、捜査員から、
「無駄足でしたよ」
ということを言われると。
「よし、じゃあ、これで捜査は打ち切りにしよう」
ということで、最初の計画通り、
「お宮入り」
ということになるようであった。
警察は、このタレコミに対して、
「悪戯だったんだ」
ということで、肩をつけようとしている。
桜井刑事ですら、悪戯だと思っているようだ。
「桜井刑事がそう思うんだったら、悪戯なんだろうな」
と皆が感じていた。
言葉にすれば、同じ単語の羅列でしかないのだろうが、迫田刑事が考えていることは、他の人とは若干違っている。
というのは、他の刑事は、この事件が、
「お宮入り」
になることを、別に何とも思っていない。
逆に、
「これだけの捜査をしたんだから、しょうがない」
というような気持ちであった。
しかし、迫田刑事は、解決できなかったことに憤りを感じてはいるが、それよりも、この犯人に対して、ちょっとした、
「リスペクト」
を感じていた。
「敵としてあっぱれ」
とでもいうべきなのだろうが、ただ、やったことが残虐すぎるので、
「そんな気分になってはいけない」
という、自分の中にある、
「勧善懲悪」
という気持ちが表に出ていることで、ジレンマに陥っているのかも知れない。
そういう意味で、この事件が、
「お宮入り」
になるということは悔しかった。
だから、10年近く経った今でも、昔の捜査資料に目を通すようになったのだ。
この事件だけではなく、他の未解決事件も同じであった。
そのうちに、口の悪い後輩などからは、
「迫田さん、昔の捜査資料を見返すのが趣味なんですか?」
と言われるほどであり、
「いやいや、趣味なんてもんじゃないよ」
と苦笑いをするのだが、心の中では、
「お前たちの中の少しでも、そういう気持ちになるくらいのやつがいてもいいんじゃないか
と思っているのだった。
少しでも、
「未解決事件というものが少なくなればいい」
という気概を持った刑事がいれば、
「もう少しは未解決事件も減るのではないだろうか?」
と感じるのだった。
暗躍
怪情報を元に捜査をしたが、やはり何も出てくることはなかったわけだが、そのわりに、何か釈然としないこともあった。
一番大きな感覚は、
「なぜ、情報がこの時に出てきたのだろう?」
ということであった。
指名手配的なものは、前から行っていた。そもそも、その結果が出ない限り、捜査の打ち切りなどできるはずもなく、指名手配をしてから、しばらくの間、事件に対して動ける人間を一定数確保しておかなければ、指名手配をした根拠もないということだ。
それを分かっているから、捜査員も、
「お宮入りが近づいたから、公開捜査に踏み切ったんだろうか?」
ということであった。
元々、
「容疑者は海外逃亡した」
と言われていて、実際に、得られる情報もなく、
「警察の捜査力にも限界がある」
ということになったにも関わらず、何もせずにお宮入りは、ここまで捜査してきて完全に犯人に対しての敗北だったからである。
だから、警察としては、
「最後の手段」
ということで、公開捜査を行い、指名手配をすることで、何か一つでも、情報を得られればという、苦肉の策だったということであった。
そんな中、やっと出てきた唯一の情報だったのだ。
指名手配に踏み切った捜査本部では、
「踏み切った甲斐があった」
と思ったのだろうが、捜査員たちは、果たして、そう思ったのだろうか?
どちらかというと、
「今まで何も情報がなかったのだから、容疑者は海外にいて、我々警察には手出しができないんだ」
ということで、憤りを感じる事件であるが、
「それが現実だ」
と自分たちがそれぞれ、思い切ることで、憤った気持ちをいかに発散させるかということの方が大変だったことだろう。
そういう意味でも、最初に方は、この凶悪事件を、
「何とか解決に導きたい」
といって、士気も盛んだったのだろうが、次第に事件の情報も得られず、容疑者は、海外にいるということが分かってくると、
「日本の警察では手出しができない」
ということで。何もできない自分たちがどうしようもないことに気づかされるのであった。
だから、すでに今は、捜査本部と、実際の捜査員との間での確執は、結構なものだったのではないだろうか?
そういう意味で、
「お宮入りになる」
と言った時、正直、捜査員のほとんどは、ホッとしていたのではないだろうか。
ただ、警察の面目や、検挙率を気にしている人たちにとって、捜査の打ち切りは、
「無念」
以外の何物でもなかったに違いない。
警察力の、自ずとその限界を、捜査本部の幹部が一番よく分かっているはずなのだが、それでも、できる限りのことをやって、それでも、味わうのが、その限界だということを分かっているだけに、実につらかったことだろう。
だだ、ここでの、
「最初で最後の情報」
といってもいいタレコミに、一縷の望みを賭けたというのも、無理もないことだったであろう。
「一縷の望み」
で何とか、一矢を報いたいと思っている捜査本部。
そして、
「どうせガセネタに違いない」
と思い、最初から情報を信じていない、士気もまったくといっていいほど感じられない捜査員との間の温度差は相当なものだったことだろう。
小学校の頃の学芸会などを思い出す。
一年に一度、父兄を招いて、生徒の練習の成果を見せるというような、演奏会のようなものがあった。
どこの小学校でもあったことだろうが、クラスごとに課題曲があり、皆それぞれ全員が何かのパートを担当し、一大オーケストラを形成しているのである。
もちろん、日ごろからピアノなどを習っていて、その実力は、
「お墨付き」
という人もいるだろう。
しかし、ほとんどの生徒は、授業だからということで、
「好きでもないのにやらされている」
というのが、音楽の授業の実態ではないだろうか?
当然、音楽会というものへの取り組み方は、本当に人それぞれで、温度差も高いだろう。
少なくとも、
「イヤイヤやらされている」
と思っている人間は、
「よし、いっちょうやってやるか」
などと考えている人はいないだろう。
ただ、中には、普段から引っ込み思案の人は、こういう機会でもないと、自分が目立てないと考えていれば、少しは気概もあるということだろう。
だが、そういう人が自分から感情を表に出すことはないだろうから、その気持ちを分かる人もいない。
目立たない人は、どうやっても、目立たないのだ。それは、自分から、表に出ようという考えを持っていないからに相違ない。
では、
「日ごろから習いものなどをしている生徒であろうか?」
ということになるが、意外とそういう連中も覚めていたりする。
というのも、日ごろの成果は、ちゃんとしたコンクールのようなものがあり、そこで、専門家の先生が評価するという、緊張の場面で、しかも、
「一世一代の舞台」
というものを目指している子供にとって、学校での音楽会などというのは、