小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

同一異常性癖の思考

INDEX|8ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

 迫田刑事は、今までの事件解決において、そのほとんどを推理して、解決に導いてきた桜井刑事とペアでやってきたのだ。
 桜井刑事が、どんなことに注目し、事件に関しての問題を一つ一つ解決していくことの中に、
「鋭い嗅覚」
 というものが必要だということが分かっていたのである。
「迫田刑事も、いずれは、私のようになるだろうから、まずは、今くらいの時に、自分には何ができるのかということを、しっかりと自覚しておく必要があるということだね」
 と桜井刑事はいうのだった。
 桜井刑事にとって、迫田刑事が、
「本部長にとっての、自分」
 というような感覚になるのだった。
 迫田刑事は、いつも桜井刑事の背中を見ているのだった。
 10年前の事件のタレコミが、いかにも、
「迷宮入り前」
 だったのだが、実際に刑事がそのタレコミの信憑性を探ろうとして出向いてみると、それらしいことはなかったのであった。
 そもそもタレコミというのが誰からなのかということも分からない、そんな状態で、捜査員も、半信半疑だということで、なかなか、その信憑性の裏を取ろうとしても、
「本当に真剣に考えている人がいるのだろうか?」
 というほどに、なっている。
 特に刑事というのは、民間の情報に揺さぶられてしまうことがどうしても多い。特に、公開捜査などを始めると、
「情報はたくさん集まるのだが、それだけに、その一つ一つを確認するだけで大変なのに、そのすべてが違っていたなどということになると、まったくやる気が失せてしまうのではないか?」
 ということになるであろう。
 確かに、その中には、ガセネタと呼ばれるものもたくさんあるに違いない。いや、ガセネタしかないといってもいいかも知れない。
 そもそも、最初から、怪しいという人物がいれば、公開捜査になったとたんに情報を寄せるまでもなく、情報提供をしていると思うわけで、それだけ、最初から、危機感を抱いていなかったということなのであろう。
 そう思うと、
「警察に寄せられる情報というものに、どれだけの信憑性があるかというのは、実に曖昧なものだ」
 と言えるだろう。
 えてして、
「意図して何かをもとめようと行動を起こせば、結果、逆効果だということは、結構あるものだ」
 と言えるのではないだろうか。
 例えば、
「世界的なパンデミック」
 が起こった時、
「休業要請」
 なるものが行われたが、その時、
「一部の店が要請に従わない」
 ということがあった。
 正直、国が出す補助金程度では、スズメの涙にも満たないということで。要請に従わないお店であった。
 それを、当時、
「自粛警察」
 と言われるような、ネットでのご注進から、世間でも、
「そんな店が悪い」
 と言われた。
 そこがパチンコ屋だったので、世間はこぞって、店を攻撃するので、それでも従わない店に対して、自治体が店名を公表すると、翌日以降、客が殺到したということである。
「依存症」
 と言われる人がいることと、普段から自粛というものにウンザリしていた人が、全国から一気に押し寄せたのだった。
 これは完全に逆効果である。
 密集してはいけないのに、その店が開いているから客は来るわけで、しかも、その情報を与えたのが、自治体ということだ。
 本来なら、店名を公表することで、
「社会的制裁」
 を与えるつもりだったはずなのに、逆に、店を繁盛させることになったのである。
 さすがに、
「それならうちだって」
 ということで、他の店も店を開けることにならなかっただけでもよかったということであろう。
 普通に考えれば、他に開ける店がどんどん増えてきても、無理もないことのはずだからである。
 それを思うと、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 ということわざを思い出させるものなのであろう。
 その時、数人の刑事が、タレコミを信じる形で出かけていったが、5人くらいで確認にいったが、結果、何ら情報通りではなかったということで、
「ああ、せっかく出張ってきたのに」
 と、まるで、
「くたびれもうけ」
 とばかりに、愚痴をこぼす人も多かった。
 普通の捜査であれば、
「どんな肩透かしのような情報であっても、必ず確認するのが、警察官の役目だ」
 というだろう。
 何と言っても、警察官というのは、
「治安を守る」
 というのが先決である。
 ただ、昔でいうところの、
「治安維持」
 という言葉は、今とはかなりの違いがあったようだった。
 特に、大日本帝国時代というのは、今の日本国とはその実態が違っていた。
 実態というよりも、
「国体」
 というものが違っていたのだ。
 今でこそ、憲法で定めるところの主権は、
「国民」
 であるが、大日本帝国憲法においては、
「天皇」
 だったのだ。
 しかし、どちらにしても、最優先するものは憲法であり、今が、
「立憲民主制」
 であるのに対し、大日本帝国時代では、
「立憲君主制」
 だったのだ。
 その証拠として、大日本帝国では、今の「国民」のことを、「臣民」 と呼んでいた。
 つまり、
「臣民」
 というのは、
「君主制の中で、平時においては、国民はある程度の自由は持っていたが、有事などの場合には、国民は個人の権利よりも、天皇の命令によって行動しないといけないということになる」
 ということであり、日本国における、
「国民」
 というのは、
「憲法に定められた基本的人権は、何人たりとも犯すことのできないもので、永久の権利として保証されるものだ」
 ということであった。
 そんな、大日本帝国における、
「治安維持」
 という考えは、あくまでも、戦時体制を築いていく中で、
「臣民として、国民が、天皇の命令に逆らうことのないよう、警察権を行使して、戦争に邁進していく」
 ということで、大日本帝国における国民のことを、
「臣民」
 としている時点で、正直、治安維持という考えは間違っていないのかも知れない。
 治安維持法とは、これから戦争に向かっていくうえで、反政府主義であったり、反戦的な考え方を取り締まるという意味であるのだとすれば、
「憲法に従った法律」
 ということで成立したのであろう。
 特高警察などと呼ばれるものが、国民を迫害したかのように言われていて、実際にそうだったのかも知れないが、時代として、そして、
「国防」
 という意味でいけば、特高警察は大切な国の機関であり、治安維持法は、大切な法律だったといえるだろう。
 警察は、怪情報を元に捜査に入るのだが、実際に、容疑者と思しき相手は現れない。ただ何かが動いているのは確かなようで、警察が、掴んでいる情報は、握られているようにしか思えない。
 だからと言って、警察が振り回されているわけでもないようだ。情報に信憑性はあるのだろうが、その情報が、警察が求めているものとは違うのではないかと思うのだった。
「警察はあてにならない」
 と最初から思っているのか、それとも、
「警察があてになるかどうかを、探っている」
 というところなのか、何かを試されているように思えてならないのだった。
 ただ、警察も、そんな、ハッキリとしない情報にいつまでも振り回されるわけにはいかない。
作品名:同一異常性癖の思考 作家名:森本晃次