同一異常性癖の思考
などと世間や、幹部に言わせまいという気持ちが強かったようだ。
しかも、幹部も結構2代目がいたりした。
何と言っても、悪党の息子が、普通に一般企業で働くこともできないだろう。
なぜなら、先代から、
「悪党としての教育」
というものを受けてきたからではないだろうか。
「いまさらかたぎになんか、なれるわけはないんだ」
ということだったのであろう。
そうなってくると、この詐欺グループは、
「表に出ようとした瞬間に、頭の上がコンクリートで固められていて、出ることができないと分かったことで、窒息死すれば平和だったのかも知れないが、英才教育のおかげで、表に出ることができた。しかし、その時には時代が変わっていて、自分たちのやり方が通用しなくなっていて、挙句の果てに世間を敵に回すと、どうすることもできないという、先代たちが味わってきた状況を、嫌でも知ることになる」
ということだったのだろう。
そんなことも、すでに今の時代では、ほとんどの人が忘れていることだろう。
特に、2代目の時のことは、すぐに世間は忘れていたことだろう。
というのも、
「センセーショナルというのは、最初だからこそ、衝撃的なものであって、二番煎じは、あくまでも、サルマネでしかない」
ということであった。
だから、
「前にも似たようなことがあった」
ということを世間が感じると、
「何だ、二番煎じか。性懲りもなく、また同じことをやっているだけか」
ということになるだろう。
それを考えると、確かに、
「老人をターゲットにした、霊感商法的なこと」
ということで、当時は世間では騒いでいたが、いうほどの衝撃で騒いでいたというわけではない。
「皆が騒ぐから」
というだけで、自分も調子に乗ることで、相手に対してダメージを与えることはできるだろうが、ただ、それだけのことで、組織がわは、怖気づいてしまったのだろうが、それで潰れてしまうというのは、本当の、
「自滅」
ということであり、それも結局は、
「自業自得だ」
ということである。
だから、今回は警察が、組織より勝ったということで、
「敵に背を向けて、一目散で逃げようとしている相手であれば、警察はその威力をいかんなく発揮する」
ということであろう。
組織は完全に壊滅し、まったく浮上してくることはなかった。
会社としても完全に消滅し、世間からも、警察からもそちらの記憶から消えていくのであった。 ただ、一つ気になることとして、
「やつらが、ぼろもうけしたはずの金はどこに行ったのだろう?」
ということであった。
被害者がたくさんいるわけで、その人たちへの救済は、ほとんどされていない。
「騙し取られたままだ」
ということだった。
しばらくは、
「被害者の会」
というものが結成され、
「何とか被害者に少しでも、保証されれば」
ということで動いていた。
やつらから返ってくるというよりも、政府だったり、自治体からの協力を仰ごうと思ったのだが、結局は、
「国民の税金」
からということになる。
勧善懲悪であるかのような世間であったが、あくまでも、自分に関係がないから言えたことで、
「税金を投入して被害者を救済」
などということになると、とたんに大反対だ。
「何で、騙された連中のために血税が使われるんだ? あれは被害者連中の自業自得ではないか?」
と、
「可愛そう」
といっていた舌の根の乾かぬうちに、
「自業自得」
というワードが飛び出してくるのだった。
要するに、それだけ、
「世間の風」
というものが、実にいい加減で、冷たいものなのか?
ということの証明なのであろう。
そんなことを考えていると、
「警察だって、しょせん、勧善懲悪にはなれないんだ。それどころか、弱きをくじき、強気を助けるというような体質ではないか?」
と思えてくうのだった。
「縦割り社会」
と言われるものへの疑念や、憤りがないのだが、それは、見ないようにしているから気にしないだけであって、実際に意識してしまうと、
「警察というものが、漠然と理不尽だ」
と考えるようになるのだった。
ただ、今回のこの事件は、自分が刑事になりたての頃にあった事件と、どこか似ているので、実際に、再捜査してみたい10年前の事件と、昔にあった、
「年寄りを狙った詐欺事件」
との間に、何か共通したものが感じられることもあって、どうしても、こちらの曽佐資料や調書も、気にして見ているのであった。
さすがに、10年前の事件の時には、警察の縦割りであったり、自分の憤りがどこからくるのかということも、分かるようになっていた。それだけ、経験を積んでいるということなのだろうが、警察というものを、
「一方向からしか見ない」
ということではないということで、成長したのだといえるだろう。
その10年前の事件、こちらは、完全に、
「凶悪犯」
であった。
昔の事件というのは、
「卑劣な犯罪」
ではあったが、
「凶悪」
というわけではなかった。
ただ、
「金を奪う」
という行為は共通していて、結果として、
「その人の人生をそこで終わらせる」
という意味では共通していた。
確かに詐欺事件では、命を奪うわけではないが、それまで、必死で働いてきて、
「楽しい老後を生きよう」
と思っている人の、ささやかな楽しみを奪うのだから、残りわずかな人生だということを考えると、いかに卑劣かということが分かる。
10年前の事件は、
「有無も言わさずに、命を奪い、その結果金を奪う」
というよりも、
「お金を奪うために、相手の命を奪った」
ということだったのだ。
「そもそも、命を奪うことまでは考えていなかったのではないか?」
という意見もあったが、だとすると、実際に殺しているというのであれば、
「顔を見られたから」
ということであり、結果として、人が惨殺されているのだから、恨みがあったわけではないとすれば、
「実に身勝手な犯罪」
ということになり、絶対に許されるわけではないといえるだろう。
その時の捜査としては、その家に住んでいた息子が疑われた。
というのも、犯行があった翌日の第一便で海外へ旅行するということを、まわりの人に吹聴していたという。
しかも、実際に、死体が発見される前に海外に出てしまっていて、本来なら帰ってくるはずのその日に、帰ってこなかったのだ。
警察の捜査が続けられたが、
「その息子が犯人である」
という証拠は、まったく出てこなかったのだ。
「状況証拠は、明らかに息子が犯人だと示しているが、実際には誰が犯人なのかということはハッキリと言えない」
ということだった。
それだけに、息子の事情聴取が必要なのに、結局帰国したという気配がないまま、
「重要参考人が行方不明」
ということになったのだ。
もちろん、金を取られているので、
「強盗殺人の容疑が深い」
というわけだが、念のために、被害者に恨みのあるという意味での、
「怨恨」
からも捜査が行われたが、被害者二人を悪くいう人はおらず、恨みを買うようなことはないことから、やはり、
「強盗殺人だ」
ということになったのである。