同一異常性癖の思考
と言われた、戦前から言われていたことであった。
それだけに、どうしても犯罪を計画する人は、その、
「出尽くした」
と言われるものから、組み立てようとするのだろう。
確かに、完全犯罪のようなものもできるかも知れない。しかし、探偵小説の中でも、逆に、
「完全犯罪などというのは、起こりえない」
ということから出発している話だってあるではないか。
たとえば、密室殺人(実際には自殺だったのだが)を考えた時、
「雪の上に足跡を残さずに、凶器を表に出す」
ということを、機械トリックで証明した作品があったのだが、
「密室を作りにくいと言われた日本家屋においての、密室」
ということで、話題を巻き起こしたのだが、実際はそこが焦点ではなかったのだ。
「機械トリックというのは、ある意味で、小手先のトリックだ」
といっている作家がいたが、まさにそうであろう。
その小説の一番の問題というのは、
「密室になってしまった」
ということだったのだ。
探偵小説なのでは、
「密室トリックの謎を解く」
というのが、テーマだというのだろうが、もし、これがリアルな殺人事件であれば、犯人側からすれば、
「密室トリックを完成させる」
ということが、目的ではない。
犯人側からすれば、
「自分が犯人だと分からないようにする」
ということが目的であり、それを、
「完全犯罪」
と呼ぶのである。
つまり、犯人の目的は、
「完全犯罪を成功させること」
なのだ。
だから、確かに密室の謎で捜査を混乱させることはできるだろうが、本来であれば、密室にするよりも、
「犯人が他にいて、その人に殺されたかのように偽装する方が、よほど犯人が考えることであろう」
と言えるのではないだろうか。
だから、この場合の密室が、
「予期せぬ密室だった」
ということが、この事件の本当の醍醐味だったということだ。
つまり、
「天候などによって、完全犯罪をもくろんでいても、それがうまくいかなくなり、仕方なく、この事件のような密室が出来上がったことで、逆の意味で、捜査が混乱するということになったのだ」
という。
それが、
「完全犯罪」
の難しさであり、不可能ならしめるゆえんではないだろうか?
つまり、いろいろ犯罪に策を弄するということは、必ず、今まで発見されたいくつかのトリックのパターンに抵触しているということになるのではないだろうか?
「密室トリック」
「アリバイトリック」
「死体損壊トリック」
「一人二役トリック」
など、いろいろあるが、その中でも、いくつかの法則があったりする。
もちろん、それはあ探偵小説の中でのお話になるのだが、
「最初から分かってしまっては立ち行かないトリック」
あるいは、
「最初からそのトリックだということを、示さないと始まらないトリック」
という二つのパターンである。
そちらにしても、必ず、そのどれかに当て嵌まるというものだ。
しかも、今の時代は昔と違い、
「完全犯罪などありえない」
というほどになってきている。
なぜならば、
「それだけ科学が発展してきて、かなり前から科学捜査によって、いくつかの犯罪が不可能と言われるようになってきた」
ともいえるからであった。
何といっても、DNA鑑定ができるようになってから、死体損壊トリックなどが、難しくなってきているだろう。
いわゆる、
「顔のない死体のトリック」
と言われるもので、探偵小説などでは、
「首なし死体」
「バラバラ死体」
などと言われるもので、顔や、指紋がなく、身体の特徴のある部分を傷つけることで、
「死体が誰か分からない」
という状態にするというものであった。
この場合の公式として、一般的に言われているのが、
「被害者と加害者が入れ替わる」
というものであった。
つまり、被害者だと思われている人が実は加害者であれば、
「自分は死んだことになっているので、誰かに発見されさえしなければ、捕まることはない」
ということであった。
もちろん、昔は時効は15年ということだったので、その15年、捕まらなければ時効が成立するので、そこで自分に戻ってもいいということである。
ただ、15年というのは、相当の長さであり、その間捕まらないようにするというのはかなり無理があるだろう。そういう意味でも、あまり実際には難しく、
「探偵小説の中だけのこと」
と言われるのではないだろうか。
しかも、今の時代では、
「DNA鑑定」
なるものがあるおかげで、
「いくら死体を損壊させたところで、身体の皮膚の一部からでも、被害者を特定することができる」
ということで、犯人が意図したような、
「誰が被害者なのか分からない」
ということはないであろう。
また、今の時代では、なかなか犯罪トリックとして難しくなってきたものとして、
「アリバイトリック」
というものがあるのではないだろうか?
昔であれば、時刻表を使った、
「トラベルミステリー」
などというものもあったが、今の時代はそれ以前に、
「街全体の至るところに、防犯カメラが設置してある」
ということで、いくらアリバイ工作をしようとも、犯行現場であったり、アリバイ工作をした場所に、自分が写っていないなどということが発覚すれば、いくら、アリバイ工作をしようとも難しいであろう。
今の時代は、いろいろな犯罪防止の観点はもちろんのこと、ネットの普及などもあり、個人の位置情報から、ライブカメラなどによる、
「サービス」
という観点からも、ライブカメラが乱立している。
それだけではなく、最近問題になっている。
「あおり運転」
あるいは、
「キレたドライバー」
「タクシーなどによる、キレた客」
というものが増えたことで、車の中に、ドライブレコーダーをほとんど皆が設置している。
防犯カメラだけを意識しても、偶然近くの車に設置してあるドライブレコーダーに映っていないとも限らない。走っている車も、停車している車にも言えることなので、そのすべてを犯行時、まったく遮断するということは、実質的に不可能だといってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、最近の犯罪は、昔からいわれている、
「犯罪のパターン」
を不可能ならしめるものがたくさん出てきているということである。
だから、
「ますます完全犯罪などありえない」
と言われるようになったのだ。
前述の密室トリックにしてもそうなのだが、
「策を弄すれば弄するほど、トリックとしては、事件を混乱させることはできるだろうが、あくまでも、それは探偵小説の世界においてだけのことで、実際の犯罪としての、完全犯罪というものを精巧ならしめることは、不可能だと分かってくるのだろう」
ということになるのだった。