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完全犯罪の限界

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 ということもあり、同調するところはあったのだ。
 愚痴をこぼしているやつは、理屈では分かっていても、どうしても、個人情報保護というものに納得がいかない。
 というのも、あの法律が後ろ向きのものだからだ。
 なぜかというと、
「個人情報というものを悪用しようとするやつがいるから、こんな法律を作らなければならなかったわけだ」
 ということだからである。
 そんな悪がいなければ、こんなことにはならない。
 いわゆる、
「詐欺」
 ということなのだろうが、
「この詐欺という犯罪は、いくら警察や当局がその対策を考えたとしても、相手も、もっと卑劣で巧妙な手口を考えてくる」
 つまりは、
「いたちごっこ」
 になるということだ。
 しかも、巧妙になってくるにしたがって卑劣になるということは、犯人側が、
「卑劣を先に考えれば、それが巧妙につながる」
 ということを分かっていることで、さらに卑劣な犯罪を考えているということになるのかも知れない。
 それは、実に憤りを感じさせることであり、特に、
「勧善懲悪」
 をモットーに考えている人間にとって、この詐欺の手口や考え方は、
「完全に敵である」
 ということでの、お互いに、
「宣戦布告をした」
 と思ってもいいかも知れない。
 特に宣戦布告だというのは、こっちの勝手な思い込みであるが、その思いを、
「警察が受け継いでくれている」
 と思えば、少しは留飲も下がるというものだが、実際にそんなこともないようだ。
「警察というところほど、横の連携ができていないところはない。あくまでも、縄張り意識を持っていて、しかも、縦割り社会。さらには、いかにも公務員というような、指示がなければ動けないというそんな集団なんだ」
 と言われても仕方がないだろう。
 というのも、
「警察は何かが起こらなければ動かない」
 とよく言われる。
 知り合いの人が行方不明になった時もそうだった。結果として、最悪の結果を見ずに見つかったからよかったものの、
「もう少し遅れていたら、自殺をするところだった」
 ということだったようだ。
「警察というところは、本当に何もしてくれていないよ。捜索願を出したんだけど、まったく探そうとしてくれていなかったようで、こっちが見つかったことを報告に行っても、事務的に、それはよかったですねって言われただけさ。後で人に聞くと、警察は、捜索願を出しても、普通は動かないらしい。何かの事件に関わっているとか、自殺をしようと遺書を残しているとかいうことでないと、まったく探そうともしてくれないらしい。暇なくせに、そんな暇はないというだけなんだよ」
 と家族の人は、吐き捨てるように言った。
「だから、もう警察なんか信用しない。信用すれば裏切られるというのは、警察のためにある言葉なんだろうな」
 というと、もう一人がいうには、
「それは、自治体の相談員なんかでもそのようですね。特に最近いろいろ言われている、DVだったり、親による、児童虐待だったりというのが、問題になっているけど、いつも、何かあった後にいろいろ言われているじゃないですか。学校側や警察からは、児童相談所の方に、忠告しているのに、相談員が動いてくれないなんてのも、最近はよくあるから、結局、犯罪が起こってから、相談員が何もしなかったということが言われるようになったんですよね」
 というと、
「確かにそうですね。でも、相談員に捜査権があるわけではないので、疑わしいというだけで、子供を保護するわけにもいかない。親の方も巧妙に、そして陰湿なことをするようになったことと、自動相談員が何もできないと思うことで、被害者を助けることなどできないということが分かってきたんだろうな」
 ということを言われるようになったのだ。
 そんなことを考えていると、世の中の、
「理不尽さ」
 が分かってきた。
 しかも、それは、
「守ることを仕事としている人たち」
 が、
「動こうといない」
 あるいは、
「動くことができない」
 という世の中だから仕方がないということでいいのだろうか?
 少なくとも、警察は動くことができるはずだ。
 捜査権もあり、機動力もある。本来なら、全国に広がっているネットワークを使えば、行方不明者の捜索くらいはできて当たり前だろう。
 それをしないということは、
「怠慢」
 と言われても仕方のないことであり、どうして、
「その怠慢体質ができてしまったのか?」
 と考えると、その上である、
「政府がそれに輪をかけて、グダグダなのだから、しょうがない」
 ということであろうか。
 そもそも、政府は、警察よりもたちが悪い。
 露骨に与野党の争いなどを見せられると、
「国会なんて、本当に茶番だな」
 としか思えないではないか。
「臨時国会の開催だって開く開かないは、結局与党の都合、本来開かなければいけない応対でも開かなかったり、別に今開く必要もない時に開いたり、国民の目から見ておかしく見えることがあれば、それは皆、自分たちの津道でしかないんだ」
 ということなのだろう。
 しかも、その、
「自分たちの目で見ておかしい」
 ということだらけではないか?
 一つとして、理屈の通ることはない。しかし、それも、政治家の都合という面から見れば、まったく理屈に合っているのだ。
 つまり、政府や政治家というのは、
「見ている目線がまったく違う」
 というのが、
「政府は何を考えているのか分からない」
 ということの現れであろう。
 それを考えると、
「国家というものを信じられない」
 というのも、当たり前というもので、その、
「手先」
 ともいえる。警察や自動相談員などが、いい加減なことをして、結局自分たちが責められるという、
「自業自得」
 なことをしても、結局、
「失ったものが戻ってくるわけはない」
 ということになるのである。
 それを思うと、
「今の世の中何を信じればいいというのか?」
 という中で起こったのが、
「アルバイト員による、郵便物を捨ててしまった」
 という事件であった。
 昔にもあったが、次第に減ってはいたのだが、今の場合は、
「郵便受けに名前がないので分からない」
 というのが理由だったようだ。
 しかも、その人は中途半端に頭のいい人で、
「これを理由にしておけば、世間が少しは味方になってくれる」
 と思ったようだ、
 しかし、それを理由にするのであれば、電光石火でそれを認めさせるのであれば、何とかなるのだろうが、ちょっとでも、ダラダラすると、皆が我に返ってしまって、言い訳が通じなくなるということで、難しいことになってしまうのではないだろうか。
 それを思うと、
「中途半端な犯罪ほど、厄介なものはない」
 と言えるだろう。
 中途半端な場合は、どこかにひずみが出てきて、厄介なことになるのだろうが、そのひずみはどこに出るのかが分からないようだ。
 というのも、本人は、まわりが、
「表札がないのなら仕方がない」
 と思ってくれるだろうと思って計画しているつもりが、確かに最初の方は、
「確かにその通りだ」
作品名:完全犯罪の限界 作家名:森本晃次