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完全犯罪の限界

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 テレビ局も、そういう人を集めてくるのか、それとも、コメンテイターには、きつく差塩から言っているのか、とにかく、
「当たり前のことを、当たり前のようにコメントする」
 ということなのだろう。
「だったら、誰にでもできそうじゃないか?」
 と言われるが、だからこそ、本職の研究者であったり、専門家である人がいうのであれば、まだいいのだが、それを、芸人のような連中に言わせるのだろう。
 確かに、最近の情報番組というと、芸人の人たちばかりが、
「コメンテイターというのか、曜日ごとのレギュラーメンバーというような感じでひな壇に控えている」
 というのをよく見る。
「芸人だから悪い」
 などということではなく、言っていることに、重みも感情も感じないのは、
「当たり前のことを当たり前にしか言わないからで、本当の専門家であれば、自分の意見に自信を持っているはずなので、理論立てて説明しようとする」
 のだろう。
 しかし、芸人であれば、
「ただ、思っていることをいうだけ」
 ということで。これには、尺という問題もあるだろうが、
「ただ、いうだけであれば、誰にだっていえる」
 というのを自ら証明しているようにしか思えない。
 だから、
「最近のワイドショーのコメンテイター連中の言っていることに、賛同できないんだよな」
 と思っている人が多いと思えるのだった。
 そう思うようにあると、
「当たり前のことを当たり前に言われると、それはウソである」
 というような、天邪鬼的な考えになるのも、無理もないのではないだろうか。
 確かに、最近の民放(某放送局を含め)は、疑問にしか思えないような放送が多いような気がする。
 正直、
「テレビ離れ」
 が進んでいるので、当間のことなのかも知れない。スマホやネットで、
「ユーチューブ」
 などというものを見れば、それで足りるからだ。
 ニュースだって、ニュースアプリが話題のニュースをポップアップしてくれて、簡単に見ることができる。何も、テレビをわざわざ持って、番組を見るなどという人は、どんどん少なくなっているだろう。
「家にテレビがない」
 などというのも、結構いるようで、
「テレビなんて必要ない」
 ということになるだろう。
 特に新聞もそうかも知れない。スポーツ新聞の中には、
「紙媒体をなくして、ネット配信オンリーにする」
 というところも出てきたくらいである。
 そもそも、新聞なんて、読んでしまえば、
「ゴミにしかならない」
 ということである。
 昔ですら、
「チリ紙交換」
 ということで、
「新聞の束をどうするか?」
 というのが、問題だったのだ。
 今のように、
「見もしないものを、わざわざ金を出して配達してもらう」
 などというのは、無駄でしかないだろう。
 特に今は、
「ゴミを出すのも、こっちが金を出す時代だ」
 ということで、下手をすれば、昔は新聞や雑誌で、トイレットペーパーの変えてくれたのに、今は、
「紙ごみを出すのに、有料になる」
 という時代も近づいているだろう。
 自治体によっては、有料のところもあるかも知れない。
 とにかく苛立つのは、
「テレビのコメンテイターが、事件のあらましを聴いて、それだけで、あたかも、当たり前と思えるようなことを真実のように、決めつけてコメントする」
 ということである。
「もし、反対のことであり、事実は、殺された人が悪い人で、殺した人は、無理もない」
 というようなことが事実だったら、どうするというのだ?
 確かに、人を殺すということは決していいことではないし、今までも情状酌量があるとはいえ、
「人を殺すことは犯罪だ」
 ということに揺るぎはない。
 だからと言って、殺される側に、
「殺されるだけの理由があるとするのであれば、それでも、殺された側が一方的に可哀そうだ」
 と言えるのだろうか。
 事実が分かれば、どうせコメンテイターの連中は、手の平を返したように、
「殺しは悪いが、気持ちは分かる」
 とでも言い出すのだろうか。
 それとも、敢えて、マスゴミは自分たちの保身に走って、報道をせず、緘口令を敷いたりするのではないだろうか。
 それを思うと、
「マスゴミも、分かっていて煽っているのだろうか?」
 と思えてくるのであった。
「煽ることで、事件に注目を集め、有料記事を売ろう」
 とでも思っているのだろう。
 それが、
「マスゴミのやり方だ」
 ということではないだろうか。
 特に、マスコミが、
「マスゴミ」
 などと言われるようになったのは、かつての、
「世界的なパンデミック」
 の影響からだった。
 あの時、世間は大混乱となり、
「何を信じていいのか分からない」
 というカオスになったものだ。
 その時に言われたこととして、責任と罪のランキングの中で、
「三位は、すべてを他人事としてまわりを気にしない我々一般市民の中の一部の人間」
「二位は、政府」
「一位は、何でも記事になることなら、言っていることに信憑性があろうがなかろうが、記事にするという、マスゴミ」
 と言われたものだ。
 以前からあったのかどうかも分からないが、いかにも、
「今は存在しない」
 というモラルの欠如が、あからさまになったのが、
「今のマスゴミだ」
 ということであった。
 そういう意味で、
「事実関係もハッキリしない中で、ただ、自分たちの記事が売れればいい」
 という、そもそもの、マスコミ理念というのがどこに行ってしまったのか?
 ということである。
 だからこそ、情報番組という一種の看板番組であるにも関わらず、芸人を使って、当たり前のことだけを言わせるという、おかしなことになってしまったのではないだろうか?
 そんな状態を考えていると、この間の事件も、マスゴミが煽りまくり、コメンテイターの連中が、
「ストーカー行為があったとすれば、警察がどうにかして、事件にならないようにできなかったのか?」
 ということであったり、
「ストーカー防止法をもっと強化に」
 というと、他の人が、
「でも、厳しくすれば、今回のように、逆上する人がいるのだから、それも難しい」
 ということを言っている。
 確かに、ここだけを切り取れば、その通りであろう。
 しかし、実際に聴いてみると、
「犯人は、完全にその男」
 と決めつけていて。
「女の人にストーカー行為を繰り返し、接近禁止の命令があったにも関わらず、近づいた」
 ということだけを切り取って話をしているのだった。
 そこに至るまでの経緯に関して、マスゴミはまったく話そうとしない。
 もちろん、警察が、言わないからなのかも知れないが、少なくとも殺害されているわけだから、
「いまさら本人に危害が加わる恐れが」
 ということは、もうすでにないのである。
 要するに、
「すべてが手遅れだ」
 ということであった。
 そんな気概が加わることもないのに、警察は緘口令を敷いているというのだろうか?
「今後似たような犯罪が起こらないようにしないといけない」
 ということを警察が考えているのであれば、ちゃんと公表し、マスゴミに、
「正しい報道をしてもらう」
 ということが大切なのではないだろうか?
作品名:完全犯罪の限界 作家名:森本晃次