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損得の犯罪

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 そもそも、新人賞であっても、持ち込みであっても、一切、作品に対して、何も書かれていないのが当たり前であった。しかも、新人賞などは、
「審査に関してのお問い合わせには、一切応じられない」
 と書いてあることが多く、
「作家になりたい」
 という思いの強さからか、そのことが当たり前のように考えるが、実際であれば、
「これほどブラックなことはない」
 と言えるのではないだろうか?
 そういう意味で、作品の批評をしてもらおうとすれば、
「どこかの文章教室に通うか?」
 あるいは、
「添削教室」
 で、通信で行ってもらうかであるが、どちらにしても有料である。
 しかも、
「文章上達」
 という意味でのものであり、
「作家になるための教室」
 というわけではない。
 そういう教室もあるのだろうが、お金を払って受けるだけの価値があるのか、疑問である。
 そもそも、そういうところの講師というと、かつて新人賞を取ったが、鳴かず飛ばすで、作家としての仕事がないから、こういうところで講義をするという、いわゆる
「夢半ばで挫折した」
 という人が多いというような話を聴いたことがあった。
 どこまでが本当なのか分からないが、出版社も契約した以上、こういうところでのアルバイト感覚の仕事でもさせないと、いけないのではないだろうか?
 そういう意味で、
「どこまで信憑性があると言えばいいのか、難しいところだ」
 と言えるのではないだろうか?
 しかし、
「本にしませんか?」
 という趣旨の出版社からの批評は、有料の添削教室に近いものがあるかも知れない。
 まずは、悪いところから軽く批評しておいて、
「などという悪いとことがありますが」
 ということで、その後褒めちぎった後で、
「悪い部分を補って余りある作品」
 と称えれば、
「悪評もちゃんとしてくれる」
 そのうえで、
「いいところを、たくさん書いてくれている」
 ということであれば、当然、その評価を信じてしまうのは、当たり前のことであろう。
 その上での、見積りであった。
「3つのパターンがある」
 と書いてある。
「素晴らしい作品なので、出版社が全額負担し、製本した後で、有名本屋に一定期間並べる」
 というもの、「企画出版」
 といい、
「いい作品であるが、出版社がすべてのお金を出すのは時期尚早なので、お互いに金額を折版し製本し、その代わり、有名書店に一定期間並べる」
 というもの、「共同出版」
 という。
 さらには、従来の、
「作者が全額出資においての、趣味として出す:
 ということでの、普通の「自費出版」、
 の3つである。
 ほとんどの場合において、
「協力出版」
 を言ってくる。
 そもそも、企画出版などというのは、ありえない。(リアルな話として、芸能人か犯罪者のような名前の売れた人しか、企画出版はありえないと、作者は文○社からいわれたことがあった)
 そして、この時、出版社側からは、
「法外な値段」
 を吹っ掛けられるのだが、作者は、褒められたことで、前が見えなくなっているのか、信じられないことに、協力出版に応じるのだ。(リアルでは、この時点で、詐欺が分かったので、著者は、逆に利用することを考えたのだった)
 そんなことから、次第に、その会社が怪しく思えてくる人も増えてくるのだった。
「相手をどのように信用させるか?」
 ということが一番大きな問題なのであって、まずは、
「出版業界における闇の部分」
 というものの把握が必要であろう。
 たとえば、
「持ち込みの際に、まったく見ずに原稿を捨ててしまう」
 あるいは、
「新人賞などの公募の場合、審査に関してのことは、一切質問を受け付けない」
 というようなことは、普通に考えれば、
「どっちもブラックであり、闇ではないか?」
 ということである。
 他のコンクールだったり、選抜だったりしても、同じように、
「審査に関しては、一切五非公開」
 というのは確かに多いが、それだけ、
「闇に包まれていることが多い」
 ということなのではないだろうか?
 そんなことを考えてみると、
「作家になりたい」
 と考えることが悪いというわけではないが、
「世の中には、そういう純粋な気持ちを、平気で踏みにじる連中もいる」
 ということを、こちらでも分かっていないといけないということであろう。
 確かに、
「騙す方が悪い」
 といってしまえばそうなのだが、言い方を変えれば、
「騙されるやつがいるから、騙せるうちに騙そう」
 と思う輩もいるだろう。
 中には、詐欺行為を働いているにも関わらず、本当であれば、すぐにバレることであっても、頭がよすぎて、騙された方が、
「騙された」
 という意識もないまま、
「詐欺集団は、姿をくらました」
 ということもあるだろう。
 例えば、
「スリのプロは、相手が気づかない間にスリをして、中身だけを抜き取って、財布は返す」
 という人もいるかも知れない。
「そうなると、被害者は、財布を開けてみるまで気づかない」
 ということになり、ある意味、完全犯罪が成立していることだろう。
 抜き取った後に、返さないと、財布がないことに気づいてその場で慌てると、
「その島で、スリはできない」
 ということになることであろう。
 被害者が騒ぐのと騒がないのでは、まったく状況が変わってくる。できるものなら、財布だけでも返すのが、スリの方も安全なのかも知れない。
「もし、戻す時に気づかれれば?」
 と聞かれれば、その場で手から滑らせて、わざとその場に落とし。
「落ちていたのを、自分が拾った」
 とでもいっておけば、刑事に面が割れてさえいなければ、何とでもなるというものだ。
 ただ、刑事に顔が割れていたとしても、言い訳までは通じるだろう。
 現行犯で逮捕しない限り、警察が逮捕も、容疑者として捜査することもできないのだ。
 ただの、
「任意による参考人」
 というだけで、いくら刑事が、
「こいつはスリの常習犯だ」
 と思ったとしても、何もできない。
 それが、ある意味、スリの狙いだったとすれば、彼らにとっては、スカッとするようなもので、
「留飲が下がる」
 といってもいいだろう。
「現行犯でないといけない」
 ということに、刑事も忌々しく思っていることだろう。
 スリも、
「一度抜いた財布を元に戻すのは、かなりリスクが高いだろう」
 昔であれば、
「スリも粋なことをする」
 というように言われたかも知れないが、しかし、普通に考えれば、そんなリスクを犯すほど、遊びでやっているわけではないだろう。
 そう思えば、
「すぐに気づかれないようにする」
 という理屈が成り立つわけで、考えてみれば、
「合理的に考えれば、返す方が相手に悟られない」
 という意味で、
「他に仲間がいるとすれば、他の活動を助けることになる」
 というようなチーム戦なのかも知れない。
 ただ、ここでも、本当は、
「騙される人間がいるから、騙す人間がいる」
 というのも、あり得ることなのかも知れない。
 今のような犯罪の複雑化であったり、コンピュータウイルスのような、
「専門家でないと見抜けない」
 というようなことであれば、
「騙される方」
作品名:損得の犯罪 作家名:森本晃次