損得の犯罪
ここには、もちろん、誰にでもいえる、文章作法などが最初に書かれているが、途中からは、どの出版社の新人賞や文学賞に、どのような作品を応募するか? などということが個々に書かれていたりする。
つまりは、
「ゲームなどの攻略本」
であったり、
「受験における傾向と対策」
などという本に値するというようなものではないだろうか。
そんな本を読んでいると、
「どの賞には、どのようなジャンルの作品がいいか?」
ということが書かれていたりする。
基本的には、
「どんなジャンルでもいい」
と書かれているところでも、審査員の先生に、
「時代小説が専門」
というような人がいれば、どうしても、そっちに偏るというものである。
これは、仕方のないことで、応募する方が、その傾向を知っていなければ、いくら最終審査に残るような作品でも、ジャンルが違えば、難しいということである。
そもそも、新人賞に応募したりするには、それなりの、
「暗黙のルール」
のようなものがある。
書き方であったり、綴じ方などの詳しいことはいちいち応募要項には書いていない。だからと言って、いろいろな形で出すのは、まずいといえよう。
「ホッチキスで綴じてはいけないとは書いていないから、ホッチキスを使った」
「折りたたんではいけないからといって、折りたたんで送った」
「郵便は、簡易書留などのように、追跡ができるものがいいのに、そのまま、普通郵便で送ってしまった」
というのは、いけないわけではないが、応募するにしては、いささか失礼というものである。
もちろん、それで審査に落とされるということはないだろうが、心証が悪くなるのは、当然のことだ。
「だったら、最初から応募要項に、詳しく書いておけよ」
ということになるのだろうが、なかなかそうもいかないというものだ。
そのために、
「新人賞の取り方」
という本があるわけで、応募の段階で、詳しく書いていれば、
「この本が売れないではないか」
ということにもなるであろう。
作家になるためには、昭和の昔であれば、
「新人賞などの文学賞に入選するか、持ち込み原稿を見てもらうか」
という二択しかなかった。
しかし、新人賞に合格するためには、いろいろハウツー本で勉強し、
「傾向と対策」
を練る必要がある。
そういう意味では、
「新人賞に引っかかりやすいジャンルとして、過去の受賞作を読み込む必要があるだろう。かといって、そのままコピーしたような作品は、最初から受け入れられないだろう。あくまでも、物まねは物まねでしかない」
からである。
小説を書いていて、
「人のマネ」
これほどつまらないものもなければ、情けないこともない。
そういう意味で、まず、新人賞の応募は、ここが、最初のネックであり、ジレンマなのかも知れない。
そのうちに、
「プロになったとしても、自分の書きたいものが描けなくなるんだろうな」
と考える人もいるだろう、
しかも、新人賞を取ったとしても、
「それ以降、本が売れた」
ということのない作家がたくさんいる。
最近は、ドラマやマンガでも、そういう話が多かったりする。
「二十歳そこそこで新人賞を取り、期待の新人若手作家という触れ込みで、次回作を出したとしても、受賞作に及ばないということで、なかなかそれ以降は、原稿の依頼がなくなった」
などということもよく聞いたりする。
しかも、次回作を書こうと思っても、
「受賞作で燃え尽きてしまった」
という、ことで、まったく筆が進まない人もいる。
そこには、それまで自由にできていた執筆作業が、
「プロ」
ということで、いろいろな注文の中で書かなければいけなくなるのだ。
嫌いな分野であっても、依頼であれば書かなければいけない。もし、断ったりすれば、二度と原稿依頼が来ないと思ってもいいだろう。
今まで。本職を持っていたが、新人賞を取ったことが自信となって。。-、
「作家一本でやっていこう」
と思う人は結構いるだろう。
だが、実際にやってみると、まったく頭に何も思い浮かばなかったり、出版社からの監視などによって、まるで拉致監禁されているような精神状態に陥ると、
「結局、俺は何もできないんじゃないか?」
ということで、会社を辞めたことを、
「早まった」
と、思ってしまうことだろう。
そんなドラマを見ていると、
「新人賞を取って、作家になるという王道も、恐ろしいものだ」
ということになる。
ただ、それは、
「プロ作家になる」
という意味で、そのことを考えると、
「自分にできるだろうか?」
と感じる。
だとすると、
「プロにならなくてもいいから、自分の本を何冊かでも、出せればいいな」
と思うようになる。
そこで出てきたのが、
「本にしませんか?」
という広告の出版社であった。
その出版社というのは、アマチュア相手の商売で、前述の、
「持ち込み」
というものを、作家になるためのもう一つの道だと書いたが、それまでであれば、持ち込み原稿などと、出版さに持っていっても、まず間違いなく、本人が帰った瞬間に、ゴミ箱にポイである。
つまり、もし、面会の後で、何かボールペンなどを忘れたのと思い出し、踵を返して戻ってきたとしても、その、1分くらいの間に、原稿はすでにゴミ箱の中である。
出版社側も、気まずい顔でもすれば、少しは違うのだろうが、別に悪びれた様子もない。持ち込んだ人間は、ショックを受けるだろうが、考えてみれば、それくらい、当たり前のことではないだろうか。
そもそも、編集者の人間は、自分たちの従来の仕事もあるのに、何を新人ともいえないアマチュアの作品を、何が悲しくて読まなければいけないというのか?
「まだ、会ってやるだけマシではないか」
と、門前払いでなかっただけでも、ありがたく思えということであろう。
「なんと、ひどい仕打ちか?」
という人もいるだろうが、そもそも、持ち込み原稿を見てもらおうなどというのが、
「10年早い」
というものだ。
編集者は、
「新人賞を取った作家を一人前にしたり」
あるいは、
「プロ作家の先生の尻を叩いて、締め切りに間に合わせるようにしないといけない」
ということをしなければいけないのに、何が悲しくて、
「アマチュアの面倒なんか見ないといけないんだ」
ということなのである。
そんなことを考えていると、
「持ち込みなんか、本当は愚の骨頂なのかも知れないな」
ということも、次第に分かってくるようになるのだ。
それでも、
「一縷の望み」
というものに賭けてみたい」
という人もいるだろう。
そういう人に狙いを定めたのが、
「本にしませんか?」
という連中であった。
彼らがいうのは、
「原稿を送ってもらえれば、出版するための見積もりと、作品の評価をして送り返します」
というのである。
「どうせただなら」
という軽い気持ちで送る人もいるだろう。
すると、確かにキチンと作品の批評をして返してくるのだ。そこには、いいことばかりではなく、批評も書いてくれている。