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損得の犯罪

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 それまでは、残業していたので、気にしたこともなかったが、この余った時間をいかに使えばいいのかということが問題になるのだ。
 そんな時代を見越してか、新たな企業がブームを迎える。
 つまり、その余った時間を、
「趣味に使う」
 という時間の使い方だ。
 趣味といってもいろいろあり、バブル時代などであれば、趣味と実益を兼ねたという意味で、
「ゴルフ」
 などがあった。
 今であれば、
「金持ちの趣味」
 という感じになっているが、バブルの時代には、
「サラリーマンたるもの。ゴルフくらいできないでどうするか?」
 などと言われた時代があった。
 営業相手として、
「ゴルフを嗜む」
 ということは、商社などでは当たり前のことだったのだ。
 さすがに今では、そんなことはないが、ゴルフ用品店は、結構賑わっていたことだろう。
 だが、そんな時代は今は昔。バブルが弾けてからは、
「お金のかからない持続できる趣味」
 というものが増えてきただろう。
 スポーツセンターに通うというのも、ブームとなっていたようだし、これは、特に健康に直結することなので、
「少しくらいお金がかかっても、長い目で見れば、元が取れるというものだ」
 というものであろう。
 それ以外には、
「芸術的な趣味」
 というのも、結構人気があった。
「絵を描いたり」
 あるいは、
「詩吟を営む」
 などというのを教室で勉強することで、仲間ができるという意識でいるのは、
「自分だけじゃない」
 ということで、結構いいことではないだろうか」
 そんな中で、密かな人気となっていたのが、
「小説を書く」
 というものであった。
 文章を書くというのは、一見ハードルが高そうに見えるのだが、それは、
「自分にはできない」
 という思い込みから来るのではないか? と考えるのだった。
 確かに、簡単ではないが、根気よく、そしてコツさえつかめれば、そんなに難しいことではないと気づくのだ。どうしても、思い込みが邪魔をしていたので書けないと思い込んで諦める人がほとんどだが、そこを超えると、意外と継続はそんなに難しくはない。それだけ、
「文章を書くということは、自分に自信が持てるというものだ」
 ということであった。
 そんな中で、
「お金を掛けずにできること」
 の中で、芸術的なこととして、
「小説執筆」
 というものがあった。
 小説執筆というと、確かに、用紙と筆記具があるか、パソコンがあれば、書けるだろう。さすがに手書きできつい場合は、パソコンがいい。パソコンは、確かに一台が、そんなに安いものではないが、他にも利用手段があり、一台持っていると、鉛筆や用紙のような消耗品ではないだけに、いちいち購入もいらないし、かさばることのない。
「比較的安価な趣味だ」
 といってもいいだろう。
 ただ、なかなか小説執筆というのは、ハードルが高いようだ。
 一番のハードルは、
「書き上げること」
 に尽きるのではないだろうか?
 どうしても、プロの本ばかり読んでいると、
「キレイな文章で書かなければいけない。さらに、比喩などを使って、難しい書き方にしなければいけない」
 などという縛りを自分の中で作ってしまい、そのうちに、
「俺に、できるわけはない」
 と、思うようになり、本来は、その時に初めて気づいたものではなく、
「最初から意識していたことだ」
 と感じないことが、余計に、完成を遠ざけることになるのではないだろうか?
 確かに小学生の頃の作文でも、1時間の間に、一枚から数枚書けばいいだけなのに、
「一生懸命にキレイな文章にしよう」
 と思うことで、時間との闘いを意識しながら書いている自分に気づくのだ。
 小説を書くということを、必要以上に意識してしまうと、最後には一行も書けなくなってしまう。
「小説を書けるようになりたい」
 と思うと。まず、本屋で、
「小説家になるには」
 などというような、
「ハウツー本」
 を読むことから始めるのが普通であろう。
 今であれば、ネットで検索するという手もあるが、ネットだと、どうしても、無料ということもあり、その文章の説得力に、限界を感じてしまうかも知れない。
 本であれば、出版社がプロの先生にお願いして書き上げてもらったものを製本し、それなりの値段で販売するのだが、ネットにおいては、誰も発信できるということで、
「プロの先生」
 が書いたものだというわけではない。
 そもそも、
「プロの先生が掛か板ハウツー本が、素人がネットに挙げたものよりも劣る」
 という考えが、果たして正しいといえるのだろうか?
 というのも、
「ハウツー本」
 と呼ばれるものに、ランキングつけができるのかどうか。怪しいものである。
 確かに、皆、
「当たり前のことを言っているだけ」
 と思って見れば、
「それ以上でも、それ以下でもない」
 と感じることができる。
 確かに、同じようなことを書いてはいるが、説得力という意味でいうと、実はネットの方があるのではないかと思えるのもある。
 ただ、それも、実際に本屋で購入し、読了したことで比較になるのであって、その後にネットで検索してみると、同じようなことを書いているとしても、その人なりの苦労が書かれていることが多い。
 本にも書かれているのだろうか、
「距離の近さ」
 という意味でいけば、素人の方が自分に近い。
 努力を理解できるとすれば、ネット側なのだ。
 つまりは、
「ハウツー本を読む時点で、まだまだ自分の作品を、完成させたことがないという人が多い」
 ということであろう。
 作品を完成されるということが、
「作家になる」
 という意味で、一番最初に潜るターニングポイントなのだからである。
 ほとんどの人が、
「自分の作品を一作も書き上げたことがない」
 という状態で、諦めるであろう。
 というのは、どんな形でも自分の作品を一度でも書き上げることができさえすれば、アマチュアであっても、
「小説家になった」
 という気分になれるのだ。
 もちろん、そこから道は険しくなっていくのだが、少なくとも、一作でも自分の作品を書き上げたことのある人は、
「これで、これからも、書き続けてもいいというお墨付きをもらったも同然ではないだろうか?」
 と思うのだ。
 そう思うようになると、
「俺には作家になんかなれない」
 という理由で諦める人は激変するのではないだろうか?
 もっと違った意味、例えばリアルな生活の中で、小説を書いている場合ではなくなってしまったなどという場合である。
 人間、いつどこで何が起こるか分からない。
 それを思うと、考えることはたくさんあるというものだ。
 小説を曲りなりにでも書けるようになると、次に思うのは、
「コンテストや公募などに応募する」
 ということである。
 そのためには、覚えなければいけないことがたくさんあり、そのためのハウツー本も何冊か出されている。
 例えば、
「文学新人賞の取り方」
 などという内容の本である。
作品名:損得の犯罪 作家名:森本晃次