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損得の犯罪

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「どれだけ車輪を早く回して開店させることで前に進むか?」
 という発想から出てきた、
「自転車操業」
 という言葉にならないだろうと思う。
 そして、今の時代において、自転車操業というのは、あまりいいイメージで見られるものではなく、
「経営という意味では、実に諸刃の剣のような危ないやり方なのだろう」
 と思えるのだった。
 実際に、今までに、
「自転車操業によって、会社が破綻し、自己破産を申し出ている」
 という言葉を、どれほど聞かされたというものだろうか。
 正直、バブルが弾けた時点で、
「自転車操業」
 というものが、いかに虚空の世界であるかということを、身に染みて分かっているように思うのだが、結局、
「自転車操業は、自転車操業でしかない」
 という経営方針は、一定数まだ存在しているということであろう。
 そんな自転車操業が、なかなかうまくいかないということは、
「バブル砲迂回」
 という時期に、すでに破綻してしまったように思える。
 元々、バブルというのは、
「実体のない儲け」
 というものが、その元々だっただけに、たとえば、当時よく言われたのが、
「土地ころがし」
 などのように、土地というものを売買の差額で儲けるものであり、それこそ、自転車商業に近いものがあった。
 もちろん、儲けの実態は違っているが、
「売買の差額」
 という、ある意味、
「経済の基礎」
 というところでは、、追及する点は似ているといってもいいだろう。
 ただ、そんなバブルが弾けたことが、大きな社会不安をもたらしたというのは、いろいろな要因があったと思うが、その一番というものは、それまで信じられてきたこととしての、
「神話の崩壊」
 というものではなかっただろうか。
 たとえば、
「銀行は絶対に潰れることはない」
 といって信じられてきたものが、いとも簡単に破綻していったのだ。
 むしろ、
「あの銀行が破綻した」
 ということで、
「今までの不況とは違うぞ」
 ということを、世間に知らしめたのではないだろうか。
 そもそも、バブルの崩壊は、一番銀行に大きな負債を抱えさせることになる。
 なぜといって、バブル経済では、
「事業を拡大して、動けば動くほど、儲かる」
 と言われて、誰もそのことを信じてい疑わなかった。
 バブルの時代に限らず、銀行というところのいわゆる、
「儲け」
 というものは、それまでは、
「企業に金を貸し付けて、その金に対しての利子の分が儲けになる」
 ということであった。
 つまり、
「端数のお金を貸すくらいなら、大目に貸し付けると、その分、返ってくる利子も大きい」
 という、単純計算で企業にたくさん貸し付けていた。
 企業側も、
「事業を広げれば、それだけ儲かる」
 と信じて疑わないし、何と言っても、融資に関しては、審査などがあり、一番慎重なはずの銀行が、
「もっとたくさん」
 といっているのだから、信じて疑わないのも、無理もないことであろう。
 それを考えると、企業側も、増えた融資額の分、規模を拡大しようとか考えることだろう。
 そんな融資を、いわゆる、
「過剰融資」
 と言っていた。
 バブルが弾けてから、この過剰融資のシステムが悪かったかのように言われるが、確かに当時、
「過剰融資が危ない」
 などと、誰も言っているわけではなかった。
 むしろ、お金を回すことが、
「経済の活性化」
 に繋がり、
「バブル経済は、永遠にいい形で回っていく」
 と真剣に考えていた人ばかりだっただろう。
 もっとも、そんな先まで考えていた人がどれだけいたことか。
 政府の経済産業省であったり、エコノミストと呼ばれる人は、当然研究はしていただろうが、誰一人として、
「バブル経済の危機」
 についていう人はいなかった。
 いたのかも知れないが、すでに神話と化してしまったバブル経済に、異を唱えても、誰も聞く耳を持たなかったり、信じる人もいなかったりではないだろうか。
 それを考えると、バブルが弾けたことは、実は必然であり、世の中に、
「永遠で、無限に継続することはありえない」
 と言わしめたのかも知れない。
 実際には、永遠に続くこともあるのだろうが、それも、いい時もあれば悪い時もある。悪くなった時に、どのようにすればいいかを考える必要がある。
 そのためには、うまくいっている間に、そのメカニズムを真剣に考え、
「どうしてうまくいっているのか?」
 あるいは、
「うまく行かなくなった時、いかにすればいいのか?」
 ということを考えなければいけないということになるだろう。
 実際にバブルが弾けた時に、まずは、零細企業がひとたまりもなかった。銀行も無数と言えるような零細企業にも少なからずの融資をしていたので、それらが、まったく回収不可能となると、それだけでも、大きな痛手であった。
 ただ、末端の零細企業であったり、逆にメーカーなどがどんどん破綻していくと、受けた会社が、何も売るものがない。売ったとしても。最終的な商品を作っていた末端がなくなってしまったのだ。
 当然、受けていた受注が完成しない。そうなると、得られるはずのお金が得られない。仕入れたものに、お金が払えない。完全に、経済がストップしてしまうのだ。
 しかも、事業がどんどん拡大していく。その一つ一つで問題が起こったのだ。
「一つの事業だけでも大変なのに」
 ということで、混乱は本当にひどいことになってしまうのだった。
 そうなると、それまで、想像もしていなかったことが、社会で起こってしまい、
「お金を回すことだけで利益を得ていた銀行」
 というものが、破綻するのは、当たり前のことであった。
 しかも、
「過剰融資」
 などといって、
「必ず、回収ができる」
 と信じられていたものが回収できないとなると、儲けに直結するお金というものを直接取引しているような銀行には、どうすることもできないのだ。
「たとえば、何かを売って金に換える」
 というようなことは、一般企業にはできるだろうが、元々の取引がお金なのだから、お金が返ってこないのだから、売るものもないということだ。
 そんな状態となり、銀行の資金は、
「焦げ付き」
 を起こし、自分自身がどうしようもなくなる。
 そうなると、生き残るためには、
「大きなところと、合併する」
 という方法しかなくなってきた。
 それが、今の銀行である。
 バブルが弾ける前と、まったく変わってしまったではないか。
 戦前から大きな力を持っていて、戦後には占領軍から、
「戦争を引き起こした」
 という罪で、解体を余儀なくされた、財閥の生き残りが、銀行というものだったのだが、そんな財閥系の銀行も、バブルではひとたまりもなく、昔では信じられなかった、
「財閥同士の合併」
 などということが、どんどん行われてきたのであった。
「もう、こうなったら、プライドなんて言っていられない。背に腹は代えられない」
 ということであった。
 世間は混乱し、企業もいろいろなことが行われた。
 というのも、
「利益を収益から得られないのであれば、いかに、支出を減らして、損益を減らすか?」
 ということが言われるようになってきた。
 例えば、
作品名:損得の犯罪 作家名:森本晃次