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自殺後の世界

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 国民には、増税と言っておいて、国民から吸い取った年貢、いや、もとい税金を、国民が反対しているのに、強引に使うのだから、
「何を考えているんだ?」
 ということである。
「無能で何もできないソーリなんだから、出てくるな」
 というのが、国民の代表する声ではないだろうか?
 本当であれば、同じ党の
「良識ある人」
 の集まりなどが、
「ソーリ、もう少し国民の声を聴いてください」
 と進言するか、
「あなたにはついていえない」
 と造反してもいいのではないだろうか?
 昔の重鎮のように、
「力のある国会議員でもあるまいに、それだけ、党の力全体が、機能できないほどに落ちぶれてしまったということなのだろう」
 こういう、政府批判であったりをし始めると、
「数日間徹夜してでも、いくらでも文句は出てくる」
 という人もたくさんいることだろう。
「今までの重鎮も皆引退したり、死んでしまったりしたので、党全体が、腑抜けになってきたのだろうか?」
 と思われても仕方がない。
 確かに、昔の重鎮の声も聴かなくなった。
 もっとも聴いたとしても、
「悪評で名高い連中の名前しか出てこないだろう」
 ということだ。
「党をぶっ潰すといって、ソーリになったが、やったことは、今の荒廃した国家の元を作っただけの、人気だけのソーリ」
「疑惑に塗れて、いつも都合が悪いと病院に逃げ込むというソーリ」
「年金を消したくせに、口だけはいつもいっちょ前だった失言大魔王といってもいいという元ソーリ」
 こんな連中が、党を仕切っていたのだ。
 極悪人だらけではないか。
 そこに、四天王として、今のソーリが入るかどうか疑わしいところだ。
 なぜかって?
 それは、今のソーリがそれだけの器ではないからである。
 力もないくせに、ソーリになった。つまり、ソーリの器でもないくせに、のさばろうとするのは、それこそ、そのしわ寄せが国民に行くということで、
「どうして俺たちがあいつの海外での人気取りのために、割を食わなければいけないんだ?」
 ということになるであろう。
 今の政治を考えると、ついつい文句が止まらなくなってしまう。
 とりあえずは、
「同じことを考えていて、賛同してくれる人間が多いだろうということに間違いはないのだ」
 ということは、胸に止めておこう。
 そんな時代であっても、K市は、
「市民と向き合ういい都市」
 であった。
 もっとも、
「他の都市にひどいところが多すぎるので、少々普通であっても、
「まるで、神様のような街」
 と呼ばれるのではないだろうか。
 そんな当たり前の都市においては、市長を始め、
「我々は、市民のために、一生懸命にやっているだけ」
 ということで、まるで言い訳のような、白々しいセリフを吐かないことだけでも、信憑性があるというものだった。
 そんな時代において、みゆきの病院も、医療従事者として、他の街と同じような、偏見や迫害がなかったわけでもない。
 同じ看護婦仲間の人で、旦那と子供がいる人だったが、
「私が医療従事者ということで、旦那が会社で、子供が学校で迫害を受けるんです」
 という。
「どういうことなんですか?」
 と聞くと、
「伝染病が移るから、会社や学校に来るなって言われるそうなんですよ。私は、病人のために一生懸命にやっているのに、そんな仕打ちを家族が受けるなんてね。本当なら、
「頑張ってもらってありがとう」
 と言われてしかるべきなのに、何で、こんな仕打ちを受けないといけないのかと思うと、正直、
「なんで、私だけって思っちゃいますよね」
 というではないか。
 確かにそうだ、彼女が悪いことをしたのであれば話は別だが、看護という専門的なことができるだけに、本来なら重宝されるべきなのに、迫害をうけるくらいだったら。
「人を助けたりしない」
 と自分だったら思うだろう。
 それでも、人を助けるために頑張るというのは、それだけ律義な人だということになるのであろう。
 そんなことを考えると、
「人間なんて、都合よくしか考えられないんだろうな」
 と悲しくなってくるだろう。
「私たちが看護しないと、誰がするというのか、私たちは使い捨ての駒というわけではないんだ」
 と言いたいのだろう。
「本当であれば、今年は、子供も学校に入学して、家族でどこか、記念に旅行にでも行こうと思っていたんだけど、ここまで精神的に家族全員が痛めつけられると、世の中を呪いたくなる気持ちになるのも、無理もないことですよ」
 と、先輩看護婦はいうのだった。
「そういえば、昔、エイズが流行った時も、かなりいろいろな差別があったと言いますよね?」
 と彼女は言った。
「あの頃から、医療従事者には、こういう差別があるということを子供心に感じていたんだけど、どうしても、看護婦になりたいという夢を捨てきれずになったのに、いまさらあの時の思いを思い出さされるとは思ってもみなかった」
 と、彼女は続けた。
「とにかく、世間では、知らないことを恥という風潮はなくなってきたのかしらね? 少しでも、その思いがあるのであれば、もう少しでも、勉強するものだと、私は思うんですけどね」
 という。
 彼女は、相当言いたいことが溜まっているようで、その思いがあるから、意地でも看護婦になったのかも知れない。
「私が言いたかったことは、もっとたくさんあるんだけど」
 と言ったのは、
「本当にこんな時代になるなんて、思ってもいなかったからなのかも知れない」
 と感じるのだった。
「今回は、エイズとは明らかに違うけど、病気の正体が分からない時は、どんな病気でも、悲惨な思いをする人がいるということになるに違いないわ」
 というのだった。
 その日のみゆきは、かつての兄のことを思い出していた。
「そういえば、子供の頃、近所の子供に苛められていた自分を庇ってくれて。そんなお兄ちゃんに憧れて、私も強くなろうと思ったんだっけ?」
 ということであった。
 いじめっ子に苛められていた自分を助けてくれるところまでは、どこにでもいるお兄ちゃんだったのだが、
「俺が助けてあげられるのも、限界があるんだぞ」
 と言われ、正直、最初はゾッとした。
「助けておいて、このセリフはないでしょう」
 と思ったのだ。
 確かに、大人になれば、お兄ちゃんのセリフの意味が分かる気がした。
「ライオンの母親が、子供を千尋の谷に、落として、這い上がってきた子供をかわいがる」
 というような話なのだろうが、
「じゃあ、這い上がれなかった子供は見殺しなのかい?」
 ということであり、いくら、弱肉強食の世界であっても、それはむごたらしい気がした。
 もっとも、一番むごたらしいのは、人間かも知れない。
「若気の至り」
 で、セックスして、できた子供をどうすることもできず、そのまま生んだはいいが、育てられない。
 そんな状態から、
「コインロッカーベイビー」
 などというのが、社会問題になったことか。
 まさかとは思うが、
「やるだけやって、もし子供ができれば、コインロッカーに入れちゃえばいいんだ」
 と思う人だっていたのかも知れない。
作品名:自殺後の世界 作家名:森本晃次