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自殺後の世界

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「政府は、国民が死のうが生きようが関係ない」
 と言っているのと同じではないか。
 結果、
「経済もなかなか景気が戻ってこないし、感染も収まらない」
 という中途半端なことになるのだった。
 そもそも、パンデミックが起こる前から、ずっと下火だった経済が元に戻るわけではない。
 そもそも、
「国家がいう、元に戻るの元とはどの時点なのだろう? パンデミックになる直前の最低だった時期をいうのだろうか? 確かに、最低のさらに最低のその底辺にいる今であれば、パンデミック前に戻ったところで、どうしようもない。もう一度感染が爆発すれば、誰も表に出なくなってまた最初に戻るだけだ」
 ということである。
 つまりは、
「中途半端なことしかできないのならしない方がいい」
 ということになり、結果、
「無能な政府はいらない」
 ということになり、
「自分たちの保身しか考えず、国民なんて、どうなってもいい」
 と思ってる政府ではないか、
「元々、あってもなくても、同じことか? ただ、存在しているだけでも、税金がやつらに、食いつぶされるだけではないか」
 そして、
「あんな政府は、なくなればいい」
 と言っていることを、いかに国民に分からせる人が出てくるかということであるが、コメンテイターも保身があるので、思っていることを口にできないジレンマもあることであろう。
 ただ、
「世界的なパンデミック」
 というのは、そんな状況ではないのだ。正直、
「今の政府の言いなりになっていれば、確実に、国家が滅びる」
 ということである。
「国破れて山河在り」
 という状態になることであろう。
 昔の大東亜戦争などは、
「国土が焦土」
 と化していたが、今度のパンデミックの場合は、
「国土が荒れ果てるわけではないが、人がバタバタと死んでいく」
 という地獄絵図が、描かれるのだ。
 そう、それこそ、昔の飢饉のように、苦しみながら、人がどんどんのたうち回って死んでいくということになる。
 それを、本来であれば、防がなければいけないはずの国家が、早々に、
「国民なんか、どうなろうが知ったことか」
 という政策しかしていないので、本当に、今の世の中が、
「人がバタバタと死んでいき、自分たちに対して、国民が暴動を起こす自体になって、甘かったと思った」
 としても、もう遅いということだ・
 もっとも、今の政府の人間が、
「この期に及んで、そのことにすら気づかなかったり、気付いたとしても、知らんぷりをするというのであれば、最初から、この国家は終わっていた」
 といっても過言ではないだろう。
 そんな国家に成り下がったとは思いたくないが、
「これなら、大日本帝国の方が、もっと国民のことを考えていたかも知れないな」
 と思う人もいるかも知れないと思うほど、今の政府は、自分のことしか考えていない。
「しばらく選挙がない」
 ということで、好き勝手やっているやつが、ソーリなのだから、本当に終わっているといっていいだろう。
 とりあえず、少し、
「パンデミックも収まりかけてきたかな?」
 と思って、国民全員、いや、政府が気を抜いてしまったことで、さらに感染が爆発してきた。
 しかし、政府は、もう行動制限をしようとしない。自治体も同じだ。
「経済を回すため:
 などというトンチンカンな言い訳をしているが、要するに、
「行動制限を行うために、出さなければいけない補助金を出したくない」
 ということなのだ。
「いやいや、出したくないのではなく、金がない」
 といいたいのだろう。
 しかし、それだっておかしなもので、これだけ高額な税金を取っておきながら、
「金がない」
 とはどういうことか?
 そもそも、税金というのは、
「こういう人民が困っている時に使うためにあるのではないか?」
 ということである。
 じゃあ、
「そのための金はどこに行ったのか?」
 ということである。
 つまりは、それこそ、どこかの誰かの懐に入っているということであろう。
 それは、特権階級の連中なのか、それとも、国会議員の、
「お偉い先生方」
 なのだろうか?
 しょせん、今の世の中、
「庶民にとって、いいことなど何もない」
 と世界になっているのだ。
 考えてみれば、
「国民の義務である、労働でコツコツ貯めた金を、さらに義務である税金として、我々は収めているわけだが、政治家は、その金で食っているわけ」
 ということである。
 昔から、年貢を領主におさめて、それを給料として支給される武士が、治安を守ったり、するのではないだろうか? 昔はその治安というものの考えが違っていたことで、問題もあったが、一応、幕府や奉行などは、キチンと国民生活の安定を考えていた。
 しかし、今は、自由国家になったにも関わらず、国民に義務は果たさせて、その甘い汁を吸いながら、国民を見殺しにしようというのだから、かつての日本の体制の中でも、最低最悪なのではないか。
「自由で平和な国家」
 という言葉に騙されて、政府に目くらましにあっているというのが、今の世の中なのである。
「そう、あいつらは、こともあろうに、国民が老後の保障として、積み立てていたものを、管理していたはずなのに、ずさんな管理しかしていなかったので、消してしまったのだ」
 それが、十年前にあった、
「消えた年金問題」
 である。
「そんな一昔前のことを言い出してどうする?」
 という人もいるかも知れないが、
「世の中には、忘れてもいいことと、決して忘れてはいけない。後世に残さなければいけない教訓がある」
 というものだ。
 それが、
「大東亜戦争の悲劇」
 であり、その中でも、
「原爆投下」
 という事実である。
「唯一の被爆国であり、しかも、その日本が、原水爆禁止条例なるものに、反対とは、どういうことなのであろうか?」
 さすがに、
「国民なんか、どうなってもいい」
 と思っている政府の国だけのことはある。
 しかも、もっと言えば、今のソーリは、その、
「史上初の、実践で投下された核兵器が使用された都市出身のではないか」
 ということである。
 本来であれば、
「私の政治生命を賭けて、再度、核兵器禁止条例に入るように努力する」
 といっておしかるべきではないか。
 あんなソーリの命などどうなってもいいが、
「国家のためにならないのなら、死んだ方がマシだ」
 と思っている人はたくさんいることだろう。
 とにかく、今の政府は正直言って、
「国民を助けてくれる」
 などということはない。
 昔であれば、
「国民は、天皇陛下のために命を賭すのが当たり前」
 ということで、すべてを、
「天皇のため」
 ということにしてきた。
 それはそれで説得力があったが、今の政府は、一体国民に、
「何のために死ね」
 といっているのだろう。
 今の政府は、頼りなくて、何もできないだけだから、
「だったら、何もするな」
 とでもいえばいいのだろうが、増税しようとしたり、国葬に値しない元ソーリの国葬を、国民の反対を押し切って、国民の税金を無駄遣いしたりと、
「そもそも、増税したいのなら、その国葬分を当てればいいじゃないか」
 ということであった。
作品名:自殺後の世界 作家名:森本晃次