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自殺後の世界

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 看護学校を卒業した、准看護婦だった。年の頃は27歳で、看護婦歴も、そろそろ10年というところで、ある意味、ベテランではあった。
 学校を卒業してから、いくつかの病院を転々とした。この病院には、3年前から世話になっている。
 他の看護婦も年齢としてはバラバラで、婦長さんともなると、40歳くらいの人で、結婚もしている人だった。
 子供が、まだ小学生ということで、
「子供はおばあちゃんに預けている」
 ということで、
「おばあちゃんが面倒を見てくれるのであれば、よかったですね」
 というと、照れ臭そうに、
「そうなんですよ」
 というのだった。
 自分が恵まれているということに、どこか後ろめたさのような気がするのか、照れ臭いからなのか、結構、この話になると、引っ込み思案なところを見せるのだった。
 しかし、彼女は、堅実なところがあって、決して、不真面目ではなく、きちっとしているところはちゃんとしないと、我慢できないタイプのようだった。
 それだけに、余計に、堅実さを表に出さないと我慢ができないのかも知れない。
 それを思うと、みゆきも、
「婦長さんのようにならないといけないんだわ」
 と、せめて、心構えだけでも考えるようにしようと思うのだった。
「看護婦という仕事は、中途半端にはできない」
 というのが、婦長さんの口癖だったのだ。
「私は婦長さんほど、この仕事に一生懸命になれないわ」
 と思っていた。
 というのは、
「別に看護婦としての仕事が嫌だ」
 というわけではない。看護婦という仕事がどういうものかということは、看護学校でお授業、さらに、研修として勤めた病院でも、嫌というほど身に染みるかのように、言われたことであった。
 だから、
「不真面目な気持ちがある」
 というわけではなく、必死にやってはいるが、それと苦手ということが結びついているわけではない。
 苦手意識があるわけではない。逆に、身が引き締まる気持ちになった方が、自分の身体も動くというものだ。
 みゆきの場合、
「習うよりも慣れろ」
 と、パソコンなどの習得でいわれる言葉がそのまま、看護業務に当て嵌まるというわけであった。
 つまり、
「身体が憶えている」
 というわけであった。
「身体が忘れるようでは、どうにもならない」
 というのは、看護学校で言われてきて、身に染みていることだが、その気持ちがどこにあるのかというと、
「患者を救いたい」
 という気持ちだけでは、どうにもならないということだ。
 自分の中で、奮い立たせるだけの何かがなければ、過酷な看護というものは、できないということではないだろうか?
 というのも、特に、上司からいわれることは、精神的に病んでしまうのではないかと思うほどにきついことが多かったりする。
 それもそうであり、
「命を預かっている」
 というのは、ウソでも何でもないことだ。
 それを、
「お金のため」
 として割り切れるものではないだろう、
 どうしても、
「お金のためだ」
 として割り切ろうとすると、自分の気持ちの中で、割り切ることが、自分にとっての美徳であったりすれば、それを、
「言い訳」
 あるいは、
「免罪符」
 ということにして、自分を納得させようとすると、どこかで甘えが生まれるのではないだろうか?
 その甘えが出てきた時、怒られると、
「どうして、割り切って一生懸命にやろうとしている自分が起こられなければいけないのか?」
 という、被害妄想のような気持ちになってしまうと、看護婦のような仕事は務まらない。
 やろうとしても、自分の中で、
「看護、してやっている」
 という気持ちがどこかに出てくると、上司の言葉が鬱陶しくなり、次第に、
「お金の問題ではない」
 と考え、自分が、その場に身を置いたことを後悔していると思うようになる。
 そうなると、それまでせっかく頑張ってきた気持ちが、甘えに支配されてしまい、すべてを忘れてしまいそうになるのだ。
 そんな時に、責められると、どうにも言い訳しかできない自分が、居たたまれなくなり、逃げ出したくなる気持ちになる自分を、
「言い訳や免罪符」
 としてしか、考えられなくなってしまうことであろう。
 看護婦をしていると、
「オフが楽しめない」
 という人と、逆に、
「普段が大変なので、オフくらいは羽目を外す」
 という二種類の人がいるだろう。
 みゆきの場合は、あたかも前半の方であった。
「オフで羽目を外してしまうと、真面目にならないといけない時に真面目になれない」
 と思い込んでいたのだ、
 しかも、その真面目さというものが、
「自分を元に戻すことができない」
 と思い込んでいるだけで、それだけ、嵌めの激し型がハンパではないというわけではなかった。
 実際に、節操をもつことはできるし、わきまえるところはわきまえる。ただ、一度だけ、酒に酔った時、記憶がないほどに酔っぱらっていたようで、自分でも、楽しい気分になっていたことは分かっていたが、それをまわりから後になって、
「あんなに羽目を外すみゆきさんを見たのは初めてだわ」
 と皆、実際に驚いているようだった。
 それはあくまでも、普段羽目を外さない人が外したというだけのことで、本人が、意識する必要も、ましてや、反省することなどもまったくないのだ。
 むしろ、
「あなたも普通の人だったのね」
 というくらいに、サッパリした気持ちにさせてくれるというくらいで、
「ちょうどいい塩梅だ」
 といってもいいくらいだっただろう。
 それを思うと、みゆきは、
「皆から担がれたわけではないのに、気を遣うあまり、まわりを変に意識してしまって、恐縮してしまった」
 といっておいいだろう。
 それを考えると、
「オフで羽目を外すことはやめておこう」
 と考えるようになった。
 みゆきは、冗談が分からない娘ではなかった。
 ただ、彼女はある時から、まわりを意識するようになった。それも、必要以上にということであった。
 というのが、あれは、みゆきが、高校生の頃だっただろうか。
 彼女にはお兄ちゃんがいて、
「看護婦への道、頑張れよ」
 といってくれていたのだが、そのおにいちゃんが、ある日、行方不明になって、それから2カ月後くらいに、事故で亡くなったということを聞かされた時、そのショックははかり知れないものだった。
 大学の仲間と、避暑地に遊びに出ていたようで、それで、
「不慮の事故」
 に遭ったということであったが、
「まさか、おにいちゃんが、誰にも連絡もせずに、遊び歩いているなんて」
 という思いがあったが、それ以上に、
「捜索願を出しているのに、警察はまともに見つけようとはしてくれなかった。もっと真剣に探してくれていたら、こんなことにはならなかったのに」
 ということで、みゆきの警察に対する不信感と、恨みは相当なものだった。
 今でも、時々あの時の悔しさを思い出して、
「うわぁ〜」
 と叫びたくなることがある。
 さすがにそれは抑えているが、
「抑えずに叫ぶことができれば、どれほど気が楽化?」
 と考えるようになったのだった。
 警察のその時の態度は、いかにも、面倒臭そうであり、聞くことも、
作品名:自殺後の世界 作家名:森本晃次