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自殺後の世界

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「感じても、それが誰かを知るすべもない」
 と考えると、
「何か嫌だな」
 という思いが頭をよぎるのだった。
 この部屋に入ってきてから、我に返るまで、どれくらいの時間が経ったというのだろう。「まるで数時間経ったような気がするが、実際にはあっという間のことだったんだろうな?」
 と考えると、まるで、浦島太郎になったような気がした。
 まさか部屋を出ると、知っている看護婦は誰もいないのだろうが、逆に自分を知っている看護婦はいるような気がする。まるで、違う世界に紛れ込んでしまったかのように思えるのではないだろうか。
 そんな風に考えると、
「そういえば、どうして私この部屋に入ってきたのかしら?」
 と、この部屋には入院患者のいないことを思い出すくらいまで、意識は回復してきたのである。
 ただ、真っ暗な部屋に電気もついていない。
 ということは、
「電気をつける前に意識が飛んでしまったということかしら?」
 と考えた。
 ただ、今は目が慣れている。
 少なくとも目が慣れてくるほどの時間は経っているということであろうか?
 目が練れてきたと思ったのが、
「目の錯覚だ」
 と感じたのは、
「部屋が明るい」
 と感じたのが、一か所から眩しい光が差し込んでくるのが分かったからだった。
 その光の正体が何かということは、すぐに気が付いた、
 なぜかというと、
「その正体が何かということを、最初から分かっていたか」
 のように感じたからだった。
 その光は、ナイフだった。
 鋭利なナイフが光を放ち、眩しく見えていたのだ。
 ただ、冷静に考えるとそれもおかしな感覚で、
「この部屋には発する光がまったくないのに、この光はなんだろう?」
 ということであった。
 そういえば、みゆきは中学時代に読んだ探偵小説で読んだ内容を思い出していた。
 そもそも探偵小説を読みだしたのは、新開の影響だった。
 彼が、昔の小説をよく読んでいた。特に、
「戦前戦後の探偵小説が好きだ」
 といっていて、その時代を代表する、2,3人の作家の本を、貪るように読んでいたのだった。
 一人は、トリックを駆使したストーリー展開で、そのリズミカルなその作法に魅了される、一種の、
「光を想像させる作家」
 であり、もう一人は、
「耽美主義や、猟奇殺人、変質者などをモチーフにした、異質の小説ばかりを書いていることで遊泳な作家」
 だったのである。
 思い出したのは、後者の作家の本で、その作品は、珍しく、探偵が出てきて事件を解決するという、オーソドックスな内容だった。
 ただ、この作家がオーソドックスな作品を書く時というのは、サスペンスタッチのものが多く、
「探偵と犯人の鬼気迫るお互いの知能を削った、騙し合い」
 のようなものが、必ずあった。
 ただ、この作品は、それまでも、トリックに組み込んだ、いつもよりもさらに、
「正統派」
 といってもいい作品に仕上がっていた。
 そこで出てきたのが、
「光を放たない星」
 という発想であった。
「星というのは、自らが光を発するか、それとも、光を発する星の反射を受けて、光るかというものである」
 という、
「恒星と惑星、衛星との関係」
 というものを表していた。
 「しかし、この広い宇宙には、自ら光を発しない星があるということを発見した博士がいる」
 というのだ。
「その星というのは、邪悪な星で、近くにいても、誰も気づかない。それだけ、気付かれずに相手に近づいて、邪悪なことをする。ここには二つの利点がふくまれていて、一つは、決して自分が見つからないこと。そして、見えないことをいいことに、他人にその責を負わせることができる」
 というものだった。
 しかも、その相手というのが、
「自分が恨みに思っている相手であれば、これほど実にうまくことが運ぶということもないだろう」
 ということであった。
 そんな邪悪な星になぞらえた犯人の、その凶悪性を表現した話であったが、今回のこの部屋にあるナイフの存在は、まったく逆ではないか。
 もっとも、この発想は、この小説家とすれば、
「専売特許」
 ともいうべき話であり、
「隠れようとするわけではなく、自分が目立ち、そして、いかにもこの私が犯人であるということを宣伝しているようなものではないか?」
 ということであった。
 それは、いわゆる、
「美というものを、最優先とし、それが殺人であっても、美のためということであれば許されるというような異常世界」
 という、いわゆる、
「耽美主義の世界」
 ということであった。
 変質的な小説には、大なり小なりの、この、
「耽美主義」
 という考え方がある。
 つまり、
「自分が美というものに造詣が深い。そして、その美というものを他の皆にも味わってほしい」
 ということで、それが犯罪であっても、悪いことではない。
 と言いたいのであろう。
 それが耽美主義であり、
「美こそ何にも増すものはない。人が死ぬことによって、美を表現できるのであれば、それは美のために殉ずるという素晴らしいものではないか」
 とまるで、宗教の考え方と似ている。
 それが、団体となっていないだけに、他の人からは理解できない考えであろう。もしこれが集団であれば、その考えに傾倒する人が出てくるのかも知れない。
 昔、テロ行為を行った宗教団体が、集団殺人を行ったが、それはあくまでも、
「保身」
 ということが明らかに分かったので、
「人類すべてを敵に回した」
 ということであったが、もしこれが、
「美を追求する」
 というものであれば、一定数、この宗教に脅威を持ち、信者の数が増えたかも知れない。
 こういう宗教団体は、
「信者の数が減るということはない。増える一方だ」
 と言えるのではないだろうか?
 宗教団体としては、そういう意味では最悪だった。
 自分たちだけの保身のために、テロ行為を起こす」
 信者が離れて行ったり、世間に後押しされ、警察の追及を受けることは免れないので、後は、逃避行しかないだろう。
 実際に、逃げ出して、指名手配になった連中もいる。やつらは、ひょっとすると、保身を企んだ、教祖の被害者なのかも知れない。
 教祖に洗脳されていたということで、とにかく、自分だけの保身のために、部下を犠牲にしてまで行ったテロ行為。そんな連中に正義の2文字は存在しないといってもいいだろう。
 ただ、あの宗教団体のテロ行為ですら、保身のためだったのだ。そういう意味での、本当の耽美犯罪というものは、存在したのだろうか?
 あくまでも、探偵小説の中だけのことで、
「耽美主義犯罪というものは、その人間の血と肉によって完成する」
 などという考えに元図くのは、耽美殺人であった。
 あくまでも、
「美というもののために、身体を投げ出し、その美を追求する」
 とおいことで、犯人は、犯罪を美徳化し、自分の正当性を訴えているのかも知れない。
 ただ、一ついえば、
「美というものが最優先」
 ということなので、感情は出てこない。
 つまり、動機という、いや、言えるものは存在しないのだ。
 あくまでも、
「恨みがあるから」
 ということでの正当性ではないのだ。
 裁判になると、
作品名:自殺後の世界 作家名:森本晃次